複雑・ファジー小説
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.10 )
- 日時: 2012/03/10 23:08
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: Pc9/eeea)
素早く分かる(?)前回までのあらすじ
奴隷の少女、エリスと暮らして二年。生物兵器アレスは人並みの幸せを噛み締めて、日々を穏やかに過ごしていた。
だが、歴史は動く。シアラフ王国第一王子アレンの挙兵。後に変革のハジマリと呼ばれる、シアラフ反乱が始まったのだ。
変革のハジマリ(二)
もう季節は春だというのにこの辺りでは雪が降る。銀世界、と言ってしまえば聞こえはいい。だが、そんな言葉が通じるほどシアラフの雪は優しくはない。殺人的、という言葉のほうがむしろしっくり来る。
本来、戦いは雪解けを待って起こすものだ。雪が降っていては戦いにくい上に、被害も大きくなる。では何故この時期を選んだのか。理由は一つしかない。春と呼ばれるこの三ヶ月と、気温がやっと氷点下を抜けるひと月ばかりの夏。そうではない時の雪は、今以上に厳しいものとなるのだ。反乱軍としても国王軍としても、最低でも五ヶ月以内には戦いを終結させたいところである。
そんな厳しい自然環境のシアラフ。最近の研究では昔からずっとこのような気候ではなかったことが明らかにされている。古の戦争。伝説上では神々の対立から起きたとされるその戦い。それ以降、世界中の自然環境はそれ以前と比べ物にならないほど、がらりと変わってしまったらしい。
そんな環境の急激な変化の中、植物なども進化した。たとえばシアラフでは細い野花などこそ咲かないが、強く丈夫な木なら育つようになった。それのおかげでシアラフは農産物不足を何とか補うことができている。
苦しい中、健気に葉を付け、また実をつける。そんな姿は日々の生活を懸命に生きているシアラフ平民の希望の対象だった。反乱軍の本陣はバーティカル大公爵家居城のレイルリモンド城。しかしどこかへ戦いに行く時は、必ず森に陣を構える。それは森という地形の攻めにくさと、木が平民兵達にもたらす力を考慮しての選択だろう。
シアラフ王国タイミル領の森の中。その先にある国王軍の部隊を襲撃するため、反乱軍はそこをタイミル攻めの拠点としていた。兵士と思われる人々はテントの用意をしたり、夕飯の支度をしていたりしている。着ている服などはお世辞にも良いとは言いがたい。しかし表情は生き生きとしていて、場違いのように見える笑顔もたびたび見られた。
「やはり、雪は止まないか」
人々から少し外れたところで、軍の中では珍しくしっかりとした服を着ている青年がつぶやいた。反乱の首謀者である第一王子アレン=ロシュフィードだ。長い黒髪は後ろで一本に結び、吸い込まれそうなエメラルドグリーンの目は、止まない雪をひたすら見つめていた。
「こればかりはどうしようもないですね、アレン様……なんなら俺達だけで行きますよ」
影のようにひっそりとその隣に佇んでいる、くたびれた軍服を着た、黄緑色の髪の青年が言った。両耳には赤いピアスをつけている。もともと背が高く精悍な顔つきをした彼を、そのピアスがよりいっそう引き立てていた。
青年の名はリョウ=レヴァネール。王の兵器として名高い“氷心”ことアレスの実兄である。
「ありがとう、リョウ。でも、革命は全員で行うから意味があるのだ。それに、君は……」
アレンは途中まで言ったが、突然黙ってしまった。そして気まずそうに視線を下に落とす。リョウは彼が何を言おうとしていたのかを瞬時に察し、降り続ける雪を目に映しながら言った。
「……弟のことですか? それなら気にしないでください。あいつとは最後まで家族になれませんでしたけど、もういいんです。あなたの道を阻むものには、非情になれます。いくら弟でも、殺す……殺す覚悟は、できています」
リョウは最後のほうで詰まりながらも言い切った。本当は弟と手を取り合って生きていこうとしていたのだが、彼にはどうしても譲れないものがある。それは忘れもしない、今と同じ雪の日の出来事。
——リョウ、王子を、アレン様を、支えてくれ……俺の、代わりに。
彼の脳裏に、ある人の顔が浮かぶ。オレンジ色の髪をした血まみれの青年。ほとんど残っていない命の中で微笑み、そして生きる目的をリョウに与えた人。
彼の手は思わず右耳の赤いピアスに伸びた。全てを与えてくれた人からもらった形見の品。その人の想いが詰まった大切な宝。
雪が降る。ただひたすら、心で泣く青年を隠すように、雪が降る。
雪で隠れるのなら、誰も苦労はしないというのに、その場しのぎと知りながら、心の半分、雪に埋もれて、残った半分のために突き進む。
雪が溶けたときのことも考えずに……。
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.11 )
- 日時: 2011/04/02 00:26
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: tQGVa0No)
「あ! リョウ兄。いい所に」
王子と別れて、夕飯を作っている人たちの所へ行くと、オレンジ色の髪をした少年が両手を大きく振りながらリョウに話しかけてきた。目は明るい黄緑色で、歳は十五、六だろう。立ち振る舞いは無邪気で幼げに見えるが、服の上からでも分かる足や腕の筋肉は大人顔負けで、しっかりとした武術の訓練を積んできた者であることは容易に分かる。そんな彼の前には原形を留めないほど粉々に切り刻まれた何かと、皮を剥いていないジャガイモがずらりと。リョウは唖然として少年を見た。
「えっと、ティム……何がしたかったわけ?」
「ジャガイモの皮を剥けって言われて、剥いてたらこうなった」
恐る恐る訊いたリョウに少年——ティムは笑顔で切り刻まれた何か、もといジャガイモを指差して答える。人生スマイルが大切だというが、己の置かれている状況を理解しないでのんきに笑うというのもいかがなものか。ただでさえ物資が足りていない反乱軍。ジャガイモ一つでも無駄にはできないのだ。
「笑い事じゃねーよ! てか、ロイドはどこ行ったんだ? あいつなら皮むきくらいできるだろ」
「んー、バーティカル大公にそんな泥仕事させてはいけないって、テントのほうに連れてかれた」
呆れた口調で言うリョウに、ティムは相変わらずの平和な表情で答える。説教に飽きたのか左手は机に乗せてあったナイフに伸び、それを器用にくるくると回し始めた。リョウはその様子を見て、深くため息を吐く。
ちなみに先程リョウの言葉の中に出てきた“ロイド”とは、シアラフ王国国王の甥で、現バーティカル大公爵家当主の少年である。リョウとティムの二人とは天と地ほどの身分の差があるものの幼馴染で、今回の反乱には彼の従兄に当たるアレン王子に付き従う形で参加している。
「まったく……ほれ、貸してみろ。俺がやってやるから」
リョウがティムに向かって片手を差し出すと、ティムはまたにっこりと笑ってナイフを手渡した。この兄分に任せておけば、何の心配もないことはよく分かっているのだ。夕飯までもう時間がない。ナイフを持った後のリョウの目は静かに、それでいて強い光を放っていた。
一呼吸置くとリョウはまず手始めに近くのジャガイモに手を伸ばす。そして手馴れた手つきで皮を剥き、次から次へと処理していく。鮮やかに、無駄なく。
「これでいいか? ティム」
「うん。ありがとう、リョウ兄」
全て終わってナイフを手渡すリョウに、ティムは素直に礼を言う。先程まで無残な姿を晒していたジャガイモもどきまで、使える部分をかき集めて何とか調理できるようにしっかりと手を加えていた。ここまでくると“流石”の一言に尽きるだろう。
「どういたしまして。でも、兄弟って面白いな。シン隊長はあんなに料理上手かったのに」
リョウはそう言うと悲しそうに微笑んだ。耳のピアスは夕日に照らされて赤く輝いている。
彼はいつもそうである。その“シン隊長”、という人のことを思い出すたび、ふいに悲しさがこみ上げてきて、ごまかすかのようにそっと微笑む。
「リョウ兄は、まだ兄さんの影を追っているんか?」
兄分のそんな表情の変化をじっと見ていたティムは、目を合わせないでぽつりとつぶやいた。リョウは幼馴染の手の中にあるナイフを見つめながら無言で頷く。いつも無邪気なティムとは結びつかない大人びた雰囲気。リョウはこの感じを知っていた。不意に浮かび上がるかつて追い続けた大きな背中。そこからもたしかにこんな落ち着きが見られた。そう、今のティムは兄のシンとそっくりだった。
「でも、辛くない?」
そこでティムはやっとリョウの目を見た。雪国であるシアラフではあまり見かけることのない黄緑色。この国から出たことのないリョウはまだ見たことはないが、ここより南にある島国では、春にこのような色の草が多く見られるという。暖かさの象徴。彼の兄もまた同じ色の目をしていた。
「どうして?」
そんな暖かい色に触れ、リョウは少し穏やかな口調で答える。本当は訊くまでもなかった。ティムがそんなことを訊いた訳はよく分かっているのだ。
「だってリョウ兄は、シン兄さんの王子を支えてくれって願いのために反乱に参加してるんだろ? 弟と敵対してまで……。でも、兄さんはもういない。だから……」
ティムは必死で訴えかけた。自身にとってリョウは優しく良い兄である。彼は信じているのだ。この優しさに触れればアレスも人の心を手に入れると。
しかし、ティムの思いとは裏腹にリョウの表情は厳しかった。目は合わせようとしない。揺らぐわけにはいかなかった。やっとの思いで弟を殺すと決心したのだから。リョウは敢えて暖かさから逃げるようにすばやく立ち上がった。その顔に、少年の好きな穏やかな色はない。それは見方によっては冷酷とさえ取れる冷たい表情だった。
「シン隊長との約束のためなら何だってする。それが俺の生きる目的だからな」
一言一言噛み締めるように言うと、リョウは切ったジャガイモをボールに入れて、大なべのほうに一人早足で歩いていった。
夕日で伸びた二人の影は調理場を這う。長く、暗く。