複雑・ファジー小説
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.1 )
- 日時: 2011/03/08 22:44
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: tQGVa0No)
序章
星一つ見えない夜空から小高い丘へと、ただひたすら雪が降る。それは綿のように幻想的で優しいものではなく、大きく硬めの小石のような雪だった。
そんな丘の坂道を一人の少年が行く。降り続く雪とは対照的な真っ黒の服を着て、この寒い中、なぜか右腕だけむき出しにしている。髪は黄緑色の短髪で、額には剣のような形の黒い紋章があった。だいぶ雪が積もっているというのに、少年はまるで舗装された道を歩くように平然と進んでいる。普通の少年ではないということが、これだけで十分すぎるほど分かるだろう。
坂道が終わると、少年はふと足を止めた。そして木以外、何も見えないはずの正面を無感情な碧眼で見つめる。
次の瞬間、突然少年の姿が消えた。いや、“消えた”というのは不適切だろう。正確には、常人ではありえないほどの速さで“移動”したのだ。
少年が再び姿を現したのは数百メートル先の山小屋前。五十人ほどの男の前に何の前触れもなく出現した。
「“山賊団”バイロだな?」
少年は静かに、そして淡々と彼らに訊いた。答えは、求めていないのだろう。およそ人らしい情の欠片も見えない、冬の海のような暗く冷え切った目つき。“山賊”たちは彼を見ると急に青くなり、震える手で武器を構えた。
「てめぇは、“氷心”……」
「王の命だ。消えろ」
少年がつぶやくと、“山賊”の一人がいきなり斧を片手に斬りかかってきた。よく磨がれた大きな斧で、一振りで十分、人一人を殺せるだろう。しかし少年は相変わらずの無表情。それどころかその場を一歩も動こうとしない。
斧が、彼に振り下ろされた。普通ならこれで少年の血が辺りに飛び散るはずだった。
しかし飛んだものは、“山賊”の首。降ってくる雪と真っ白な地面を赤く染めながら、首だけ仲間の元に帰っていった。
少年を見ると、奇怪なことに右腕が巨大な刃と化していた。そして血の滴るそれを山賊のほうへ向けると、その姿は先程のように消え、一番後ろにいた“山賊”の首領の前に立った。彼の後ろには五十あまりの切り刻まれた死骸。すべてこの一瞬での出来事だ。
「貴族殺しの罪は重い」
少年は首領に感情のない声で曰く“山賊”に呟いた。彼にとって“貴族殺し”は正直どうでもいい。大切なのはその“王の命”を忠実にこなすことだけだった。
「罪のない民を殺して、何が貴族だ!? お前も平民だろう? なんとも思わないのか?」
首領は必死な形相で少年に訴える。別に助かりたいからではない。平民であるのにも拘らず、王の元で戦っている彼の目を覚ますためだ。彼の力は国中が認めている。もしそんな彼がこの“山賊”たちのように反政府運動に立ち上がったら、間違いなく国は変わる。それを首領は期待しているのだ。
「違うな」
しかし少年はそんな必死の説得に、ただ一言返しただけだった。答えが短すぎる、と首領は反論しようとしたが、その口に突然厚い氷が張り付いてきた。少年が表情を全く変えないことから、これが彼によるものだということは容易に想像できる。
「俺は王の兵器。平民でも貴族でも、何より人間ですらない」
一+一=二とでも言うような口調だった。その言葉に首領は殺されかけているというのに怒りや憎しみといったものではなく、哀れみに近い悲しそうな表情をした。
そんな男の胸を無情の刃が貫く。彼は先程の悲しみを湛えた表情のまま絶命した。
それでも少年の表情は変わらない。そしてその表情のまま“山賊”たちの残骸の上を歩き、血の臭いが蔓延する丘を静かに降っていった。
昔、この世界には神がいたと古い伝承に残っている。
それによると、かつてその神々は二手に分かれて戦争をしていたという。そのうち一方の神々は選ばれた人間達に力を与え、もう一方の軍と戦った。そして多くの犠牲の果てに人間と共に戦った神々はやっとのことで勝利したらしい。
普通、その類の伝承は単なるおとぎ話として片付けられる。この世界では他にもいろいろな伝説が残っているが、それらはほとんど人々の信を得ていない。しかし、この伝承だけは例外で、歴史的事実として語り継がれていた。
その理由——それは世界にそれが現実にあったことを裏付ける証拠がたくさんあることだろう。その中の一つに神々が人間達に与えた二つの力がある。
一つは“氣術”と呼ばれる火、水、風などの自然を操る力。しっかりとした理論は分かっていないが、百人中一人くらいが使える便利な力だから人間達に大変重宝された。
もう一つは“印”と呼ばれる極々限られた人にのみ扱える力。ある日突然体のどこかに“印”が現れ、常人ではありえないほどの身体能力と“どんな言語でも話せるようになる”などの特殊能力を手に入れる。世界に多くても十数人しか存在しないこの力を持つ者達。
故に人々は彼らの事を“ノーテンス(神に愛でられし者)”と呼ぶ。
これはそのノーテンスたちの物語である。