複雑・ファジー小説

Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 外伝 光の中の ( No.51 )
日時: 2012/03/10 23:28
名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: Pc9/eeea)

 素早く分かる(?)前回までのあらすじ
 エリスを託したまま、一向に姿を見せないアレス。リョウはそんな弟を心配して、彼の小屋へと走る。
 その頃小屋ではアレスの後輩、リューシエが裏切り者を殺す指示を受け、刺客として派遣されていた。
 尊敬するアレスを殺したくない。残りの命が少ないリューシエは、その一心でリョウに接触し、アレスがよい家族に恵まれていることを知り、去っていった。
 小屋で再び対面を果たした兄弟。話し合いは平行線だったが、その状況を打開したのはまたもやエリスだった。
 アレスは彼女がまだ傍にいてくれることを知り、涙を流す。兄との壁も消え、小さな変革は一応の終着を迎えた。


 第三章 各国の思惑

 かつて起った神々の大戦。ノーテンスや氣術を生み出したというその戦い。それによってほとんどの国は消滅し、紆余曲折、数々の盛衰を繰り返し、今ある新しい国となった。
 そんな中、ひとつだけ変わらなかった国がある。戦前も太古の国家と呼ばれ、何千年もの歴史を持つ極東の島国、日本だ。
 その日本を治めているのは天皇家。大戦前とその体制はがらりと変わり、全ての政府機関は天皇に直属する中央集権体制を布いている。そんな大変動があったとはいえ、今でも存続するこの天皇家は、間違いなく世界最古の一族の一つだろう。
 伝説では、神々は大戦時、計五人の若者に力を与えたという。それがノーテンスの始まりである。時の皇太子はその中の一人。そのため天皇家は“五大家”という、世界で五本の指に入る名家となっている。
 さて、日本にはこの天皇家と、もう一つ力を持つ一族がある。神々が他の誰よりも先に力を与えた若者の子孫達——天宮家である。もともと天皇という地位についていた天皇家と比べて——代々軍事を司ることもあり——“影の天皇家”と呼ばれることが多い。この天宮家も、もちろん五大家の一角だ。
 しかし十年前、その名家に悲劇が起こった。一族全員が集まったパーティーに殺し屋達が入り込み、老若男女問わず殺し尽したのだ。俗に言う“天宮大虐殺”。
 その事件で生き残ったのはただ一人。“天宮大虐殺”が起った時の天宮家当主の孫で、現天宮家当主の天宮飛龍、十五歳。彼もまた、神に愛された人間の一人。戦いを義務付けられた人間の……


 日本の首都東京。その中心部から少し外れた閑静な住宅街に、周りの家とは比べ物にならないほど巨大で豪華な和風の屋敷が建っている。
 入り口には手入れの行き届いた松と壮大な門があり、前に立っただけで何とも言えない威圧を感じるほどだ。表札を見ると“乃木”とだけそっけなく墨で書かれていた。——達筆である。
 屋敷は高い塀で囲まれ、おまけに厳めしい軍服を着た筋骨隆々の屈強そうな警備員まで、何人も肩で風を切って歩いていた。
 そんな見るからに名家といった感じの屋敷の門から、黒髪の少年と茶髪の少年が出てきた。学ランに黒いかばん、そして梅のような紋章が入った緑色のネームプレート——近くの公立中学校に通う学生だ。
 警備員達は少年達が出てくると門の両脇に整列して、ピシッと背筋を伸ばして敬礼した。

「おはようございます! 天宮少将、乃木少佐!」 
「おはよう。お勤めご苦労様」

 二人のうち黒髪の少年——天宮飛龍はねぎらいの言葉をかけ、ゆっくりと門を出た。もう一人の少年も軽く礼をして相棒の後を追う。
 季節は青葉の頃。暖かな風が頬を撫でる、気持ちのよい朝だった。

Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.52 )
日時: 2011/11/13 23:31
名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: Pc9/eeea)

「——で、長年対立してきた日本とユビル帝国は」

 単調な教師の声が教室に響き渡る。一年前ならあちらこちらで話し声が聞こえていただろうが、中学三年生になって受験を控えたこのクラスでは、話し声ではなくノートを取るペンの音がカリカリと聞こえるだけだった。
 そんな中で、一人だけ黒板を見ずに、窓の外をじっと眺めている生徒がいる。黒髪碧眼の少年——天宮飛龍だ。

「当時の日本軍大将天宮隼人や中将乃木光一らの活躍によって——」

 窓からは学校のテニスコートがよく見える。一年生だろうか。真新しい体操服を着て楽しそうにテニスをしている。このような光景は彼にとって三週間ぶりであった。このところ、シアラフでの反乱に日本がどう動くかという会議やそのほかの任務で、学校には全く来ていなかったのだ。
 三週間前、見事に咲いていたはずの桜はもう散ってしまっていた。細輪に桜、それは天宮家の家紋で、飛龍がくるくる回しているペンにも刻まれている。そんな縁の深い花が、目の前で咲いていないのには一抹の寂しさを感じる。しかし、晴天の輝きの下で碧く羽を伸ばす若葉も、それはそれで美しい。

「両国は和解へと向かったが……テンノミヤ!」

 窓の外を見ていた飛龍は、突然名を呼ばれて、びっくりしたように中年の男性教師のほうを見る。回していたペンは隣の机の端まで飛んでいった。

「教科書も開かんとはいい度胸だな」
「あ、そうですか? いや、そうなんですよ、実は肝っ玉には自信が」

 少し口元を緩めながら、飛龍は自慢げに言った。別に彼の中には教師への反抗などという、そんな大それた考えは微塵も存在しない。あるのは純粋さだけだ。
 彼のそんなところは、三年間担任をしているだけあって、この教師もよく分かっている。だが、ここは大人として、導き手として……教師は一度息を吸い込んだ。

「教科書を開け! 天宮飛龍!」

 怒鳴り声は校内一。教室中に響き渡る大音量の中、飛龍は気の乗らない顔をしながら閉じていた公民の教科書を開けて、今授業でやっているところのページを探した。しかし、なかなか見つからない。飛龍は面倒くさそうに頭を掻く。
 すると隣の席に座っている、朝共に登校していた茶髪の少年——乃木勇一が人差し指で軽く飛龍の机を二回叩いた。親友のほうに顔を向けると、彼は先程飛んできたペンを差し出しながら、無表情かつ無言で教科書を飛龍に見せた。
 持つべきものは友だ。そう感じながら飛龍は自分の教科書を再びめくり、やっとそのページにたどり着き、そして表情を暗くした。
 そこには、現在彼の養父となっている乃木光一を始め、近現代の軍人の写真が載っている。
 その中の一つに、飛龍と同じ黒髪をした若い軍人の写真があった。彼の父、天宮隼人である。
 息子と瓜二つの碧眼は、どんなに親しみを込めて見つめても変わることはなく、印刷特有の無機質な目を向けている。そして、いかにも改革者といった気難しげな表情は、まるで仮面でも被っているように、その顔に貼り付けられていた。

「父さんは、いつも楽しそうに笑っている人だった。優しくて、特に母さんと妹の紫水には。仕事の帰りには、必ずお土産を紫水には買ってきて、代わりに俺は父さんの酒の愚痴に付き合わされてたっけ……」

 ただの独り言だった。
 飛龍は懐かしそうな口調で言うと教科書を閉じて、再び窓の外を眺め始めた。今度は教師も何も言わない。クラス中の視線が集まっていることは気付いていたが、そんなことは知らない振りをする。
 ため息が一つ、一枚の青葉とともに青い空へと飛んでいった。

Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.53 )
日時: 2011/12/09 00:14
名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: Pc9/eeea)

 午前中の授業が終わり、昼休みになった。皆思い思いの場所で弁当を広げ、のんびりとした休息を取る。飛龍もかばんから弁当箱と水筒を出して、二人のクラスメートに軽く声をかけると、三人で屋上へと向かっていった。

「飛龍、次の時間の小テストの勉強した?」
 
 屋上へ続く階段で、少し心配そうな顔をして友達の一人が飛龍に訊いた。
 彼の名は浅川健太。学校の近くに店を構える八百屋の長男坊である。学年内でも身長が高いほうで、いつも穏やかな表情をしている少年だ。ただ実家の八百屋を継ぐ気はないらしく、そのことに関しては一歩も譲らない。
 
「そんな時間、なかった」
「時間がなくても、飛龍。小テストくらい勉強なしで満点取れると思うんだけどな」

 苦い顔で答えた飛龍に、親友の乃木勇一が横槍を入れた。彼は日本軍大将乃木光一の一人息子で、現在日本軍少佐を務めているエリート軍人だ。飛龍とは乳兄弟で、彼の一番の理解者でもある。
 ちなみに勇一も飛龍もノーテンスで、出世が異常に早いのは家柄のこともあるが、その高い能力を買われた、というところもあるようだ。

「お前みたいなバケモノと一緒にすんな。父さんも勉強はできなかったらしいから、血だ、俺が勉強できないのは」
「でも、おばさんは学者だったんだろ?」
「頭のいい血は見事に妹のほうにいったんだよ。きっとな、双子だったし……紫水が生きてりゃ、なぁ」

 飛龍は寂しいような、悲しいような口調で言った。二人とも彼の顔を見ないようにしている。
 特に勇一は飛龍の悲しみを誰よりも傍で見てきた。何度彼は「俺の代わりに紫水が生きていれば」と言ったものだろうか。それだけ飛龍は幼い頃から双子の妹である紫水を大切にしてきていたのだ。
 彼女の最期は悲惨だった。天宮大虐殺の時、母親と共に逃げたが、途中で二人とも襲われ紫水はその時に剣で胸を突き刺されて死亡。深手を負った母親は自らの体に火をつけ、娘の亡骸を抱きかかえて炎の中に消えたという。

 それからすぐに三人は屋上に着いた。暗い話をしていたのにもかかわらず、外は雲ひとつない快晴だった。
 飛龍たちは中央に置いてあるベンチに座った。先客は何人かいたが、それなりに広い場所だから、そう簡単には埋まらない。フェンス越しの景色も良いため、たまにカラスが弁当をさらいに来ることを除けば、とても快適な場所なのだ。
 もっとも、飛龍たちがカラスごときに“敗北”の二文字を見ることはまずありえないが。

「なぁ、飛龍」

 弁当箱を開きながら、ふいに健太が話しかけた。彼の膝の上には今朝の新聞。これは隣に座っている勇一のものだ。朝はギリギリまで寝ている健太には、もちろん新聞をのんびりと朝に読む余裕はなく、勇一が趣味で持ち歩いている新聞を昼休みのたびに眺めている。
 その一面にはシアラフの反乱。生物兵器の一人が寝返ったことが報じられていた。

「なんだ?」
「シアラフの反乱さ、日本軍は結局どうすんの?」
「どうって……」

 飛龍は何から言おうかと頭の中で情報を整理する。何しろ健太は一般人なのだ。小難しい業界用語を並べてもよく分からないだろうし、大体どこまで理解しているのかも分からない。
 すると黙々と弁当を食べていた勇一が、箸を置いて話し出した。

「ユビル帝国がシアラフに軍事介入するのは時間の問題だ。昔から虎視眈々とシアラフ侵攻を企んできたからな。で、ユビルがシアラフに攻め込んだとする。結論から言うと日本はユビルと戦う。反乱軍の首謀者のアレン王子は内親王殿下の許婚だろ? そのアレン王子を殺そうとするなら大義名分が立つ。とりあえずは、だけど」
「この戦いでユビルを潰せたらいいんだけどな、俺としては。父さんたちの敵討ちだ」

 ユビルは家族の仇。飛龍が、そう考えるのにも訳がある。天宮大虐殺が起きた日、それは日本とユビルの友好条約調停の日だったのだ。友好条約はユビル全体が快く思っていたわけではない。一部の政治家や軍人が勝手に調印したものといっても過言ではなかった。
 虐殺事件はユビル帝国の指図によるもの。それはもう日本ではほとんどの人が信じている説である。現に、天宮大虐殺のとき忍び込んだ殺し屋のうち何人かはユビル軍人で、また事件のあと友好条約に賛成した政治家や軍人のほとんどが解任されたり、投獄されたりしていたのだ。そこまでくれば疑う余地もないだろう。
 シアラフ反乱への介入の目的は、内親王の許婚ということではなく、ただ単にその反乱を利用して天宮大虐殺の報復をするというところにある。それが今現在の日本の立場だ。

 予鈴が鳴り、屋上の生徒達は教室へ戻っていく。
 結局、何のテスト勉強もしていなかった飛龍は範囲を健太に教えてもらい、勇一に小言を言われながら、最後の数分の悪あがきをしていた。

Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.54 )
日時: 2011/12/24 00:39
名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: Pc9/eeea)

「いずれの“ごとき”にか」

 放課後。教室で抑揚のない声がもやもやと聞こえる。
 窓の外ではそんな様子とは打って変わって活発な部活動の掛け声。春季大会が残り一週間にまで迫っているのだ。その大会で、各部次の大会へと駒を進められるかが決まる。今が踏ん張りどころであった。

「“おんなご”、“さらい”あまたさぶら“ひ”たま“ひ”ける中に——」
「——ちょっと待て、飛龍!」

 源氏物語の冒頭、“らしき”もの。その音読を横で流し聞いていた勇一は、とうとう我慢の限界となり、呆れながら口を挟んだ。そして、読んでいたシアラフ反乱の資料から目を離すと、飛龍の教科書を取り上げて書き込みをしていった。

「御時は“おおんとき”、女御は“にょうご”、更衣は“こうい”、ついでに古文で“ひ”は“い”と読む。常識だろ!」

 教科書に振り仮名をつけると、勇一は持っていたペンで一つ一つ指しながら訂正した。彼のような完璧優等生には、何故幼馴染がこのようなことで間違えるのか、全く理解できないのだ。
 一方で、飛龍は勢いをつけて飛んでくる怒鳴り声とつばに顔をしかめながら、むっとして勇一を見た。

「別にそんな古文の読み方なんか知らなくても、俺は十分生きていけるし」
「いいか、古文からは昔の宮中が分かる。昔の宮中を知ることは今の宮中への理解にも繋がる」

 勇一が力説する横で、飛龍は一度大きく背伸びをしていた。そして、幼馴染から奪い返した教科書を適当にぱらぱらとめくる。すると、“女三宮の降嫁”というページで鬼教官に小突かれた。真面目に勉強しろ、ということだろう。

「……女三宮、か」

 小突かれた飛龍は、それを気にすることもなくポツリとつぶやいた。勇一も、勉強をサボる幼馴染に活を入れるのも忘れて、そのページを眺めていた。

「三宮様って美人って評判だよな、ユウ。俺お目にかかったことないけど。一時期時の人だったんだろ?」
「八年前くらいの、さる病弱な公達との恋愛話か。世間を憚って山荘に移られたのは、お気の毒だったな」

 二人の話している“三宮の恋愛話”。これは当時では大変な関心を集めた、ある種の事件であった。
 今上帝の第三皇女が妊娠したと言うのだ。しかし、宮は結婚していない。父親は誰かと、世間では様々な憶測が流れた。八年経った今でも正式な発表はなされていない。
 一番有力な噂では、さる病弱な良家の子弟と恋に落ちたが、相手は三宮の妊娠に悩み亡くなってしまった、ということになっている。この話は日本中で感動を巻き起こし、今ではこれが事実として囁かれているようだ。

「そのうち、お前もお会いできるよ。何でも陛下は三宮様のご子息の後見を、行く行くは天宮家に任せるつもりらしいから」
「……“も”? お前、まさかの抜け駆けか!」

 勇一の放った一文字に、飛龍は耳ざとく反応した。職員会議を知らせる放送と共に、「一回だけだよ、一回だけ」と面倒くさそうに勇一は答える。放送にまぎれて聞き取り難かったのか、件の地獄耳はこのときばかり何も耳に入れていないようだった。

「やっぱ、美人? 女優の沖田路江とどっちが?」
「んー、二人とも確かに美しい女性だ、が……」

 勇一は一度意味深げに目を瞑る。見る見るうちにその口元は緩んでいった。
 そしておもむろに目を開くと、さらりと一言。

「紫水には敵うまい」
「この、ロリコンが」

 この世の春とばかりに明るい顔をする親友に、飛龍はひたすら冷ややかな視線を向けていた。彼の双子の妹である紫水が死んだのは五歳の頃の話なのだ。しかし、残念ながらその突っ込みは、またもや職員会議関係の放送で霞んでしまい、勇一はすばやく反乱の資料に目を戻すと、もう一言放った。

「勉強に戻れ」

 飛龍は苦い顔をした。そして椅子から立ち上がって、教室の窓を一つ開ける。すると、だんだんと色づく空の中、さわやかな風が、窓の近くにある桜の葉を送ってきた。

「世を儚んで、出家でもしたい」
「ほう、そうか、出家したら仏典の勉強三昧だが、そうか、やっと勉強する気になったか」
「げ、遊んで暮らせるんじゃないのか!」

 思いつきの出家欲は、幼馴染の鋭い一言によって、すっかりなくなってしまったようだ。
 勇一は資料から目を離さずに、大きくため息をついた。そして片手で頭を押さえて、日本人にしては珍しい茶髪をくしゃくしゃと掻く。

「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、ここまでとはな、やんごとなき天宮家当主」

 勇一は頭から手を離し、呆れきった視線を飛龍に送った。彼は世間一般的には武術の天才として名高い。そのため、あの悲劇こそ起きてしまったが、天宮家の将来は安泰であると、人々は思っている。
 だが、乃木家とこの学校の教師陣はその行く末を心配していた。

「あー、そうだよ、そうさ、どうせ俺は紫水の代わりだよ。分かってるさ」
「いや、飛龍、別にそこまでは……」

 心底拗ねて投げやりな口調に、勇一はいつもの彼らしくもなく慌てて言葉を返した。幼馴染の傷に思わず触れてしまったのだ。
 対する飛龍はそんなことは気にしない様子をして、ふくれっ面で勇一をにらんだ。

「でもな、そんなに人を馬鹿にするなら、じゃ、聞くが、クラスメートの名前を言ってみろよ」

 ただ言われてばかりの飛龍ではない。むっとした口調で彼は勇一に訊いた。
 すると途端、勇一は目に見えて焦り出す。先程の焦りとは違う。これが飛龍のうまいところだろう。仕返しと庇い立てを同時にやってのけたのだ。

「えっ、と……天宮、浅川、それから、佐藤!」
「は?」

 彼のごとき完璧優等生は、聞かれたことは何が何でも答える。見事策に乗って通常通りに戻った幼馴染の言葉。
 それで良かったはずなのだが、流石に飛龍は自分の耳を一瞬疑った。少なくともこのクラスには、佐藤なる人物はいない。

「鈴木に、高橋、田中、渡辺、伊藤、中村、山本、小林、斎藤! どうだ!?」
「どうだって……一人もいないし、そんな奴」
「嘘だろ? ありえないだろ、このクラス。日本人姓番付十番まで挙げたんだぜ?」

 日本人姓番付。そんなものが即座に浮かんでくる勇一は確かにすごいのだが、さすがにクラスメートの名前が分からないということには問題がある。この学校では三年間クラス替えはない。いかに軍が忙しいといえども、覚えられないことはないだろう。現に飛龍は隣のクラスまで全て覚えている。

「まったく……それよりユウ。シアラフの反乱はどうだ?」
「見てみれば分かる。ほれ、資料」

 自分が優位になったところで、飛龍はすぐに話を切り上げた。引き際をわきまえている。それが飛龍の誇るべき点の一つだろう。さらに小うるさい勉強の小言からも、するりと抜け出したのだ。勇一は確かに頭の良い人間だが、飛龍も飛龍で、また違った“上手さ”を発揮する人間であった。

Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.55 )
日時: 2012/01/04 00:06
名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: Pc9/eeea)

 勇一が差し出した資料。そこには何人かのシアラフ人の顔写真と説明書きがあった。反乱首謀者アレン=ロシュフィード王子、アレンの従弟のロイド=バーティカル大公爵……ざっと二十人分くらいだろうか。そんなデータをいちいち持ち歩いているのが勇一らしい。

「へぇ、バーティカルも反乱軍についたのか」
「命拾いしたよな、飛龍。“王の兵器”にしろ、バーティカル大公にしろ。正直バーティカル大公爵家が敵はごめんだ」

 勇一は苦笑いをしながら言った。彼の「バーティカル大公爵家が敵はごめんだ」という言葉。それは別に現当主ロイド個人を指した言葉ではない。バーティカル大公爵家そのものが恐ろしいということなのだ。
 バーティカル大公爵家はシアラフ王国建国当初から国の中枢にいる名門貴族。主に軍備を司ってきた一族で、シアラフ防衛の要とも言える。そのため軍人もバーティカル家に忠誠を秘かに誓っている者も多い。
 だが、真に恐ろしいのはその忠誠ではない。世界の常識として、シアラフのバーティカル家は世界の隅々まで知っていると言われるほど情報収集能力に長けているのだ。世界各国の人間に金を握らせて、常にシアラフが動くべき最善策を考えている。
 それがシアラフの要、バーティカル大公爵家。
 次の資料を見ると、そこにはオレンジ色をした少年の写真があった。ちょうど、料理か何かをしているところだろう。年齢は飛龍たちと同じか、一つか二つ年上ほど。あどけない顔つきの割には筋骨隆々で、髪色とは対照的な黄緑色の瞳はどんな若草よりも生き生きとしていた。

「ティム……ウェンダム? ユウ、もしかして、こいつって」
「その辺に書いてなかったか? “緋色の軍人”、シン=ウェンダムの弟だ」

 勇一はそう言いながら、他の資料をあさり始める。目当てのものはすぐに見つかったようで、飛龍の机の上に置いてあるティム=ウェンダムの資料の隣に、一枚の紙を置いた。他の資料より少しくすんだ色をいている。そこには、ティムとよく似た青年の写真があった。ただし、よく見ると年齢欄には“享年二十歳”とある。

「兄弟って、ここまで似るもんなんだな」

 飛龍は二つの写真を見比べながらしみじみとつぶやいた。夕日が教室に差し込み、写真をオレンジ色の光が照らす。少しだけ、写真のシンが微笑んだように見えた。
 しかし、それもつかの間、勇一が不意に立ち上がってブラインドを下ろしてしまった。

「外見だけ、な。ノーテンスでもないらしいし。まあ、シン=ウェンダムってのは、できる男だったらしいな。日本語も流暢に話すから、だいぶ日本の宮中で可愛がられてたらしい」
「天は特定の、限られた人間に二物も三物も与える……てか、シン=ウェンダムって日本に来たことあったんだ?」

 ブラインドの、わずかに空いた桟との隙間から、一筋だけ光が入る。それはティムの写真を明るく射抜いていた。だが、飛龍のいう“選ばれた人間”には、わずかなところで届かなかったようだ。
 ちなみに、補足しておくと、飛龍も一般人から見れば“二物も三物も与えられた人間”である。
 勇一は幼馴染の間違いを分かっていただろうが、ここでは特に触れずに口を開いた。

「天宮大虐殺の後、各国政府は日本駐在を恐れてな、シアラフも誰も行きたがらなくて、平民だけど、しょうがないからノーテンスでかつ日本語のできるシンが来たんだよ。父さんも、高く評価してる」

 勇一はそうとだけ言うと、ティムやシンのデータの上に、さらにもう二枚紙を置いた。
 飛龍はその写真を見て眉をひそめる。名前も顔も、いまいちピンと来なかったのだ。二人とも髪は黄緑色。年齢は二十歳かその前くらいだろう。目は真っ青で、顔立ちも似通っている。だが、表情は違う。一人は優しげな顔立ちで、もう一人は鋭い目つきと氷のような無表情をしていた。

「リョウ=レヴァネールと、アレス=レヴァネール?」
「お前、知らないのか?」

 首をかしげる幼馴染に、勇一は心の底から、ひどく失望した悲壮な声を上げる。これでも、飛龍は少将という、お飾りだとしても、そんな立派な地位にある。写真の二人は、シアラフ反乱において、その勝敗を決めると言っても過言ではない戦力だ。それを知らないとは、これから先が思いやられる。

「“王の兵器”、アレス=レヴァネールと、その兄のリョウ=レヴァネール。二人ともノーテンスだ。せめてこのくらいは覚えとけ」
「……人生何があるか分からないな。まさか、俺、ユウに人の名前について怒られる日が来るとは」

 飛龍のつぶやきは、今度こそ、何にも邪魔されることなく、勇一の耳にしっかりと入った。拳骨が飛ぶ。飛龍はヒリヒリ痛む頭を押さえながら、残りの資料をぱらぱらとめくっていた。
 ふと、その手が止まる。拳骨を収めた勇一も覗き込み、そしてため息を一つついた。

「綺麗な子、だよな。ノーテンスだってよ、飛龍」
「そうかな、俺はそうでもないと思うけど」
「分かんないかな、この美しさが。お前男としてどうかしてるんじゃないのか」

 勇一はもう一度、さらに深くため息をついた。すると、先程飛龍が開けた窓から風が踊るように入ってくる。資料は宙を舞い、教室中に飛んでいった。しかし、心ここにあらずといった勇一は、拾うことすらしなかった。
 ちょうど、飛龍の手元には先程手を止めた資料が舞い込んできた。長い黒髪をした、白い肌の少女。名前はエリス、とだけ書かれている。他には何もない。だからこそ、ノーテンスと書かれたその文字が強く目に飛び込んできた。
 夕日が沈む。しばらく経つと勇一は、突然思い出したかのように散乱した資料を拾い始めた。
 ブラインドを開けると、ちょうど野球部のナイター照明がついたところだった。

Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.56 )
日時: 2012/01/15 23:29
名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: Pc9/eeea)

 しばらくすると、照明の白い光で照らされた校庭から、教室の開いた窓に向かって金属製の筒が投げ込まれた。それはまっすぐと飛龍のほうへと飛んでいく。飛龍はシアラフ反乱軍に関する資料を眺めながら、片手で何事もなかったかのように掴んだ。筒は赤色で“陸上部”と太いマジックで大きく書かれていた。
 飛龍はそれを見ると小さくため息をつき、椅子から立ち上がると、窓の外を見た。そのすぐ下では満面の笑みの健太が二階の教室に向かって手を振っている。
 彼はこの学校の陸上部部長である。種目は主に短距離とリレー。特に短距離では百メートルで二年生にして全国大会へ進んでいるという実力者だ。ちなみに、今の段階でいくつかの陸上の強豪高校から推薦の話が来ていたが、全て断ったという。その理由が単に「朝早く起きるのが苦手だから」だと言うことを知るのは飛龍と勇一の二人のみだろう。

「飛龍! ユウ! 部活、終わった!」
「ん、分かった、ケンちゃん。今行く!」

 飛龍は窓から身を乗り出して大声で返す。そして出していた勉強道具等を片付け、教室の戸締りを済ますと、勇一と共に足早に教室を出て行った。
 
 靴を履き替えて玄関を出ると、前にあるコンクリートの通り道で健太が座ってストレッチをしていた。他の陸上部員はもう帰ってしまったらしい。健太以外は目立った成績を残していない部活だから、そこまで活発に活動していないのだ。顧問は国語教師。その上、練習スペースも野球部とサッカー部にグラウンドの大部分を占拠されているため、情けで使わせてもらっている隅のほう。とても恵まれた部とは言いがたい。
 そんな中で彼はどうしてそんな実力を持つのか。答えは簡単だ。浅川健太と二人の日本軍エース、天宮飛龍と乃木勇一は小学校の頃からの親友である。昔から三人でしていた遊びは鬼ごっこ。健太は一般人。それを、ノーテンスとしての能力を持つ二人が追いかけ、追われる。そんな日々が浅川健太というどこにでもいる少年に俊足を与えたのだ。
 玄関から出てきた飛龍たちを見ると、健太は一度大きく伸びをして立ち上がった。

「ケンちゃん、お疲れ。バトンはどうする?」

 飛龍はねぎらいの言葉をかけながら、先程彼が投げた金属製の筒を差し出した。

「持って帰るよ。どうせ誰も使わないだろうし」

 そう言うと健太は側に置いてあったかばんの中にバトンを入れた。教科書等は教室に置いてきているのか、黒い学生かばんは平らでとても軽そうだった。
 勇一はそれを見て思わず呆れ顔になる。しかし深くは追求しないで、代わりに、「それはそうと、ケンちゃん。今年は全国行けそうか?」と訊いた。

「たぶん行ける、ユウ。今年こそは入賞してやるさ」
「そうか。がんばれよ。シアラフの反乱でもしかしたら見に行けないかもしれないけど……」

 勇一は残念そうに言った。今、彼は“もしかしたら”と言ったが、本当は“たぶん”のほうが正しい。かなりの高確率で飛龍や勇一はそろそろシアラフへ軍人として行くことになる。それが分かっていても“もしかしたら”を使うところが彼らしいと言えば彼らしい。

 三人は校門を出て、古い用水に沿ってしばらく歩いた。すぐ横には柳が植えられていて、夜風がさらさらとその長い髪をさらっては落とす。その繰り返しの中、曲がり角を左へ行くと、商店街の小奇麗なアーケードが見えてきた。健太はこの商店街に、飛龍と勇一はその先に住んでいるのだ。
 アーケードを抜け、中心部に差し掛かったところで、健太の家の前に着いた。彼の家は八百屋であることは先にも述べた。約八十年続く老舗で、町中の人々から愛されている。だからこそ、長男である健太が店を継がないと言っていることで、たびたび親子喧嘩が起こるのだ。

「あら、飛龍君、ユウ君。いい所に来たわね」

 店の前で三人が他愛もない会話を繰り広げていると、店番をしていた健太の母親がニコニコと笑いながら近づいてきた。その表情は先程、学校の校庭で笑っていた健太にそっくりで、何とも不思議な気分になる。
 もっとも健太にそれを言っても認めないが。

「こんばんは、おばさん」

 飛龍と勇一は礼儀正しく頭を下げる。どこか軍隊風のその礼は、平和なこの商店街には不向きだった。

「はい、こんばんは。今日ね、新しいパフェが完成したのよ。よかったら食べていって」
「いただきます!」

 気前のいいその言葉に、飛龍は間髪いれず、うれしそうに答えると、小走りで店に入っていった。一足出遅れた勇一と健太も後に続く。
 この八百屋がたくさんの客に愛される理由の一つが“特製パフェ”の存在なのである。健太の祖父に当たる店長が市場から選りすぐりの食材を仕入れてきて、それを浅川家秘伝のレシピをもとに調理する。その味は都会の高級レストランを凌ぐとまで賞され、知る人ぞ知る名スイーツなのである。
 作ってもらった新作パフェはやはりとてもおいしかったようだ。店は継がないと意地を張っている健太も頬を緩ませて食べている。ここの料理は、どこか優しい味がする。それが高級レストランとの差の一つだろう。現在、飛龍にも勇一にも母親はいない。だからこそ、このパフェの味がよりいっそう感じられるのかもしれない。
 浅川家の人々にお礼を言うと、二人は人通りの少なくなり始めた商店街を、さらに奥へと進み始めた。口の中にはまだ先程の暖かい味が残っている。
 反対側のアーケードを抜けると、続く道はわずかに街灯で照らされている程度であった。

Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.57 )
日時: 2012/01/21 00:11
名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: Pc9/eeea)

 門番に軽く挨拶をして、二人はいつも通りに門を潜っていく。途中、この手の屋敷にありげな壮大な出迎えなどは全くない。この家には先程の軍から派遣された門番以外の使用人はいないのだ。
 その理由は主に三つ。
 まず一つ目はこの家の主、日本軍大将乃木光一が身の回りの世話を他人にしてもらうのを毛嫌いしていること。己を鍛えるには自主自立。それが彼のモットーなのである。
 二つ目は、この家には日本の機密情報が至る所に隠されていること。それらが少しでも外に出ては国の存亡に関わるのだ。
 三つ目はこの家の同居人、天宮飛龍のこと。彼はあの天宮大虐殺の唯一の生き残りである。事件から何年も経った今でも、誰がどこで飛龍の命を狙っているか分からない。昼間なら襲われてもそれなりの対処はできる。彼はノーテンスで、日本でもトップクラスの実力者なのだから。しかし、寝込みを襲われたらどうか。おそらく黙って殺されることはないだろうが、それでも危険だ。その他にもさまざまな事件が容易に想像できる。
 
 飛龍たちは屋敷に入って靴を履き替えようとした時、普段この時間帯にはないはずの靴が置いてあることに気付いた。丁寧に磨かれた皮のブーツで、持ち主の几帳面さを表すように、ほんの少しもずれることなくきれいに揃えられている。

「父さん、今日早いな」
「だな。いつも日付が変わるかどうかくらいにならないと帰ってこないのに」

 飛龍と勇一はどちらが言うでもなく顔を合わせた。そしてお互いに小さく頷くと靴を揃えるのも忘れて、二階にある光一の書斎へ走っていった。

 この屋敷は外から見ると和風だが、中はほとんど洋風である。乃木家は昔から日本軍で要職を務めてきた名家で、この屋敷は築百年を越す。先々代までは部屋の作りも純和風だったらしいが、先代当主は和風の暮らしを嫌い、屋敷を大改築し、今のような不可解な構造をしたものになったという。
 現当主乃木光一はあまりその手のことに興味がないため、当分はこの外見和風、内装洋風は変わりそうにない。しかし、勇一は父親と違ってある程度の不満を感じているから、次の代で屋敷は和風か洋風かそのどちらかに決まるだろう。
 階段を上り、長い廊下をひたすら進んでいくと、突き当たりに大きな扉がある。そこが件の書斎だ。かばんを廊下の隅に置くと、勇一が戸を静かに叩く。すると「おかえり。入れ、二人とも」という低い声が扉の向こう側から聞こえてきた。

「ただいま!」

 二人はドアを開けると同時に言った。書斎はそれなりに広く、学校の教室くらいあるだろう。ただ置いてある本も多いから実際はそれより小さく見える。
 そんな書斎の奥のソファーに、軍服を着た中年の男が座っていた。その落ち着いた雰囲気はどこか勇一と共通するところがある。ただ茶髪には白いものが混じり、それが勇一にはない貫禄を醸し出していた。

「ま、座れ。二人とも」

 光一はそう言いながらソファーの前のテーブルにあるティーポットを取り、あらかじめ出しておいた二つのマグカップに紅茶を注いだ。砂糖は片方だけに入れる。そしてソファーに座った二人の前に置いた。
 飛龍はすでに砂糖が入っているというのに、さらに追加している。彼が大の甘党であることは、二人とも昔から知っているため厳しくは言わないが、冷めた視線だけは——無駄とは知りながら——しっかりと送っていた。

「何かあったの? 帰ってくるの早いみたいだけど」

 紅茶を一口飲むと、勇一が父に訊いた。口調こそは砕けていたが、その目は親子としての会話というには真剣すぎるものだった。飛龍もすぐにティーカップを置いて姿勢を正す。

「ユビルに動きがあってな、一週間後にはシアラフ遠征部隊を派遣することになった。で、ここからが大事なんだが……。まず、飛龍はこの隊の隊長。副隊長は桐原准将だ。知ってるだろう? 俺の同期の」
「はい。先日も父さんの慰霊碑の前で会いました」
「そうか。慰霊碑とは、また奴らしいな……。あと勇一はこの軍の部隊長。最後に飛龍、お前は中将に昇格だ」

 光一の言葉に飛龍は顔をしかめる。しかし、口答えはしない。居候ゆえの肩身の狭さといったところであろうか。その様子を見て光一は一度ため息をついて飛龍の左肩に手を乗せた。 

「分かっているな? お前は天宮家当主。本来ならもう軍のトップである“元帥”の地位にいなくてはならないんだ。それをお前がまだ早いというから、口うるさい政治家達を黙らせているというのに」
「すみません。……ところで、この戦いで日本はユビルと戦うんですよね? てことは俺にとっては弔い合戦に等しい。必ず勝ってきます、おじさん」
 
 飛龍は先程までの渋い顔を一変させる。彼の言葉に勇一も賛同するように頷いた。ユビル帝国を倒すことは、二人がかつて交わした約束なのだ。
 忌まわしき天宮大虐殺——それによって飛龍は親類一同を、勇一は天宮家の分家出身であった母親を失っている。“憎むこと”で二人とも大切な人の死を乗り越えることができたといっても過言ではない。
 そんな二人を見た光一はもう一度ため息をついた。ただし今度は先程よりも深く、表情も優れなかった。

「憎しみからは憎しみしか生まれない。それではいつまで経っても世界は争いに塗れたままだ——と、まぁ、理論では分かっているのだが、それでも俺は妻や親友を殺したあの国を許すことはできない」

 光一はそう言うとソファーからゆっくりと立ち上がった。そして一呼吸、間をおいて二人のほうを向いた。意外にも晴れ晴れとした顔をしている。
 そして、それから彼が言った言葉は天宮飛龍、乃木勇一の二人にとって、どんなに辛い時でも輝き続ける道標となった。

「だが、お前達は違うだろう? 俺と違う視線から世界が見られる。いつか、お前達が見る未来を俺にも見せてくれ。憎むことしかできない俺に」

 若き日本軍のエース、天宮飛龍と乃木勇一。これからの世界変革の中で二人の幼馴染は何を見て、何を創るのだろうか。それを知る者はいない。だが、信じている者はいる。彼らがいつか世界を良い方向に導いていく、と。
 
 若い頃は鮮明に見えていたはずの輝いている世界。今はモザイクの向こう側でただ立ち尽くしているだけ。
 老いた変革者は若者に希望を託し、もう一度かつての夢を見ようとする。今度はほんの少しだけ、鮮やかな色に見えた気がした。