複雑・ファジー小説

Re: 吉原異聞伝綺談 *更新完了 ( No.95 )
日時: 2011/08/08 18:19
名前: 朔 ◆sZ.PMZVBhw (ID: rbVfLfD9)
参照: 糸色 イ本 糸色 命




——————闇に沈む。

見慣れた背中に違和感を感じた。

『やっぱりチェンは駄目ね』

血のように紅く染められた妖艶な中華服を纏っている支那人が呟く。寄り添う西洋人の男は彼女の肩を支えた。
『ああ、やはり駄目だ』
うっすらとした金の顎髯を撫でながら、彼は視線を落とす。女の支那人も、紅い唇から皮肉を漏らした。
『折角、御父様から名を戴いたというのに……。やはり、シェンの方が良い子だわ』

 世界が揺らぐ。

——————何だよ!!俺はあんたらの子だぞ!!
なのにどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。おれがおとうとよりもおとるとやゆしているのかおまえらは!!

 ————。

 チェンと言う名は母方の祖父から貰った名前だった。

 母・李煌蓮(り こうれん)は支那の中でも有名な科学者である父を持つ。彼女が恋慕したのは、偶然キリスト教布教に訪れた宣教師だった。そのまま二人は結ばれ、間に子を設ける。————それがチェンだ。

 しかし、チェンは父母の期待に応えられるような素質を持っていなかった。故に父母は絶望し、軈てもう一人を設ける。次男坊は天才肌で、恐ろしいくらいの環境適応能力を生まれつき備えていた。言わずともがな、両親がチェンを捨てて次男坊を溺愛した。一人残されたチェンは母方の祖父母に引き渡され、そこで成長する。


 今回の琳邑奪還は彼が名乗り出てもいた。
 上手くすれば、父母が認めてくれるという淡い希望を抱いて。
        ——————でも、それでも多分両親は俺を認めてくれなかったんだろうな。


 視界が拓ける。



「イツまで寝てンだよチェリーボーイ」

意識を失っているチェンの腹部を嗣はがさつに蹴り上げる。ハーフの少年が飛ぶ。途中意識を戻して悶絶しはじめた。苦しい顔をしながら怒りの形相を嗣に向ける。
「いってぇ!!何すんだこのエロ野郎!!」
怒鳴り散らしてから気付いた。嗣の他に、誰も居ない。久坂という人間を始めた誰も居ないのだ。
「アイツ等なら帰ったぜ?」嗣はまたいつもの調子で笑う。「宣戦布告が一名ってな」
「りん————は」
「まだ。どっか行ったのか?」
嗣の質問に咳をしながらチェンは頷き、小さく「一人で」と呟いた。しっかり聞き止めた嗣は足を踏み出す。チェンも起き上がり、続いた。


 久しぶりの夢を見た。
 ……しかも悪夢だった。

 それで殱浄計画のチームを思い出した。

 対妖魔用兵器開発チームの結束を強くするために、中心に居た李家は血族の者を開発チームの者と結婚させるという手段を取っていた。李家現当主の長女がチェンの母煌蓮で、妹の次女煌琳こうりんは開発チームで[RIN-YOU]誕生後に積極的に彼女の世話をしていた岩倉峰一という男に嫁いでいた。残念ながら煌琳は琳邑が産まれる前に死んだと聞く。—————今思い出してみると、母に見せて貰った生前の煌琳の写真は琳邑によく似ていた。峰一たちは今は亡き煌琳の面影を琳邑に求めたのだろうか。


————岩倉峰一は一体、どう感じたのだろうか。

 取分琳邑を可愛がり、庇ったのもなんとなく分かる気がする。

 そして、新撰組の沖田総爾郎の言葉。

『[RIN-YOU]だけ貰って、あとは殲滅だ』

幕府は間違いなく彼女を兵器として扱う。感情の芽生えてきた彼女から、きっと感情を奪うのだろう。だから、だからこそ。
「俺、幕府と戦うよ」
「————は?」
チェンの呟きに嗣は振り向いた。目が点になっている。
「琳邑は、兵器として使わせない」
意志のほむらともった真摯な翠眼が少年の顔で光を放っていた。紛れもない、揺るぎの無い意志がそこに在る。嗣は笑いを溢した。——随分なものだ。
「良いんじゃあねぇの?」
両手を後頭部で組み、口笛を吹きながら彼は歩む。チェンは焦って付け足した。
「あ、あと!!勿論倒幕派てめぇらと…も敵だ、だからな!」
「へぃへい」
「マジだぞ!!」
十七歳の少年が白髪の男に指を差しながら怒鳴り散らす。嗣はそれを軽く流しながら歩む。


「なら、俺も加わろっかね」




「いないよ」
鄙子を引きながら琳邑は表情を翳らせた。鄙子は唸る。——泣く様子は全く無かった。
「どこかなあ」
鄙子もキョロキョロと見回す。両親らしき人もいないみたいで、項垂れる。流石に諦めが現れ始めていた。一旦戻って、嗣たちの協力を得ようと思ったときだ。
「—————あ!」
急に鄙子が声を上げる。そして琳邑が訊ねるより早く、彼女は雑踏を慣れた足ですり抜けてゆく。琳邑も追う。
「待って」
髷をした侍、妖艶な花魁、土埃にまみれた農夫、商人、子供————それらを掻き分け、追い付かんとする。鄙子の姿が見えない。不安が過る。まだまだと掻く。徐々に人が減ってきた。視界が拓けてくる。でも鄙子は見えないまだ。

「あ……」
完全に人が居なくなった空間で、漸く鄙子の小さな後ろ姿を見つけた。彼女は両親だろうか——亜麻色の髪の青年と話している。
「ああ」
気付いた青年が柔和な顔を琳邑に向けた。少し間をとった後に鄙子も振り向く。親とするには若い顔立ちだった。麻のような色の地味な着物で、鄙子を抱き上げ琳邑に近付く。
「すみません、うちの鄙子が」
「いえ……」
少女は首を振る。青年はにこりと笑った。
「そうちゃんは、ひなのお兄ちゃんだよ」
「ふぇ?」
親かと聞こうとしていた琳邑は突然言われて驚きの声を上げた。青年は鄙子の背中をポンポン叩きながら琳邑に名乗る。
「ええ、歳が随分離れていますが……。総爾郎と申します」

随分と礼儀正しい青年だ。彼は深々とお辞儀をした。琳邑も吊られて頭を下げる。頭がもとの高さに戻った時には、彼らは少し歩み始めていた。
「有り難う御座いました」
総爾郎は丁寧にまた頭を下げる。戻してから、今度は鄙子が手を振りながら笑う。
「また会おうね、りんちゃん!!」
「————うん!」
琳邑も元気に返した。——嬉しかった。不思議と嬉しかった。理由は分からないが、兎に角嬉しかった。自然と笑いが込み上げてくる。

 二人の背中が視界から消えていくまでずっと、その場で止まって見続けていた。



 姿が消えると、今度は背中から不思議な気。彼らに違いない。
「琳邑」
低い声がして、振り向いた。白髪にサングラスと、一風変わった男に緑を基調とした中華服を纏った金髪の少年。高杉嗣とチェン・フェルビーストだ。
「嗣……さ」
「帰るぞ〜」小さな琳邑の頭に嗣の大きな手が被さる。「あと、呼び捨てにしろや。暫く一緒だから、な」
「うん」
ぶっきらぼうな優しさが嬉しい。嬉しさに頬を紅潮させた。それを疎ましそうにチェンが見ている。

「ずるい」チェンから重い恨みが漏れた。「ずるいずるいずるいずるいずるい!エロ魔神のクセに!」
「なんだ、嫉妬か〜?」
琳邑を背中に背負い上げた嗣が卑しく笑う。チェンは人指し指を向けた。
「るせ!! お前みたいな変態に琳邑なんて任せられないからな!ふざけるなよ!!」
子供らしい嫉妬丸出しだった。

その様子が可笑しい。嗣の肩から顔を覗かせて、
「大丈夫です。チェンも好きだから」
と琳邑は笑う。聞いたチェンの顔が一気に赤く染まり、気絶。その場に倒れる。
「あー…………」
ズシン、と音を立てて倒れたチェンにしゃがみこみ、嗣はつつく。彼は完全に気を失っていた。
「…………?」
「こりゃあ、先が思いやられるな」
鼻で笑い、琳邑を下ろす。そしてチェンの腕を持ち、ズルズルと引きずり始めた。もう片方に琳邑。左右に同年代の子供を連れて、嗣は歩む。

 琳邑は安堵していた。彼らなら信用に価する、と。









 雑踏から外れ、静まり返った薄暗い細道。痩身の青年が、彼の下半身までくらいしかない身長の幼子に手を引かれて歩いている。草鞋が地面を擦る音くらいしかしていなかった。幼い顔の少女が口を開く。
「そうちゃん、そうちゃん。ひな、会えなかったらどうしようかとおもってたよ?」
「もう良いでしょう、局長。そうちゃんから戻してくださいね。
————そして流石の名演技でした」
男、沖田総爾郎は少女に対して言う。少女は幼い顔に付いた小さな唇を両側に吊りあげた。ニッと笑う。
「うん、助演女優賞ぐらいは貰いたいね」
先程までの幼い喋り方から一転、急にぐんと大人びた口調になる。先程まで丸かった目付きも鋭くなっていた。琥珀の眼光が放たれる。
「恐らく、僕くらいの立場にいる人間じゃないと貴女が新撰組局長近藤鄙子なんて気付きませんね。——流石すぎますから」
肩に付くくらいのまとまった亜麻色の髪を揺らしながら、沖田も銀灰色の眼をぎらつかせる。鄙子は無邪気な笑みを浮かべ直した。
「久しぶりに浅葱色の羽織を脱いだ気分だったし。——ひじーの選んでくれたこれ、結構気に入ってるんだよ?」
そう言って来ている桃色の羽織の両そでを持ち、広げて沖田に見せる。鏤められた桜の柄が可愛らしさを出していた。サイズも雰囲気も、彼女にぴったりだ。


 鄙子がぴょんと跳ねる。沖田は後を静かについていく。軈(やが)て、二人は目的の場所へ到着した。巨大な武家屋敷——新撰組の屯所へと。
「やっぱり、[RIN-YOU]には感情が芽生えつつあったね」
厳かに建っている屯所を眺めながら、鄙子は言った。沖田は彼女に浅葱色の羽織を渡す。——背中に背負っていた風呂敷から出したものだ。それを羽織りながらの鄙子は続けて言う。
「理の力ごと、[KAN-OH]に取られたものかと思ったけれど」
「そんなことなかったわけですね」
「そうだねえ」
身長に合わない羽織を着、背中をピシっと整える。皺は取れない。下は引きずっている状態だ。
「サイズの検討をしましょうか」
心配そうに訊ねた沖田を鄙子は手を出して、「いい、結構」と断る。沖田は直ぐに下がる。


「おっきー」

屯所の入り口に立った近藤が寄り添っていた沖田を見直し、名を呼ぶ。同時に彼女の後ろに多くの浅葱色の羽織を羽織った者達——新撰組の隊士が並んだ。壮大な景色が完成する。
「なんでしょう、局長?」
その場に跪く。鄙子の右隣りには副長の土方空華が立っていた。左隣には参謀の伊東続紅と伊藤槝緒。直ぐ後ろには各隊の組長が整列。更に隊士が組ごとに別れて並ぶ。誰も微動だにしていない。ただ、沖田の並ぶべき場所——一番隊組長の場だけが空いていた。


 近藤鄙子の琥珀鈺が妖艶な光を宿す。黄昏に照らされ、更に怪しさを増した。浅葱色の羽織が光に染まり色を変え、白抜きされた所が美しく染められる。そして新撰組局長が一声。






「新撰組を、始動する」







【皐月 了。】