複雑・ファジー小説
- Re: 吉原異聞伝綺談 *卯月【了】 ( No.78 )
- 日時: 2011/05/28 12:39
- 名前: 朔 ◆sZ.PMZVBhw (ID: rbVfLfD9)
- 参照: テスト終了。今更ながらこの作品は妙に女性陣の方が多い(笑)
韵は一呼吸置いた。喉の置くに言葉が引っ掛かっていたらしい。が、彼女は無理矢理に吐き出した。
「核となる妖魔————"仙翁"以外は、元は人間よ」
その言葉は嗣を貫く。気にも止めず、中身の無い右袖を見せた。手で持ち、晒す。
「妖魔って言うのは、仙翁に"種子"を埋め込まれてなるものなのよ。でもすぐには妖魔にならない。なる条件って言うのがあって、それをこなしすぎると妖魔になってしまう。…………杉田先生は、それを"妖魔化"って呼んでるわ」
そうか、と呟く。杉田という名を聞いて、自分達の担当医の杉田要を思い出した。三十代後半、眼鏡をかけた医者だ。巴の目の移植手術を行ってくれた人でもある。
サングラスを押し上げる。山縣の話には、未だ"最低の知らせ"が無かった。と思った嗣が聞こうとした瞬間に韵は口を開いた。
「あたしと、入江先輩。シホリに井上、クサカのチビは、先日仙翁に会ったの」
出たのは巴の命やら趣味やらで吉原からの脱出手段を探っていた人々の名前だった。嗣が琳邑奪取担当と同時進行で活動している。
「で」
「全員、種子埋め込まれちゃったってワケ」
彼女は袖から手を離し、空中で揺らした。呆れたような顔になる。
「私は右腕に埋められたから切り落としたし、入江先輩は目だったから抉り取ったよ。
でも、シホリと井上、クサカのチビは心臓に埋められたみたいだからいつ妖魔になるか分からないってね」
嘗て、嗣らが通っていた松下村塾の中でバミューダトライアングルと呼ばれていた伊藤熾織、井上珊瑚、桂巴。女子でありながらも強烈なキャラと色んな意味での強さを持った三人が皮肉にも危機的状況に陥っていた。嗣は愕然とする。クサカこと久坂扈雹と入江先輩こと入江蕀も、塾生の中でも【四天王】というものに数えられる塾生のうちの二人だ。更に久坂は塾生最年少でありながらも、同じく四天王である嗣と並んで【双璧】と称される。まさかとはいえ、やはり信じがたい。
「————そりゃあ、辛かったな」
ごく当たり前の言葉しか出ない自分が哀しい。韵は帽子の鍔を下げて目元を隠す。噛み締められた唇が小刻みに震えていた。涙を堪えているらしい。——涙を堪えながらも韵は続けた。
「妖魔を完全に排除するには、核である仙翁を倒さなければならない。シホリにクサカ、井上が妖魔になる前に倒さなきゃ、彼らが妖魔になるのも時間の問題になってくるの」
鼻水を啜る。涙声を鼻声で誤魔化していた。嗣は口すら開かず、ただただ茫然と聞いていた。
「あとは、新撰組が入ってきたのと、吉田の江ちゃんが敵対ってくらいかな」
しかし、残りの言葉は嗣の耳を通過するだけだった。
◇
琳邑は店先でぼんやりしていた。チェンは先程トイレに行ってくると言って、店内に去っていった。ぼんやりしているのもどうも申し訳無いと思い、草むしりを始める。細い指が草を摘む。緑の薄い刃が白磁の指先を切った。紅い液体が染み出す。止血方法のわからない琳邑はじっとそれを見詰めていた。
「あ、血が出てるよー」
背後からした子供の声に振り向いた。琥珀の目に、黒髪をポニーテールにし、桃色の桜柄の着物を着た幼い少女だった。まだ十を越えているかいないか……。兎に角その娘は琳邑に寄り、彼女の出血している指にそっと触れた。大きく丸い琥珀玉の視線が琳邑の紫に合わさる。
「止血しないの?舐めるといいよ」
「え……あ、うん」
言われてよく分からないまま舐めてみる。口腔に鉄の味が広がった。苦いような、よく分からない気持ちの悪い味覚だ。思わず顔をしかめる。こんなことをして血が止まるのか分からなかった。
口から指を抜いてみる。まだ出ていた。すると子供は琳邑の指を取り、舌で傷をなぞった。離してから暫く傷を指で押さえ、血を出しきらせる。軈て、血が止まり、子供は手を離した。どぎまぎしながら琳邑は頭を下げる。
「いいよ、いいよ。ひなにはこんなん朝飯前だもん」
にへ、という奇妙な擬音を出して笑う。琳邑はふと気が付いた。周囲にこの娘の親らしき大人は居ない。子供が一人だと危ないと嗣から聞いていた琳邑は、訊いてみる。
「えと、お父さんやお母さんは?」
「はぐれちった♪」
速答。子供は可愛くウィンクする。はぐれたと聞いた琳邑の中に不思議な感情が芽生えた。血を止めてくれたお礼に何かしたくなったのだ。両親を探すのを手伝うのが一番のお礼に思えた対妖魔用の兵器は立ち上がって娘の手を引いた。くりくりした目が不思議そうに琳邑を見る。
「手伝います。えと、私は琳邑————で、貴女は」
チェン曰く、まず自己紹介するのが良いらしい。なので名前だけ名乗っておいた。少女は琳邑の名を二度三度繰り返してから、
「ひなは近藤鄙子っ。ヨロシクね、りんちゃんっっ」
と溌剌に言ってから琳邑に抱きついた。琳邑は声に力を込め、右手を握りしめる。眉毛を吊り上げて鄙子に言った。
「よしっ、では行きましょうっっ!」
◇
「りん————……」
用を足し終え、ひょこりと引き戸から顔を出す。しかし、彼の緑の目の先には誰も居なかった。室内に入った記憶も無いチェンは不審に思う。琳邑が店先に居るはずなのだが。ふらふらと歩いて行ってしまったのだろうか。
だとしたらマズイ。何がと言うと、彼女は何だかんだ狙われている存在だからだ。この世に存在する全ての物質の概念————理を破壊する力を持つ兵器であるために、討幕派から妖魔までと何気に幅広く狙われている。仙翁の様に人に化けて彼女を貶め、力を奪おうとした輩も居たのだから、無垢で何も知らない彼女を一人歩かせるのは危険だった。嗣とチェンの間では「一時休戦」としているが正直なところ、吉原に流された反幕府勢の輩が狙っている可能性も零では無い。あのいい加減な高杉嗣のことだから、仲間になど連絡していないのだろう。
と考えたら溜め息が出た。嗣がどこかに行ったのを思い出し、琳邑も後からついていったのかと淡いものを持つが、すぐに切り捨てる。歩く十八禁の危険人物と少女を二人きりにさせれば何があるか分からないからだ。なので更に焦る。下手をすればその方が危ない。
「追わなきゃだっ!」
革靴を履いた足を跳ね上げてポンと飛び、追うようにした。が、そこで何処に行ったのか分からないのに気付く。
「って俺分かんないじゃん !!」
糞つまらないノリツッコミの最中にチェンは殺気を感知した。僅かすぎて気付くのが困難な殺意である。空気の揺れから何が来るのか察知し、構えた。
何かが宙で弧を描く!銀閃が刃物の足跡だと理解するのに少しかかったが喰らいはしなかった。次に来ると思い、取り合えず店に被害を与えぬように移動。剣先が追うように放たれた。
「っあ————!」
チッという掠める音がした。が、気に止めない。危険を察知、右に躰を倒す。漸く刀の主が現れた。端麗な顔立ちに柔和な表情。棚引くのは纏められた肩幅まである艶やかな亜麻色の流れ。浅葱の下地が白抜きされた羽織が嫌なものを掻き立てた。素早く回り込み、足を放つ。相手の右足に向かって発射し、倒そうとしたが読まれていた。刃がチェンの金糸の頂点を摺り斬る。銀灰色の瞳は笑いながらも殺意剥き出しで少年を捕まえていた。
「……あんたが何なんだよっ」チェンはナイフを投げた。剣戟。逃げる。「なんで居るんだッッ」
乱れた亜麻色の髪と呼吸を整えた浅葱の羽織の男は笑む。男性よりも女性寄りな、中性的の顔立ちは笑いつつ鋭い。
「高杉嗣に邪魔されて[RIN-YOU]も連れ戻せずにぶらぶら。————近藤局長から直々に言われて君と彼女を連れ戻しに来たんだよ?」
無垢な殺意が恐怖を掻き立てる。この男は琳邑を奪取し失敗したチェンを殺すつもりなのだ。
「お、沖田総爾郎————新撰組一番隊組長っっ……」
名を紡ぐと、沖田は笑った。無邪気だ。
「チェン・フェルビースト君っ♪残念ですけどね、局長は決めちゃったんだよ。
兵器は僕らが連れ帰る。高杉を始めとした討幕勢は皆殺し決定。
そして、君も失敗したから要らないって僕らのコワーイ土方副長も仰ってましたとさ」
沖田は刀を振り上げる。下ろす瞬間、その僅かな秒を読み取ったチェンは跳躍した。