複雑・ファジー小説
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.17 )
- 日時: 2011/04/02 00:23
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: tQGVa0No)
しばらく進み、小一時間後。とうとう国王軍との戦闘の火蓋が切って落とされた。先陣はリョウ=レヴァネール率いる突撃隊。この部隊は主にシアラフ王国軍平民部隊からの反乱参加者によって構成されている。
平民部隊とは、シアラフ王国軍の中で貴族以外の国民からの自主参加あるいは徴兵で成り立っている部隊である。戦闘の際は必ず最前線に配置され、死亡率は貴族部隊の比ではない。ただ、幼い子供でも入隊を認められているため、リョウのように親がなく生活が困難な子供の、唯一の生きる術として重宝されていることもまた事実。他の一般市民と比べて戦い慣れている彼らが勇敢に戦い、それを後方部隊の経験の少ない兵士に見せる。反乱のような、全員が戦闘経験者ではない場合によく使われる手段だ。
突撃隊隊長リョウ=レヴァネール。隊長と言っても、戦闘になったら彼は特命があるため、隊の指揮権を幼馴染のティムに預けて、自身は敵地最深部へ切り込みに行くことになっている。
ティムはかつて世界最強とまで謳われた天才軍人シン=ウェンダムの実弟。そしてその兄が愛用していた背丈ほどある大剣を引き継いでいる。彼もリョウと同じように、旗として役に立つということから要職に担ぎ出されていた。
先程少し触れたリョウの特命。それはこの軍の軍師を務めているカイ=シキスというアレン王子の側近から昨晩、言い渡されたものである。
内容は“最強の生物兵器の処分”。つまり、弟であるアレスを殺すように、ということだ。それを聞いたリョウの幼馴染であるティム=ウェンダムやロイド=バーティカル大公は、自分達が代わりにその特命を受けると即座に言った。しかし軍師からも、またリョウからも“待った”が掛かる。この軍の中でアレスと戦う力を持つのはリョウだけ。それを軍師もよく理解していた。
リョウは六尺棒(身長より若干長い棒)を手に、単身で戦場を駆けていく。彼に敵う者は誰もいない。たとえ生物兵器であってもリョウは的確に急所を突いて、死に至らしめていく。シアラフ軍の旗は、ただのお飾りではない。それを証明するには十分すぎる働きぶりだ。その顔に、昨夜森で幼馴染に見せていたような穏やかな色はない。“鬼神”という表現がちょうどしっくりくるだろうか。最強の生物兵器の実兄。今の彼を見たらその言葉に誰もが納得するだろう。
(迷わないと、決めたんだ。俺は、俺は、間違っていませんよね? シン隊長……)
リョウは心の中で亡き師に問いかける。答えが返ってくることはもちろんない。大好きだった師の笑顔だけが心の中を占めていた。
するとちょうどその時、リョウの視界に自分と同じような黄緑色の髪をした少年が入ってきた。両腕は巨大な刃と化しているが、リョウの六尺棒のように血は付いていない。まだ、今日は戦っていないのだろう。弟による犠牲者がまだ出ていないことにリョウはほっとし、もう一度アレスの姿をよく見つめた。
「しばらく見ないうちに——」
——大きく、なったな。
微笑とも取れる表情で思わずつぶやいた言葉は、誰の耳に届くこともなく消えていった。
悲しみがないと言えば、嘘になる。それでも、弟を殺さなければ反乱軍に、シアラフに未来はない。一度だけ、下を向き、瞼をこれでもかというほどつぶり、歯軋りをして、リョウは六尺棒を構えた。
「来い! その力、俺に見せてみろ!」
リョウがそう叫ぶと同時にアレスは右腕ですばやく彼を斬りつけようとした。アレスとしてはいつもの相手と変わらず、手を抜いても楽に勝てると思ったのだろう。その動きは余裕というより、油断しているように見えた。
弟の想像に反し、リョウはさっとそれをかわす。このくらい、リョウなら目をつぶっていても避けられる。攻撃を仕掛けてきたアレスは少し驚いた表情をし、間合いを取って武器を構え直した。その様子を見てリョウは不適に微笑む。そしてつぎはぎだらけの黒い手袋を取って、右手の甲を弟に見せた。
「なめるなよ。別にノーテンスはお前だけじゃないんだぜ?」
そこには、槍のような黒い紋章があった。
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.18 )
- 日時: 2011/04/03 18:43
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: tQGVa0No)
リョウの手の甲にある印。それは紛れもなくノーテンスの印だった。アレスの額にも似たものが出ている。ただ、その形は若干違う。リョウは槍のような形。それに対してアレスは剣のような形をしていた。
兄の手の甲を見ると、右腕を構えたまま、アレスは少しだけ表情を緩めた。普通なら見逃してしまうような、小さな、小さな変化だった。だがずっと弟から冷たい視線を向けられていたリョウはすばやく気付き、はっとした表情になる。アレスは武装解除をしていない。それにも拘らず、リョウの六尺棒を握る手の力は抜け、棒の先端は下を向いていた。
「ノーテンスなのか、兄さんも」
「今、お前……“兄さん”って」
弟が不意に発した言葉にリョウはさらに戸惑いを覚えた。今までアレスが彼を家族と見たことは一度もなかった。話しかけるたびにリョウは「お前を家族と思ったことは一度たりともない」と簡単に切り捨てられてきたのだ。戸惑いがどんどんうれしさに変わっていくことは、リョウ自身よく自覚している。
しかし、そんな気持ちもつかの間、再び少年が斬りかかってきた。
「兄さん……悪いが俺にも譲れないものがある! ここだけは、ここだけは退くわけにはいかない!」
リョウは弟の攻撃を避けるだけで精一杯だった。その一撃から伝わってくる言葉。それは“殺す”という単純で明快な感情。兄もノーテンスであると分かった瞬間から、もうアレスは手を抜いておらず、こちらも本気で戦わなくては命の保証がない。
リョウは一度だけ無念そうに顔を歪ませ、それからまっすぐと、次の攻撃を仕掛けようとする弟を見つめた。手には弟の喉元に向けて構えてある六尺棒。姿勢を低くし、完全な臨戦態勢に入っている。
アレスはそれを見て満足そうに微笑み、そして一気に間合いをつめてきた。二人とも雪上の戦いには慣れている。新雪の上を走り回る彼らのスピードは衰えるところを知らない。一般人の目には追えないような速さで戦う。そんな中で二人の存在を誇示するかのように、雪が風に吹かれたように舞っていた。
「呆れたものだ、アレス。何故そこまで王に命を掛ける!? 自分の意志で戦え! この、阿呆が!」
六尺棒を振るいながら、リョウは叫ぶ。兵器として、意志とは関係なく戦っている弟の姿を見るのが何よりも辛かった。
ただ、思い起こしてみれば今に始まった話ではないのかもしれない。リョウ自身、気付いていなかったがおそらく、ずっと昔からそれが悲しくて、何度も弟の姿を見るたびに話しかけてきていたのだ。無駄だということを知りながら。
「違う! 誰があんな奴なんかのために!」
リョウの言葉に、アレスは歯軋りをして、兄より大きな声で叫んだ。リョウはさらに困惑する。弟は王の兵器だ。それは変えようのない事実。だからアレスは王のために戦っている。リョウはそう思っていた。
「じゃあ、何だ!? 何のためにお前は——」
「——俺は“今”を失いたくない! あいつが隣にいてくれる今だけは、絶対に!」
兄の問いにアレスはありったけの大声で答える。そして隙を突いてリョウの六尺棒を右腕の刃の峰で強打する。衝撃に耐えられず、リョウの手から六尺棒が落ちる。アレスがこの機会を逃すはずがなかった。
「悪いな、兄さん……さよなら」
弟は武器を拾おうと屈んだ兄に向かって無情の刃を突き出す。避けることはできない。リョウはせめて最後に弟の顔を見ようと顔を上げた。すると雲の切れ間から、死ぬにはちょうど良い、清々しい青空がよく見えた。
(シン隊長……)
——その時、二人の間を一筋の風が通った。
次の瞬間、真っ赤な鮮血が二人を朱色に染める。しかし、それはリョウの血ではない。風のように割り込んできた、長い黒髪の少女のものだった。
「エリ、ス……」
アレスは呆然とした、かすれた声でつぶやいた。信じられない、信じたくないと、懇願するようなその声。そして彼は自らの血に染まった右腕と、その先にある何よりも、誰よりも大切な少女の無残に貫かれた腹を目にした。
「は、ああ……うああぁぁぁああ!」
狂ったような生物兵器の叫び声が戦場に響き渡った。
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.19 )
- 日時: 2011/04/07 22:37
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: tQGVa0No)
「何ぼさっとしてる! そいつを殺したいのか!?」
突然の兄の怒鳴り声で少年ははっと我に返った。見るとリョウは自分の上着を脱ぎ、それを白い雪の上に敷いていた。その横には包帯や消毒液などが入った薬袋。目の前であんなことが起きたというのに、リョウは恐ろしいほど冷静だった。
アレスはそっと自らの腕を少女から抜く。するとさらに溢れ出る赤い血と、痛々しい傷口がいやというほど少年の目に入った。彼自身、人の血や傷には慣れている。幼少期からひたすら人を殺し続けてきたのだ。だから普通の光景だと言えるくらいそれを見てきた。それなのに、エリスの傷口を見ると、突然ひどい吐き気に襲われる。理由は今の彼には分からなかった。だからこそ恐ろしい。それが顔に出ていたのだろうか。リョウはガーゼに消毒液を付けながら、優しい表情で弟を見た。
「辛いなら、見る必要はない、アレス。大切な人なんだろ?」
柔らかな口調で話しかけるリョウ。先程まで殺し合いをしていたとはとても見えない。この瞬間が、もしかしたらリョウが初めて“兄”になれた瞬間だったかもしれない。
しかし、アレスは錯乱して荒い息の中でも、エリスの傷から絶対に目を離さなかった。
「大切、そうだ、大切だから、俺は……それより、エリスは、助かる、のか?」
「普通なら、死ぬ。でも、俺なら生かせる」
リョウは弟に微笑みかけ、肩を叩きながらそう言うと、少女の傷口に右手をかざした。手の甲にあるノーテンスの印が青く輝く。そして少しだけ指に力を入れた。すると中指が青白く輝き、光が手のひら全体に広がった。
「見てろよ。俺のノーテンスとしての能力、“医療氣術”」
本来、氣術で治療はできない。その最大の原因は氣の性質が人によって違うところにある。そのため、無理に他者の中に術者の氣を入れると途端に拒絶反応を起こし、最悪の場合、死に至るのだ。リョウが使っている六尺棒。あれは人を撲殺するためにあるのではない。その長さを利用し、自分の氣を相手の体内に入れるためにあるのだ。拒絶反応を利用して、人を確実に死に至らしめる。アレスほどの武人なら体に氣が入ってくる前に、自分の氣を使って抵抗することができるが、多少強い程度の兵士はなす術もない。皆、何故自分が死んでいくかも分からず、戦場で斃れていくのだ。ある意味、誰よりもえげつない殺し方をしているとも言える。
話を戻そう。何故リョウは医療氣術が可能なのか。それは彼が自身の意思によって自分の氣を他者の氣と同じものに変えられるからだ。そうすることで彼は拒絶反応を完全に防ぐことができる。ノーテンスは個々に特別な能力が宿るという。リョウの場合、それが先程述べた“他者の氣と同調する”ことなのだ。またリョウは、ノーテンスになる前から医療に関しては天才的な才能を発揮していた。そのおかげもあってか、普通の人が自分自身に医療氣術を行ってもすり傷程度しか治らないのとは対照的に、彼の場合、今のように“腹を巨大な刃で一突きされた傷”でも治すことができる。それが反乱軍突撃隊隊長リョウ=レヴァネール。
リョウの手から溢れる光は次々とエリスの傷に入っていく。そして見る見るうちに彼女の体は再生されていった。
「この光はな、アレス、人の治ろうとする意思を助けるんだ。そいつが生きたいと願えば願うほど、生きる確率が上がっていく」
数分後、エリスの傷は跡形もなく消え去った。リョウが言うにはまだそれなりの痛みは残っているが、命に別状はないらしい。リョウは「念のため」と言って、用意していたガーゼを傷口のあった場所に乗せ、上から包帯を巻いた。
その時、閉じていた少女の目がゆっくりと開いた。まだ焦点はあっていないようで、ぼんやりと上を向いていたが、ふとアレスのほうに目がいったかと思うと、覗き込んでいたアレスの顔に手を伸ばす。始めは目に触れ、その次は鼻に、そして頬に落ち着く。すると、安心したようにエリスは微笑んだ。
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.20 )
- 日時: 2011/04/13 00:28
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: MxRrFmUb)
「よかった。アレスが、無事で……」
「え……?」
エリスは弱々しい声で、それでいて一つ一つの言葉をゆっくりと大切そうにそう言った。その言葉に、用意していた懺悔はどこかへと消え去ってしまった。少女の澄んだ碧眼からは、少しだけ涙が流れる。恨み言をいくら言われても文句は言えまい。そう思っていたアレスとしては意外すぎる一言だった。
「ねぇ、一緒に戦おう。国王を倒せば、アレスも自由になれる。そうすれば、もっと笑えるでしょ?」
エリスはいつものように優しく微笑んだ。何度救われたか分からないその笑顔。微笑み返すことは到底できそうになかった。己の血の中でぐったりと横たわり、それでもなお気丈に笑う少女。それはアレスがエリスと初めて出会った時から何一つ変わっていなかった。彼はその強さに憧れ、惹かれていた。
だが、今のアレスは理想からは程遠い場所にいる。強さなどない。心は弱く、壊れそうになるのを必死で抑えている。次に出てくる言葉は何も見つからない。言うべきことはあるはずだ。それは彼にも分かっているだろう。それでも、頭には何も浮かんでこなかった。
そんな中で、一言、一言だけ、口から出てきた。
「エリスと一緒に後方に下がってくれ」
「は?」
長く黙っていた末のアレスの返答は、エリスにしても、またリョウにしても、予想外だった。普通、戦おうと言われれば答えは二択だろう。
「ここにいる国王軍を殺してくる。この数なら俺だけでも十分だ」
目の色が変わっていた。先程の戸惑っていた様子はどこにもない。エリスの思いが通じたのだろうか。いや、違う。兵器に戻ることで彼は居た堪れない心から逃げようとしているのだ。兵器となった彼に“容赦”の二文字はない。敵は殺す。それが幼い頃から彼が叩き込まれていた絶対の“ルール”。
「そ、そうか。味方は殺すなよ」
リョウは突然の変わりように衝撃を受ける。兄弟の溝を埋めるには、もう少し時間が必要のようだ。今回は一歩前進だけで我慢しておくべきだろうか。リョウはそう思いながらエリスをちらりと見る。彼女は衝撃を受けたというより、ひたすら悲しそうな表情をしていた。
「……エリスのこと、よろしく頼む」
一語一語噛み締めるように言うと、アレスはふっと二人の前から姿を消した。去る前に彼が言った一言——兵器の状態でも彼女の存在は少年に影響を与え続けていることがよく分かる。
昼の日差しが残った二人に降り注いだ。太陽の光で地面の雪はわずかに溶けてきている。すると当然、雪で隠れていたものも顔を覗かせる。
隠れて見えなくなっていたものが突然見え始めると、どうなるか。喜びももちろんあるだろう。それを見たいと願った時もあるのだから。しかし、見えないから、平気な顔をして偽ってきたものもある。それはどうなるだろうか。雪解けの後は偽りの代償が、痛いほど付き纏う。
そのことにまだ気付いていないのは幸せか、悲しみか。それについての考えはいろいろあるだろうが、どのみち、その代償は避けられない。
その時、どう立ち向かっていくか。それはまた別の話である。