複雑・ファジー小説

Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.14 )
日時: 2011/03/31 00:01
名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: tQGVa0No)

 次の日の早朝、いまだ雪は降り続くものの、反乱軍は拠点である森を出発した。兵数こそ多いが、装備はお世辞にも良いとは言い難い。元々搾取され続けていた平民達の軍など、所詮この程度だろう。また首謀者のアレン王子は、いかに第一王子とはいえども、王位継承権を移されたくらいの人物であるから、本来反乱が起こせるほどの経済力があるわけではなく、軍の資金は大公爵であるロイド=バーティカルがほとんど賄っているという状態であった。
 リョウはそんな軍の突撃隊の指揮を任されていた。最前線で戦う最も危険であり、また重要な部隊だ。彼が生物兵器の実兄だということは全員知っている。また、今は亡き天才軍人シン=ウェンダムの一番弟子だということも。彼の戦闘能力がどれほどのものか。そんなものはこの場合関係ない。先程述べた二つだけでも十分に旗として担ぎ上げる理由になる。生物兵器アレス、そして天才軍人シン=ウェンダムの名を知らない者はこの国にはいない。最強の生物兵器の血を分けた兄弟で、シン=ウェンダムから認められていた男。それだけで、自軍の士気は異常なほど上がる。リョウの力を理解している人がほとんどいない今は、彼の価値は所詮その程度でしかないのだ。
 そんな所以で旗印に推されたリョウ=レヴァネール二十歳。先陣を切るために先頭を歩いていた彼の視界に、一人の少女が入っていた。この辺りを歩いているということは彼女も突撃隊の一員なのだろうか。雪国らしい真っ白な肌で、長い髪はそれとは対照的に真っ黒。年齢はリョウの幼馴染のティムと同じか、もう少し下くらいだろう。どこか周りから浮いた雰囲気のある少女で、気になってリョウは彼女の隣に立って話しかけた。

「や! はじめまして」

 片手を挙げてにっこりと。リョウとしては、至って普通に話しかけたつもりだった。いや、リョウ以外でもそう思っただろう。その様子からは、持ち前の人懐っこさと人の良さが体全体からにじみ出ている。しかし少女はびくっとして、青い目を少し潤ませ、震えながら後ずさりしただけだった。

「あ、ごめん。俺はリョウ=レヴァネール。君は?」

 リョウは少し困り顔になり、それからすぐ気を取り直して柔らかい口調で尋ねる。周りから見たらナンパに失敗したように見えたのかもしれない。突撃隊の中では笑い声が沸き起こっていた。今はどちらかと言うと少女よりリョウのほうが所在なげにしているから、尚更そう見えるのだろう。少女はそんな彼を見て少し安心したのか、目を伏せながらだが、ゆっくりリョウの隣に立ち、小さな声で「エリス」とだけ言った。

「エリス。いい名だな。どこから来たんだ? 俺はバーティカル領の風の村からだけど」
「……どこかの山から。名前はよく知らない」

 リョウはその答えを聞いて、少女が先ほどひどく怯えた理由が何となく分かったような気がした。この山育ちの少女は、おそらく家族以外の人と話したことがないのだ。だから見ず知らずの人間にいきなり話しかけられて驚いたという訳だ。
 ただ疑問は残る。どう見てもこの少女に戦場は不似合いである。料理を作るなど、別に戦わなくても反乱に参加する方法はいくらでもあったはずだ。

「君は、戦うんだよな? 本当に」

 リョウは訝しげに訊いた。右手で自分のあごに触れ、少女の姿をもう一度上から下まで見ながら。考えようによっては、少し失礼かもしれない。少なくとも、人を物の品定めをするように見るのは褒められたことではない。しかし、エリスが気にした様子はなかった。さらにリョウを見て微かに笑う。

「大切な人が、国王軍にいるの。でもその人は本心から望んでいないと思う。だから私は説得して、あの人を束縛から自由にしたい。二人で自由に生きていける世界が、どうしても欲しい。——それより、あなたはどうして戦うの?」

 エリスの問いは突然だった。何故戦うのか。その答えは彼の中では正確に決まっている。だが、いざ口に出そうとすると、生物兵器である弟の顔が浮かんできた。
 リョウは少女のまっすぐな瞳から目を背ける。弟を殺す覚悟。それはある。そう自分に言い聞かせたが、それでもまだ未練を残している自分が腹立たしく、親指の爪を人差し指に強く押し付けた。そしてやっと少女のほうに目を向ける。

「アレン様の望みを叶えるため。亡き師との約束を果たすため、だな」
「そう。がんばって。できることなら協力するから」

 今度は微かにではなく、本当に少女は笑った。見る者を幸せにするまぶしい顔。彼女の笑顔はまさしくそれだ。弟のことで悩んでいたリョウはそれを見て、だいぶ気が楽になる。この笑顔を守るためにも弟とは戦わなければならない。そう思えてくるのだ。

「ありがとう。君の夢もできるだけ手伝うよ」
「それならね、少しの間でいいから傍にいて。リョウさんって私の大切な人にどことなく似ててね、落ち着いた気分になれるから」
「ん、そんなことでいいのならいくらでも。君の大切な人って、家族かい?」

 リョウがそう聞くとエリスはまたにっこりと笑った。最初の浮いた感じはもうどこにもない。一人の、普通の少女がそこにはいた。

「私を暗闇から救い出してくれた人。今では、兄であり弟であり、父でもあって、友でもある。私の世界そのものよ」
 
 この時、青年はまだ知らない。彼女が誇らしげに語った大切な人こそ彼が殺そうと決心した実の弟であることを……。
 時は待ってくれない。もう、国王軍との、兄と弟との決戦は目前に迫っていた。