複雑・ファジー小説
- Re: 吉原異聞伝綺談 *卯月【了】 ( No.74 )
- 日時: 2011/05/25 18:18
- 名前: 朔 ◆sZ.PMZVBhw (ID: rbVfLfD9)
- 参照: テスト終了。今更ながらこの作品は妙に女性陣の方が多い(笑)
「や、めてっ !!」
妖魔溢れる魔都吉原。薄暗い路地裏で叫び声が響いた。亜麻色の三つ編みのお下げを振るわせ、悶えるように躰を激しく揺さぶる女が居た。女を固定するは、髷頭の浪人。
「うるせぇっ!」男が怒鳴った。「黙ってヤらせろ」
女は赤縁眼鏡越しに涙を浮かべる。口が手で押さえられ、声が出ない。躰を這いずり回る男の手に鳥肌が立った。
————止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて !!
抵抗する女だったが、全く男の力には逆らえなかった。下着に男の手が侵入する。その時に躰が大きく動き、女の顔が上下した。反動で眼鏡が外れる。地面に音を立てて落下した。
「何だ、眼鏡を外した方が別嬪」
そう薄汚い笑みを浮かべた男の股に激痛が走る。呻いた男の力が弱まった。そのまま解放された女が肘を男の腹部に押し当て、飛ばした。吹き飛んだ男は壁に激突し、気絶する。それを確認した女は眼鏡を拾い上げた。————先程とは真逆の雰囲気である。力に逆らえなかった非力な女ではなく、男を吹き飛ばす剛力の持ち主になっていた。目付きは垂れ目から吊り目に変わっている。女は三つ編みにしていた亜麻色の髪をほどいた。滑らかなウェーブが流れる。
女は口を開く。
「————全く、江に手を出しやがって。ウチが出なきゃにいけないことになったろが」
厳しい口調は誰かに言っているようなものだったが、周囲には彼女を犯そうとした浪人以外誰も居ない。彼女の中で声がこだまする。
『ごめんね、茶々。私がもっとちゃんとしてれば』
「良いよ良いよ、江が弱いのは知ってるさ」茶々と呼ばれた女は笑う。「守るのが"茶々という人格"だ」
————亜麻色の髪にYシャツ、黒ネクタイとロングスカート。吉田江という人間は一つの肉体に二人の人間を住まわせる二重人格の女だった。眼鏡を外すと、茶々という人格が現れる。
『そうそう、茶々。高杉君が対妖魔用人形兵器を捕まえたって』
歩き出した茶々の中で江が話しかけた。茶々は笑う。
「知ってる。嗣の歩く十八禁が少女兵器を捕まえたってな」
『私たちより、先だったね』
「悔しいけどな」
『仕方無いよね?』
周囲には茶々の声しか聞こえていないので、彼女は様々な視線を浴びていた。怪しく見る者やら、好奇の視線を送る者やら。が、茶々は気にしない。もう慣れていた。
江の『仕方無いよね』という言葉に茶々は暫く答えずに居た。が、軈て口を開く。細めた目は怪しく光っていた。
「奪えば良いだろ」
【二月目、皐月】
人に害為す不老不死の化け物妖魔が溢れる魔都吉原。幕府から切り捨てられた不毛の土地は今日も妖魔と欲望がうずめいている。そんな魔都吉原に、対妖魔用人形兵器が迷い込んだのがつい先月、卯月のことだった。
「あら、意外にもお似合いね」
「そ、そうでしょうか……」
団子屋の女将の、ふくよかな顔が優しい言葉を奏でた。紫紺の目の、紫の艶の黒髪を持った少女は恥ずかしそうに白雪の頬を赤めた。真っ赤な林檎の様だ。片方で三つ編みにしていた髪は下ろされ、背中を流れている。薄桃色の長い中華服を纏い、舞姫のようにくるくると舞った。際どいスリットから見えるのは生足————ではなく白い布地。残念ながら下に履いていた。しかも長い。残念。
「あとは衣服全部剥いで俺の前に横たわれば良し」
団子を串から全て抜き、口に頬張った白髪の青年は自然な流れで言った。横の金糸に緑眼の少年がすかさずツッコミを入れる。
「全裸じゃねえか!」
「全裸だよ?」
「テメェはお触りパブにでも言ってこいや」
軽く怒鳴った所為か、少年は咳き込む。隣の男はやーい、と挑発。しかし無視。
討幕派の高杉嗣と、幕府からの使者(自称)チェン・フェルビースト。白髪にサングラス、黒いスーツという奇妙な出で立ちの男とベルギー人宣教師と中国人科学者を両親に持つ少年はちょっとした事情で敵対する立場でありながら中立を保っている。これも、対妖魔用人形兵器RIN-YOU————琳邑という少女が関わっていた。先月末、お互いに探していた兵器を見つけたのだが、彼女が関わっていた仙翁救出大作戦(仮)で妖魔と戦い結局よく分からないうちに中立を保つことになった(経緯については吉原異聞伝綺談の卯月を見てみよう☆)。
西洋文化だけで無く、様々な国の文化が入り交じった吉原では和服以外も特に珍しくは無い。嗣や、中華服を着たチェンの様な出で立ちの人も少なくはなかった。仙翁と戦い、ある意味暴走的なものに陥ったボロボロの琳邑を連れた二人だったが、やはり限界。仕方無く近場にあった団子屋に泊めて貰っている。そこを営む老夫婦は娘が欲しかったようで妙に琳邑に対して色々してくれた。服の件もそうだ。
「りんちゃんは和服も似合いそうだねぇ」
職人親父の様なごつかった筈のオッサン顔は気持ち悪いくらいにやけている。本人に悪気とか、邪なものは無い。が、はっきりいって気色悪い。そして猫なで声が更に気色悪さを高めている。
「あ、いや……」
琳邑はどぎまぎする。年頃の娘なら「親父キモーイ」と連呼するのだろうが、文字どおり空っぽの琳邑にそんな感情は無かった。無知な兵器である。
店頭で団子を貪っていた嗣の目に、人混みに混ざる紺の鍔付き帽子が入った。遠くなのでよく見えないが、嗣の中には思い当たりがあった。まさかとは思い、無視する。思い当たりのある人間は関わると五月蝿い奴だからだ。しかし、相手は気付いたのか帽子は近付いてくる。赤い襟巻きが見えた。小さくお下げにされている二本の尻尾の様な黒髪。そして丸顔に黒真珠二つ。ヤバイと思い、嗣は立ち上がった。
「…………嗣?」
「ツグル?」
少年少女が同時に不思議そうな視線を送った。が、高杉は無視してそのまま逃げ隠れるように店先から足早に去った。
◇
ここまで来れば、と安堵した高杉嗣の背後に気配が生まれる。嫌な予感で振り向いた。————そこには見慣れた顔があった。
「よっス」
敬礼!といった様なポーズを取った、紺の帽子を深く被る女性に嗣は項垂れる。
「『よっス』じゃねぇよ、マジで……」
短いお下げにクリッとした黒真珠の女はにこにこと笑顔を返した。
嗣の知り合い————幼い頃に通っていた松下村塾の門下生の一人、山縣韵だった。塾に通う女性の中では最もマトモな人間性で、交友関係が広く人付き合いが上手い。今は情報収集に狩り出ていた筈だった。
「山縣がなんだ、なんだ?男にフラれたか?」
皮肉った言葉は韵に容赦無く打ち返される。
「高杉こそ、大好物の女が喰えなくて寂しいんじゃ?こけしセンサー涙、涙でしょ」
「うるせぇ」
嗣は煙草に火を点けた。そのまま吹かす。ふと視線が韵の左袖に行った。……まるで中身がないように、ヒラヒラと風に揺られている。
高杉の中に疑問が渦めいた。以前会ったときにはしっかりと中身があった筈なのに。訊こうとしたが、止めた。相手から言うのを待つ。
「あたしが来た理由は分かる?」
唐突な山縣韵の問いに嗣は首を横に振る。隠密担当の韵の言葉にあまり良いものは期待できない。なんとなく予想は出来ていたが、敢えて分からないと答えておいた。
韵は表情を翳らした。言いづらそうに口を開く。
「————良い報せと悪い報せ、どっちが良い?」
「グッター、グデストか、それともバター、バストかってことか?」
訊いたのを更に聞き返した。韵は呆れた顔を作る。
「good(グッド)の比較級はbetter(ベター)で最上級はbest(ベスト)ね。あとbad(バッド)は比較級worse(ワース)で最上級worst(ワースト)だから。そんな学生みたいな間違いすんな!」わざとなのか、素なのかは分からないが間違いを指摘する。「てか、バター、バストって何よ」
「バターとオッパ」
「死ねや」
真顔で禁止ワードを吐いた嗣を瞬殺。訳の分からない会話である。
しかし山縣の顔は一変する。真面目な眼差しになり、嗣を捉えた。
「どっちからが良い——って言うのは愚問だと思うから、まずは良い知らせからね」一呼吸置く。「吉田は生きてた。目撃証言あり、吉原に停滞中よ」
聞いた嗣の目が見開かれる。彼は視線を落とし、そうか、と続ける。韵は次に繋げた。
「ベストな情報は、吉原からの脱出法が見つかったって話」
「なんだと !?」
思わず韵の言葉を聞いた瞬間に声を跳ね上げ、韵に詰め寄った。彼女は「落ち着いて」と宥める。
韵はある程度手順をおって説明する女である。なので、この"良い知らせ"も恐らくこのあとにどんでん返しがやってくる筈なのだ。そう察知した嗣は静かに言葉を紡いだ。
「つーこたぁ、この後にどんでん返しか?」
山縣韵は短く黙り込んでから
「正解。どちらかって言うと悪い方が多いしね」
と空を仰いだ。雲一つ無い蒼天を、哀しみを込めた黒真珠に映していた。
「吉原の脱出には、あんたのトコにいる琳邑しか居ないって訳じゃなかった。————"純粋な"妖魔さえ倒してしまえばこの吉原から妖魔は消え失せる」
「純粋な……?」
「そ、純粋な」考える嗣に韵は攻め寄った。童顔の鼻が顔に付きそうだ。「多分あんたは接触してる筈よ。————仙翁って言うのだけれども」
嗣の脳裏に先月末に戦った女が蘇った。不気味な笑みを含ませ、圧倒的に近い戦闘能力の妖魔————琳邑を謀り、力を奪った妖魔。"純粋な"という意味は理解できないのだが、流れ的に妖魔の中でも馬鹿強い範囲に含まれそうだ。
「説明を頼む」
顔を合わせず、端的に乞う。慣れている韵は応えてやる。
「妖魔って言うのはね、完全に妖魔って奴は一体しか居ないのよ。つまり、核ってやつね。そいつを倒せば吉原を巣食う妖魔はぜーんぶ消え去る————。そして妖魔が増える原因、他の妖魔の正体ってのは」
韵は饒舌に説明していた。嗣は一字一句聞き逃さない。同時に、ひらひらと舞う右の袖を眺めながら男は考えていた。——そうなった訳を。