複雑・ファジー小説
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.35 )
- 日時: 2011/07/06 18:28
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: Pc9/eeea)
それからしばらくして、アレスは小屋の外に出た。その横にエリスはいない。冷たい空気が体を包み、白い息は淡く降る雪の中へと消えていった。
淡い雪。シアラフでは珍しい部類に入るものである。儚いながらも美しく、健気に舞うその姿は見るものを魅了して離さない。エリスが好きな光景である。
アレスはそれを手に取り、そっと微笑む。粉雪はすぐに消えてしまうが、その溶けるところも何とも言いようがなく美しい。終始人を魅了する。それが粉雪の素晴らしさなのだ。
「エリスはどうした?」
小屋の、死角になっていた場所から、突然、さも当たり前のように、かなり前に出て行ったはずのリョウが顔を出した。その黄緑色の髪やくたびれた上着には白く雪が積もっている。
「エリスは小屋で寝てる。……それより兄さん、まだいたのか」
「“まだ”って」
リョウは弟のさらりと言い放った、少なくともアレスにとっては何気ない一言に、心底傷ついたように肩を落とした。
「……心配しなくても、もう帰るさ。さすがに一晩俺が反乱軍を離れるわけには行かないからな」
少し拗ねたような口調だった。どうやら本気で落ち込んではいないようで、仕草や雰囲気もどこか芝居がかっていた。
「俺は、朝になったらエリスと小屋を出る。昼までにはそっちに行けると思う」
「そうか。待ってるよ……」
リョウはアレスの言葉に頬を緩めつつ、まだ何か言いたげに弟の顔を見つめていた。
そんな兄を怪訝に思い、アレスは少し眉をひそめる。
「そんな見張ってなくてもちゃんと反乱軍には行くから、いいから帰れよ」
「いや……そうじゃなくて、さ」
弟は兄に対してまた厳しい言葉を無意識のうちに放った。
しかし、今度はリョウの表情は落ち込まず、少し考え込むようなものになっていた。
長い風が吹いた。粉雪を乗せて宙を舞い、二人の間をほんの一瞬だけ仕切る。
そしてその風が止んだ頃に、リョウは再び口を開いた。
「茶化すつもりもないし、冷やかすつもりもない。それに話の内容もさっきの会話で何となくつかめた。だがな、アレス。兄として、エリスは何なのかを、しっかり聞いておきたい」
アレスは、まっすぐと自分を射抜く兄の視線から顔を逸らし、漆黒の空を見上げた。落ちてくる粉雪は少年の顔に降り立っては解けていく。
「エリスは」
そのまま口を開いた。間が空いたのは話し下手ゆえだろうか。兄と比べれば、少年の語彙はほんの小さなもので、しかも元来言葉というものは、触れるとすぐに形を失ってしまうような、繊細なものであった。
「俺にとって姉であり、妹であり、母でもあって、友でもある。……俺の、世界そのもの、なんだろうな」
そこまでアレスは空を見上げたままとつとつと語った。自信なさ気ではあったが、何故か端々から強さが感じられた。
どこかで聞いた言葉だと、兄は思う。
そう、それは戦いの前にエリスが言っていたものと、全く同じであったのだ。
「だからさ、兄さん」
アレスは不意に空から顔を離し、優しく微笑む兄を見た。その表情は強い力を放っていた。
「俺にとって優先順位は国でも反乱でもない。エリスだから、それだけは理解してほしい」
「分かってるさ、アレス。でも、ありがとう。ほっとしてるんだ。もうお前と殺し合わなくていいから。本当によかった……本当に」
リョウはそう言うと弟をぎゅっと抱きしめた。本当は、もっと昔にできていたのかもしれない。彼が生物兵器でなかったら。
しかし、遅くはなかったはずだと、リョウは思う。もちろん早いわけではないが、それでいいのだと。
「兄さん……泣いてるのか?」
「うっさい、お前だって」
月の光を受けて粉雪がほのかに輝く。神に愛でられし兄弟を祝福するように辺りを神秘的に舞っている。
シアラフの夜は更けていく。もう明日まで残すところ数分。
次の日がどんなものかを知るものはいない。知らないからこそ、進む意味はある。もしかしたら良いことなんて一つもない日かもしれない。しかし、良いことがたくさん起る日という可能性も十分ある。それならば、良いことを信じて進んだほうがいいだろう。少なくとも信じず、暗い気持ちでいるより、ずっとそれの訪れは期待できる。
粉雪は、輝きを抱いたままどこか遠くへ飛んでいった。
以下の文章はたぶんその打ち消します。
今回の書き直しに際して、おそらく、ここまでがもっとも変わる場所だったと思います。書き直し前まではこんなに早くリューシエを出す予定はなかったですし、アレスもエリスを刺した後にここまで現実逃避をしたりはしていなかったです。早足気味に書いてしまった部分もあるので、未熟な部分は多々あると思いますが、第二章までお付き合いいただきありがとうございました。ここからは外伝を二、三ほど挟んで第三章へ……の、予定です。
これからもよろしくお願いします!