複雑・ファジー小説

Re: 黒の魔法使い*71話更新  ( No.182 )
日時: 2011/08/02 15:12
名前: 七星 (ID: A53dvSWh)



Episode72 [マリオネットの少女の笑顔]


死ぬ覚悟より戦う覚悟を。
戦う覚悟より生きる覚悟を。
生きる覚悟より守る覚悟を。


「…なぜ?」
小さい小さい声が聞こえた。
「…なぜ、戦う、の…?」
こてん、と首を傾げながらしえみは問う。腕に抱えたぬいぐるみを微かに握り締めていた。
「お前たちは協会の人間を傷つけ、協会を襲った。」
「…なぜ?」
「なぜって、」

「なぜ、それだけで?」

ぴたり、と悠の動きが止まった。しえみは表情一つ変えず、その場に立っている。
『それだけ』。その言葉がいやに耳についた。ただ純粋に。なんの感情も持たず。
こいつは、と悠は背筋に寒いものを感じた。そして、理解した。
目の前の少女は、協会も教団も人間も、なにもかもどうでもいいものだということに。
「っ、」
頭に過ぎるデジャヴ。
セピアの記憶の中で、そこに自分はいた。
どうでもいい。なにもかも。どうでもいい。自分さえ。
どうでもいい。
どうにでもなればいい。
だって、ぼくは、


『お前はここにいるだろ。』


「……っ!!?」
深い海の中に沈みそうになっていた自分の精神が再び浮上する。
いつの間にか止まっていた呼吸を再開させ、深く息を吸い込んだ。
「悠、さん…?」
「馬鹿みたいだ。」
くしゃ、と頭をかきあげ、ゆらりと目を細めた。今までの悠の身に纏っていた雰囲気ががらりと変わる。
「僕としたことが、こんなにも冷静を欠くなんて…、きっと焦っていたんだろう、もしかしたら、『あいつ』に嫉妬していたのかもしれない。だからこうも僕らしくないことを…、」
「…?」
「どうしたん、ですか?」
「忘れてたんだよ、まったく。」
ぶわあ、と悠の足元から炎が巻き上がる。円のようになぞって燃えるそれは悠を取り囲んで火柱を上げる。
「結局最終的には、こう落ち着くわけさ。」
炎の中、少女のような顔立ちの美少年は、髪を炎の存在によって現れた風に勢いよく靡いた。

「僕は僕だ。」

炎が吹き荒れる。しえみは動揺したかのように一歩下がった。それでもすぐに建て直し、ビリカを悠に向かわせようとする。
けれど、できない。
「…っ!?」
「残念だったな。」
その焦ったしえみの様子に悠の声が被さった。
「ビリカの糸はもう焼ききったさ。魔力でコーティングされたと言っても所詮その程度。それ以上の魔力を使えば造作もない。」
「わ、ほんとだ動ける!」
「…貴様は今気づいたのか。」
その様子を見ていたしえみの額に微かに汗が浮かんだ。
「…、『————』!!!」
誰にも聞こえないような小さな声で、詠唱するが、それを悠は見逃さない。
「——一つ、聞こう。」
炎に照らされその体は赤々とその色に染まっている悠。わき腹は血で汚れて、とてつもない痛みを感じているはずなのに、涼しい顔で炎の中、堂々と、気品さえ漂うような振る舞いで、気品さえ纏い、そこに立つ。
「——自分ではなく、人を使い、戦おうとする卑怯な人間に、」
かつ、かつと炎自身の周りに携え、しえみの方に歩いてくる悠。
「——僕が負けると、思ったか?」
「…………っ!!!?」
悠はしえみに手を伸ばす。もうだめだ、とでも言うかのように、しえみは固く目を瞑った。

「馬鹿か。」

けれどしえみに襲ったのは、強い痛みでも、激しい熱でもなく、腕に持った何かがすり抜ける感触と、額に起こった何かの衝撃で。
「っ!?」
思わず目を開け、額に両手を当て、口をぱくぱくしながら目の前の悠を見つめるしえみ。
辺りにあった炎をいつの間にか消え、残るのは微かな熱だけ。
悠はしえみの手に持っていたぬいぐるみを、放り投げ、燃やした。
「まぁあれが君の『杖』だろう。」
「…、」
「これで貴様は強い魔法を使えない。つまり僕の勝ち、でいいね。」
しえみはしばらくじっと悠を見つめていたが、やがて勝算はない、と考え、こくん、と頷いた。
「なん、で、殺さな、いの…?」
「さぁ?僕にも『あの馬鹿』の病気が移ったんだよ。不本意だけど。」
そうつまらなそうに言うが、悠の顔は穏やかだった。
「…初め、て、人に、優しく、さ、れた…。」
「…、」
「初めて、教団、いが、いの、人、に…。」
にこり、としえみが笑った。」

「あ、り、がと、う。」

「…っ!!?」
悠は動きを止める。
ビリカが駆け寄ってきても、悠はしばらく動けなかった。