複雑・ファジー小説
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 外伝 光の中の ( No.48 )
- 日時: 2011/10/30 00:32
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: Pc9/eeea)
外伝 光の中の
「それで? おめおめ逃げてきたの? この、恥さらし」
朝のことだった。
シアラフ王城の裏。城の影は長く伸び、朝だというのにそれほど明るさを感じない。純白の雪は溶けることなく、また無理に除雪されるということもなく、そのままになっている。城は忙しい。殊に、朝に関していえば。しかし、このあたりは忘れられたかのように、全く相手にされていなかった。
ただし、黒服の少年と少女を除いて、である。
「何のことでしょうね。私はただ、王家の命を忠実にこなしただけですよ」
「生きてるのが何よりの証拠じゃない。貴様ごときが」
余裕のある、柔らかい口調が一つ。それに対して、もう一つは刺があり、近づくものを全て拒む風であった。
そんな棘に臆することなく、話し相手の少年——リューシエは微かな笑みを浮かべ、冷たい朝風に柔らかな銀髪を揺らしながら、再び口を開いた。
「アレス先輩を倒せるわけがない? そうですね。でも、見つからなければ、反乱軍に身を寄せていれば、無理に殺さなくて良いと、アクス王子に命じられましたからね。その通りにしたまでです」
それを聞いた少女は、突然近くに詰まれていた古い木箱を殴った。桜の紋が刻まれている胸のペンダントは、その花びらを散らすかのように揺れ、無造作に紫色の弧を描く。さらにそれだけでは飽き足らず、崩れる箱をバラバラに切り刻んだ。
そう、“切り刻んだ”のだ。見ると少女の長く青い髪の先端は、薄い無数の刃に変形していた。
「役立たず」
つぶやくと、彼女は荒々しく髪を四方八方に振り回す。それは牙をむく蛇に似て、髪だけが別の生き物かのようだった。すでに木箱は原形をとどめていない。そのくずが舞う中で、少女は一言一言に力を入れながら、吐き捨てるように言った。
「マヌケな、第二、王子、本当に、評判どおりね」
その言葉に、リューシエの眉はピクリと動く。キンと冷えた風が、彼の銀髪を舞い上がらせる。
忘れてはいけない。彼は、数多くいる生物兵器たちの中で、一番王家に忠実な兵器なのだ。
「ツユ」
リューシエは、いつになく厳しい口調で少女の名を口にした。
付け加えておくと、彼も彼で少女の言いたいことが、全く分からないわけではない。だが、理解できることと、彼の心情とでは、大きな違いがある。ただそれだけのことだ。
「あーもう、うっとうしい、どっか行ってよ。やっと死んでくれると思ったのに」
少女は積もっている雪を思いっきり蹴り上げてリューシエにかけた。
避けなかった。その間にもツユは何度も何度も雪を舞わせる。それでも少年は動こうともしない。
気が収まったのか、そのうち少女は足を動かさなくなった。リューシエはそこでやっと、自身についた雪を払って落とし始める。表情は、いつも通りに柔らかかった。
「あいにく、まだこうして生きてますね、ご愁傷様でした……そのわりには、私を戦闘から外すように進言なさっているようで?」
ツユは一度大きく目を見開いた。無意識だろうか。その手は自然と、いつも首から提げている澄んだ紫色のペンダントに伸びる。
「……本当にうっとうしい」
それだけを言った。
雪を運んだ強い風が、少女を横殴りに襲う。粉雪などではない。白い頬は赤くなり、溶けた雪がつうっと首へと伝っていった。
「ツユ、私は死期を悟っています。アレス先輩の跡を継いで兵器隊長となったあなたに、こんな壊れかけの兵器のことを考える余裕なんてありません。どうか、お気遣いなく」
リューシエはそう言って深々と礼をすると、くるりと踵を返して離れていった。ツユの唇が震える。だが、言葉にはならない。
光が、見えた気がした。朝日ではない何かが。彼女は目を凝らす。
しかし、前方にはリューシエがいるだけ。今、当に城の影から出ようとしている。
「貴様には!」
ありったけの大声を出した。ペンダントを握り締める。風が吹いた。リューシエは足を止めて振りかえる。その表情は見えない。
「貴様には、もっといい死場を用意してやる。だからそれまで——」
——死ぬな!
最後は、声にすらならなかった。それでも、リューシエはまだそこに立っている。聞こえたかどうかは分からない。城の影から出たところだろう。異様に明るく見える光の中。まるで影が佇んでいるようだった。
リューシエは朝日に銀髪を輝かせながら、どこかへ行ってしまった。
それでも、立っていた場所はまだ美しく煌いていた。
あとがきです。二章が終わった時にもそれらしいのを書きましたが、これからも続けようと思います。
外伝は物語の本筋から外れた場合に書いたり、その章の主題とはなれた場合に付け足します。しかし、たいてい外伝にはこれからの展開複線ヒントなどが普通の話よりも多く入っているので、これからも大切にしていきたいです。
それでは、これから第三章「各国の思惑」よろしくお願いします。