複雑・ファジー小説
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.36 )
- 日時: 2012/03/10 23:27
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: Pc9/eeea)
外伝 緋色の軍人
かつてシアラフには天才と謳われる兵士がいた。身の丈ほどある大剣を振るって数多くの戦場を駆けた男。
名を、シン=ウェンダムといった。普段はその戦働きには似合わない程、家庭的で家族想いだったというその男。
話は七年前に遡る。これは激動の時代を生きることになる少年達と、その心にずっと生き続けた男の物語。
季節は冬の終わり。雪の降る国境近くの戦場に、大小二つの人影がある。よく見ると小さいほうは黄緑色の髪で、槍を持って荒い息をしている。怪我をしている様子はない。だが、まだあどけなさが残る彼にとっては、肉体的にも精神的にもさぞ辛い戦だったのだろう。
もう一人はオレンジ色の髪をした二十歳ほどの青年。緋色が好きなのだろうか。頭には赤いバンダナを巻き、両耳にはこれまた赤いピアスをしている。手には血塗られた大剣を持ち、隣で荒い息をしている少年とは裏腹に、息一つ乱さず平然としていた。
「お疲れ、リョウ。大丈夫か?」
「はい、シン隊長。何とか、ですけど」
青年は少年の答えに満足したようで、にっこりと笑った。
オレンジ色の髪の青年は世界最強の軍人と名高いシン=ウェンダム、その歳弱冠二十歳。シアラフ軍平民部隊の隊長を務めていて、弟子であるリョウ=レヴァネールと二人で戦うことが多い。明るい黄緑色の目は場違いと取れるくらい、何故かずっと楽しそうに輝いている。
シンは大剣に付いている血をすばやく拭き取った。そしてそれを背中に背負うと、シンは突然リョウを抱きかかえた。年の割にはそれなりに背の高いリョウであったが、シンにとってはほんの些細なことでしかない。“だっこ”というものを少年が恥ずかしがっているという事実もまた然り。
「さあー、帰るぞー! リョウ。我が家に!」
のんきな声でそう言うと、じたばたと暴れる少年を抱え、シンは平然と雪道を歩いていく。その目は先程と何も変わらない。ずっと輝いている。リョウからすれば憎たらしく思えるほどに。
「離してくださいよ、隊長! 歩けます! 歩けますから!」
「いいだろ、別に。疲れたときは休む! 鉄則だ、そんなもん」
真っ赤な顔で必死に訴える少年にシンは半ばからかうような口調で諭す。もっとも、それが意味を成すものなら青年も苦労しないが。
時間が経つにつれ、リョウの抵抗は次第に弱くなっていく。気付いたときにはシンの腕の中ですやすやと寝息を立てていた。
「全く。これだからまだお前は“お子様”なんだ」
ふっと微笑みながらそう言うと、シンは着ていた上着を脱いで少年を包んだ。次第に雪が強くなる。そっとリョウの頭を撫でるとシンは、先程よりもかなり早いペースで歩き出した。
後に革命の先頭に立ち、シアラフを導くことになる少年、リョウ=レヴァネール、十三歳。
この時点ではどこにでもいる普通の少年兵だった彼。ノーテンスでもなかった頃。しかし、運命の扉はもう目前に迫っていた。彼を更なる戦いの世界に引きずり込む扉が。激動の人生の入り口が。
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 外伝 緋色の軍人 ( No.37 )
- 日時: 2011/07/22 21:41
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: Pc9/eeea)
シアラフ王国バーティカル領。国内でも一番の治安と豊かさを誇るその地域。領主は代々バーティカル大公爵家という、この国において国王家の次に力を持っている一族である。今の当主の妻は国王の妹で、国内でのバーティカル家の発言力は、ますます無視できないものになっていた。
そのバーティカル領の風の村。そこの外れにシン達の家がある。決して大きい家ではないが、暮らす分にはこれと言った不都合はない。どこにでもある普通の民家だ。
隣にも似たような家がある。しかし家の周りは除雪がされているわけでもなく、人が現在住んでいる気配はない。それはリョウの家だが、数年前に父親が病で死んでから、彼は隣のウェンダム家に居候しているのだ。
そのため、今のリョウにとってウェンダム家の面々は、幼馴染というより家族に近い。
「ただいま」
シンがリョウを抱えたまま家に入ると、奥から二人の子どもが駆けてきた。一人は十歳くらいの男の子。もう一人は六、七歳のおさげの女の子。二人ともシンと同じようなオレンジ色の髪に、暖かな黄緑色の目をしている。彼の二番目の弟ティムと妹のサミカだ。
「おかえり! シン兄ちゃん。……あれ? リョウ兄ちゃん、どうしたの?」
元気に飛び出してきた二人は、抱きかかえられているリョウを見て心配そうな顔をした。当然だろう。シンとリョウは戦いから帰ってきたのだ。そんな時、意識がなく抱えられている人間がいたら、それは大怪我を負っているか、最悪の場合、死んでいるとも考えられる。
「そんな大げさなことじゃないよ。ちょっと疲れちゃったみたいでね、寝てるだけ」
「なんだ。驚かすなよ、シン兄さん」
「いや、別に俺が驚かせたんじゃないと思うんだけどな、ティム……」
シンは苦笑いしながらつぶやくと、家の中に入っていった。そして暖炉の側にそっとリョウを下ろす。少年は一向に起きる気配がない。世間では生物兵器の兄だとか、リョウはいろいろと言われているが、こう見てみたら可愛いものである。
シンはリョウの弟と何度か戦いで顔を合わせたことがあった。無表情で敵を殺す冷酷な生物兵器。それがリョウの弟。
だが、シンは違う見方もしていた。生物兵器も元は人間である。しかし彼らのほとんどが心をなくした殺戮兵器と化してしまっていた。快楽を求めるように戦い、高笑いをしながら人を殺す。それが一般的な生物兵器。
しかし、リョウの弟は先程述べたように無表情で人を殺める。どちらにせよ褒められたことではないが、それでも狂ってはいないのだと、シンは考えている。まだ人に戻ることができる、と。
ティムが気を利かせて掛け布団を持ってきた。料理や裁縫が得意なシンとは違って、恐ろしく手先作業の苦手な少年であるが、細かいところによく気付くという優しい一面がある。
掛け布団をそっとリョウに被せる左手には包帯が巻かれていた。少し前、止せばいいのに無理をして包丁を握ったら、腕をざっくりと切ってしまったのだ。ティム曰く、「ジャガイモの皮を剥いていた」ということなのだが、どこの世界にジャガイモの皮を剥いていて、自分の腕をざっくりと切ってしまう人間がいようか。少なくともシンには理解できなかった。
この家での医療担当は今寝ているリョウ。その時は呆れきった表情をしながら、糸でしっかりと縫い、的確な処理をした。リョウには戦いのセンスはもちろんのこと、医術の素質まで持っている。“この手には人を生かす力が自分とは違ってある”。シンはリョウの手を見るたびにそう思う。そしてうれしいながらも、どこか悲しい気持ちになってくるのだ。
シンはそんなリョウの手にそっと触れ、それからくしゃくしゃにその黄緑色の頭を撫でると、静かにその場を離れた。
キッチンの前を通ると、焼き魚の香ばしい香りが漂ってきた。見るとそこではリョウより少し年上の少年が馴れた手つきで調理器具を操っている。髪は長くオレンジ色。着けているかわいいクマ柄のエプロンは相当年季が入っているようで、ところどころパッチワークのように布を繋げ合わせていた。
「美味そうじゃんか、キャン」
「おかえり、兄貴。今日はいい魚が釣れたんでな」
野菜をすばやく切りながら少年はうれしそうに言った。よく見るとその首には黒い盾のような形をした紋章がある。彼もノーテンスなのだ。
ただ、知っているのは家族とリョウだけ。印が現れたのは一年ほど前。そのことが王に知られれば、否が応でも戦わなくてはいけない。争いを好まない彼としては何としてでも避けたいところであった。
「何か手伝おうか?」
「いや、いい。わがまま言って戦わない道を選んでるんだから、それ以外のことはしっかりやらないと」
そうとだけ言うと、キャンはまた黙々と調理に戻った。
キャンは戦えば強い。それは兄であるシンが一番よく分かっている。彼自身、世界中で“天才”と呼ばれたり“最強”と謳われたりしているが、本気を出したキャンと比べるとそれも霞むだろう。力を求めている者はこの世界にごまんといる。その反面、求めてもいないのにキャンのように圧倒的な力を持ってしまう者もいるのだ。
(どっちにしろ、憐れだな……)
シンは静かにキッチンを出た。はたして自分はどちらの存在なのかと、ぼんやりと考えながら。
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 外伝 緋色の軍人 ( No.38 )
- 日時: 2011/07/30 00:28
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: Pc9/eeea)
“その日”について、リョウが覚えていることは限られている。あまりに衝撃的な出来事であったため、それ以外のことはほとんど頭に入らなかったのだ。
ただ、一つだけ確かなことはその日、朝から雪が降っていたこと。隊長の大好きな緋色が、白い景色を地獄に変えた——
七年前のその日、シン、リョウ、キャン、ティムの四人は買出しをするために家から少し離れた町へ行っていた。雪が普段より少し強かったため、末妹サミカは家に置いている。彼女は年のわりにしっかりとしているが、それでもまだ幼い。一人で家にいるのはさぞかし心細いことだろう。そのため、四人はできるだけ早く買い物を済ませて町を出た。
彼らの住んでいる“風の村”へと続く街道。町からそんなに離れてはいないが、彼ら以外に人の姿はない。理由は、ただ雪がひどいだけではない。
先ほど四人は生物兵器の一団とすれ違った。おそらくこの近くで戦闘があったのだろう。彼らの服は返り血で汚れていた。
この道は、生物兵器たちが王宮へと戻る時に使うものなのだ。好き好んで利用する一般人はまずいない。何が起きるか分からないからだ。一般人と生物兵器との刃傷沙汰なら連日噂で耳に入ってくる。
さすがの生物兵器たちもシン=ウェンダムの強さは知っているから、彼がいる時は何もしない。だからシンは買出しの際はよくこの道を利用するが、ノーテンスではないリョウやティム、サミカには必ず自分かキャンと通るようにと、強く言い聞かせていた。
「あ!」
そんな物騒な街道の真ん中。
突然シンは素っ頓狂な声を出して立ち止まった。他の三人も止まり、首をかしげながらシンを見る。彼は、背中の大剣に括り付けていたかばんの中に手を突っ込んで、ひたすら何かを探していた。
「兄貴、どうした?」
「いや、すごい忘れ物。あー、あったあった」
シンはかばんから手を出した。その手には彼の財布が握られている。たいして入っているようには見えない。この買出しでほとんど使ってしまったのだから当然ではあるが。
「キャン、ティム。サミカに何かお土産買ってきてくれ。お留守番には何かしらのご褒美がないとな」
「何買えばいいの? 兄さん」
「そうだな。何がいいだろうな、ティム。例えば、髪飾りとか。金は全部使っていいからさ」
そう言うとシンはキャンに財布を手渡した。
「じゃ、俺らは先に行ってるから、なるべくさっさと頼む」
まだ町は見える。この距離なら走ればすぐに町に着き、店で時間さえ掛けなければ、この街道のどこかでシンとリョウに追いつくことができるだろう。
ティムは憧れている兄から仕事を頼まれたのがうれしかったのか、元気よく頷く。そして、無邪気に次兄であるキャンの手を握って町のほうへと走り出した。
「あ、大丈夫だとは思うけど、気をつけろよ! 生物兵器達が何かしてきたら、大声で俺を呼べな。いざという時はキャン、お前がティムを守れ!」
シンは二人の背中に向かって叫んだ。ティムに聞こえたかどうかは分からない。だが、キャンはたしかに片手を挙げて、“了解”という合図を送った。
雪はそれなりに積もっている。だが、走る分には雪国育ちの二人にとって、何の障害でもない。心配なことといえば財布を落としてしまうことくらいだろう。
シンは少しの間、二人の後姿を見ていた。五年前に両親が事故死して年端も行かない弟妹を育てなくてはいけないとなったときは、どうしたものかと、夜も寝られないほど悩んだものだった。しかし、今となってはそんな心配はない。二人とも大きくなった。少し寂しさを感じるほどに。
「さて、行こうか、リョウ」
シンはリョウに荷物を持っていない左手を差し出して優しく言った。
リョウは少しためらう。彼はもう十三歳である。誰かと手を繋ぐ年頃ではない。シンは再度、「リョウ」とその名を呼んだ。柔らかな微笑と共に。大好きな師の、大好きな表情。気付くとリョウは、右手の買い物袋を左手に持ち直して、その空いた右手はシンの大きな手の中にすっぽりと納まっていた。