複雑・ファジー小説
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.68 )
- 日時: 2012/05/12 00:18
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: AVqpQU0T)
素早く分かる(?)前回までのあらすじ
世界一の軍事力を誇るユビル帝国。虎視眈々と狙ってきたシアラフへの勢力拡大、そして日本への軍事行動、様々な要因が重なって、シアラフ反乱へ軍事介入する。
ユビル帝国きっての大貴族、カレル=フィギアス。生き別れた腹違いの弟を捜し続けて早云年、とうとう弟とスラムで再会するが、母を死に追いやった貴族を恨む彼は、兄と決別する。
第四章 特別攻撃隊
シアラフ王国には、バーティカル大公爵家、という一族がいる。
建国当初から国王家と密接なつながりがあり、国内ナンバーツーの力を持つ名門。特に、彼らの持つ情報収集能力には定評があり、ユビル帝国などの大国も一目置くほどだと言う。
シアラフ反乱軍はそのバーティカル家居城、レイルリモンド城に本陣を布いている。頑丈な石壁に囲まれた堅強な作り。国内二位の力を持つだけあって威風堂々とした大きな城で、たとえ攻められたとしても簡単には落ちない。
そんな城の中庭。昼の日差しに、粉雪がきらめいては流れていく。その輝きの中に、三人の兵士がいた。
一人はリョウ=レヴァネール。先日、人望とそのノーテンスとしての高い戦闘能力が高く評価され、反乱軍総隊長に任命された。
そして、その横でパンを食べているオレンジ色の髪の少年は、ティム=ウェンダム。かつて世界中に名を轟かせた天才軍人、シン=ウェンダムの弟である。今はリョウの推薦で、反乱軍副総隊長を務めている。
さらに、そんな二人を見ながら、傍で楽しそうに微笑んでいるのが、シアラフきっての大貴族、バーティカル大公ロイドその人である。弱冠十五歳。反乱には、従兄にあたるアレン王子に従う形で参加している。
こげ茶の髪は短く丁寧に揃えられていて、目はどこかその第一王子アレンと似た雰囲気の深緑だった。三人は身分差があるものの幼馴染で、昔から互いのことは熟知している。
「ロイド、机にペン」
パンを食べていたティムが、何かを思い出したように食べるのを止めて、突然意味のよく分からないことをつぶやいた。それに対して、ロイドは即座に意味が分かったようで、こちらも短い言葉でゆっくりと返した。
「夜に」
補足を入れておくと、これは「机の上にペンを置いておいたから、それを使って今度の作戦内容を紙に書いて渡してくれ」という意味のことを言ったティムに、「後で書いて夜にでも、机の上に置いておく」とロイドが答えた、という会話だったのだ。
もちろん隣にいるリョウには伝わっているが、それ以外の人は分からなかっただろう。幼い頃から共にいるから、言葉をいくつか省いてもこの三人の中で会話は成立する。
さすがにそういった話癖が付いてしまうと問題だからあまり使わないが、この会話法は意外と戦場で役に立つため、最近は今のように練習を兼ねて言葉を省略することが間々ある。
三人とも省こうと思えばさらに省けるから、まず敵に会話内容が悟られない。三人にだけ通じる暗号というものも多数存在するから尚更だろう。
この反乱でリョウ、ティム、ロイドの三人が重宝される理由の一つがこれなのである。
しばらく三人は先程のような方法で話をしていた。中庭ではその他に何人かの人が出入りしているが、誰も三人に話しかけない。いや、会話に入り込めないのだ。皆、作業が済んだら足早に出て行く。
そんな中で一人だけ、踏み固められた雪の道を、ゆっくりとした歩みで近づいてくる男がいた。親衛隊隊長を表す王家の紋章を胸につけた、二十代半ばの青年。長い黒髪で、目は堅く閉じられている。三人とも、特にロイドがよく知る人物だ。
「カイさん、こんにちは」
ロイドは男に深くお辞儀した。切りそろえられた茶髪が、ふわりと宙を舞う。シアラフきっての大貴族だというのに腰が低い。それが、このロイド=バーティカルの一番の特徴だろう。
カイと呼ばれた青年も、にこやかに礼をする。彼は見ての通り盲目であるが、そんな素振りは一切見せない。さすがに、反乱軍親衛隊隊長を務めているだけある。
「皆さん、お揃いで何より。リョウ、唐突ですが“占い”を報告します」
「何か、あったのか?」
カイの言葉にリョウは怪訝な顔をする。
親衛隊隊長、カイ=シキスは武に長けていることはもちろんのこと、さらに占いの名人でもあるのだ。これは彼の一族の特長にも関係があるのだが、この話はまたいずれしよう。
とにかくカイの占いは外れない。そして、彼がこんな感じに話を持ちかけるときは大抵悪いことなのだ。
「ええ。少しまずいことが起りまして……ユビル軍が、動き出しました」
「……やっぱし、来たか」
カイの占いを聞いたリョウは、意外にも冷静だった。徐々に雲へ隠れていく日差しを受け、リョウは一度目をつむった。
予想はしていたのだ。ユビル皇族とシアラフ王朝は古くから同盟関係にある。いくら第一王子が起こした反乱といえども、所詮は王位継承権を持たない王子。認めるわけにはいかないだろう。まして平民中心の反乱となれば尚更だ。
そして、何よりも、虎視眈々と長年狙ってきた、シアラフに勢力を伸ばすこれ以上ない好機であった。
「指揮官は鷲の紋章、フィギアス家のカレル殿でしょう。総司令長官のハデス=シュレインは今のところ参加していません。これから戦況によってまた変わるとは思いますが」
「最初の部隊はどこに来る? カイさん」
「西の大雪原でしょうね。少なくとも私の“目”にはそう映りました」
カイが言い終わると、リョウは左手であごに触れ、せわしく唇を動かしだした。声は出さない。これは彼のものを考えるときの癖である。思考法が独特すぎて、さすがのティムやロイドでも、何を考えているのか正確に読み取ることはできない。
一分と経たないうちにリョウは考えがまとまったようで、あごから手を離し、横にいるロイドのほうを向いた。
「まず、するべきことはユビル軍の第一波から国を守ることだ。ついては精鋭部隊を作ってユビル軍を打ち砕いてもらう。それでロイド、お前はその部隊の副隊長をやってくれ」
リョウはてきぱきと話し出した。
まだ若いながらもその指揮能力は反乱軍の中でも随一のものである。あと二十年経てば日本軍の乃木大将をも凌駕する軍人になると、国王軍の将校達に言わせたほどだ。
その根本にあるのは、幼いころから師であるシン=ウェンダムに叩き込まれてきた戦のいろは。シンもまた指揮能力に秀でた男だった。
「分かりました。ところでリョウさん、隊長は誰ですか?」
「んー、アレスにやらせようかと……」
アレスは言うまでもなく、反乱軍一の力を持っている。“世界最強の生物兵器”という名が伊達ではないことを、先の戦いでリョウは身をもって感じた。
敵としてはこの上なく厄介な相手だが、味方となればこんなに頼もしい者はない。そんな弟なら、ユビル軍とも互角以上に渡り合えるのではないか。そう思ったのだ。
一方、リョウの言葉に、ロイドはひどくショックを受けたような顔をした。いつも温和そうに細めている目は、雲に遮られた光の中でこれ以上ないほどに見開き、口はすぐそれと分かるほどへの字に曲がっている。
彼がここまで拒絶するのは珍しい。幼馴染のリョウやティムでさえ見たことがないほどだ。
「どうして、僕があんな奴なんかと……」
「ロイド、アレスは……!」
リョウは弟を弁護しようとするがロイドは「やればいいのでしょう!?」と叫んで、通り道の脇に積もった雪を荒々しく蹴りながら、大股で日差しの弱くなった中庭を後にした。
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.69 )
- 日時: 2012/06/02 22:51
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: AVqpQU0T)
中庭を飛び出した後、ロイドはずっと城の最上階にある自室にこもっていた。誰かに何度かドアをノックされたのは知っているが、「どうせリョウさんかティムだろう」と思ってひたすら無視した。
ベッドの上で寝転がって、ただ白い天井を眺める。見慣れた部屋だというのに、なぜか無駄に広く、空虚な空間に感じられた。
生物兵器“氷心”——直接話したことはないが、ロイドはバーティカル家長子として何度も宮殿で見たことがある。いつも返り血を浴びたまま、無感情な目をして歩いている“モノ”。
あれは人ではない、とロイドは思っている。戦うために生み出され、人を殺すために生きている“兵器”。
あの優しいリョウの血を分けた兄弟だとは到底思えない。また、何故リョウがその弟に固執しているのかも理解できない。自分やティムのほうがずっと一緒にいるのに……今に始まった話ではない。そんなことを、ロイドは何年も前からたびたび考えてきた。
「何でアレン様にしろリョウさんにしろあいつを受け入れたんだ? 何でいつ裏切るかもしれない“王の兵器”なんか……」
気がつくと、外はもうすでに暗くなっていた。数時間ほど寝てしまっていたのだ。
泣きながら寝たためだろうか。頭痛がする。痛みから逃れるように顔を動かすと、ベッドの横の、優しく微笑む今は亡き父母の写真が充血している目に入った。
ロイドの両親、つまり前バーティカル大公夫妻は、反逆罪の咎で処刑された。半年前の出来事である。
父母が処刑されてから、毎日息の詰まるような生活を送ってきた。
親の仇である国王の反感を買わないよう最大限気を遣い、世界中に放っているスパイたちを統率し、たった一人の妹に寂しい思いをさせないようにできるだけ一緒にいてあげて……と、彼の疲れはピークに達していたのだ。
ふと写真から目を動かすと、ロイドは机の上に何かが置いてあるのに気づいた。寝ぼけ眼で最初ははっきりしなかったが、どうやら夕食のようだ。この部屋の合鍵を持っているのは今年で五歳になる妹のニノだけ。食堂に現れなかった兄を心配して、小さな体でがんばって持ってきたのだろう。
起こしてくれればいいのに、と一瞬思ったが、きっとそれも彼女の優しさなのだ。いつも無理をしているロイドをニノはずっと見てきたのだから。
「そういえば、絵本読んであげる約束してたっけ。食事を終えたら、お礼ついでに部屋へ行くかな」
まだ少しぼんやりとした頭でそう考えながら、ロイドは部屋のランプを一つだけ点けて、机のほうへゆっくりと歩いていった。
妹のニノの部屋は、ロイドの部屋のすぐ下にある。
今年で五歳。まだ幼い彼女を心配した幼馴染のティムの妹、サミカが一緒にその部屋を使っている。
昔からサミカはしっかり者で、目下の面倒を見るのが上手かった。ウェンダム四兄妹の中で唯一戦いの才を発揮しなかった少女だが、そんなものよりもっと誇るべき力が彼女にはあるとロイドは思っている。世界を明るくする力は決して“武力”ではない。まぶしいほどの“笑顔”、それが何より大切だとロイドは考えている。
妹の部屋の前に立つと兄は一呼吸置いて、軽く二回焦げ茶色のドアを叩く。いくら幼い妹の部屋とはいえども、それくらいの礼儀は必要だろう。ましてや、中には幼馴染のサミカまでいるのだ。気を遣わないと後が怖い。
誰かが走ってくる音が聞こえたと思うと、すぐに部屋の戸が開いた。目の前には風呂上りなのか、濡れた長めの髪を上のほうでまとめた少女が立っている。ティムと同じオレンジ色の髪に黄緑色の目——サミカ=ウェンダムだ。
前髪を止めている赤いヘアピンは亡き兄、シン=ウェンダムの形見だという。シンが死んだのは彼女がまだ小さい時のはずだが、それでも兄のことは良く覚えているらしい。
「あら、おはよう。よく寝れた?」
サミカはからかうような口調で訊いた。そして口元に手を当てて、くすくすと笑う。これはもともと日本の文化らしいのだが、何かでそれを見て気に入ったサミカは、ずっと笑うとそうしている。今では、彼女の大きな特徴の一つだ。
「あー、うん。ごめん」
「何で謝るのよ。まったく、ロイドは……。疲れてるときはちゃんと寝ないとね」
申し訳なさそうに返すロイドに、サミカはまた笑いながら言った。
こういう時、しっかりと優しい言葉もかけるのがいかにも彼女らしい。ロイド自身、何度その優しさに救われたか分からないほどだ。
その時、部屋の奥のほうから小さな女の子が走ってきた。深緑の大きな目をしたかわいらしい子で、明るい茶髪は緑色の髪ゴムでツインテールに止めていた。
「お兄ちゃん、おはよう!」
「おはよう、ニノ。さっきはありがとう」
ロイドは苦笑いを浮かべながら言った。まさか妹にまで嫌味を言われるとは思っていなかったのだ。ちらりと隣にいる幼馴染を見る。彼女は何も答えない。代わりに右手でブイサインを作って、ぺろりと舌を出していた。
「絵本の約束、覚えてる? お兄ちゃん」
姉分のいたずらに気付いているか否かは分からないが、ニノは二人のやり取りについて何の疑問も感じず、期待を込めたキラキラと輝く目で兄を見つめて言った。ロイドは苦笑しながら頷く。忘れるわけがなかろう。何しろ、彼はそのために来たのだから。
「もちろん、ニノ。今日は何がいい?」
ロイドの言葉にニノはうれしそうに笑い、兄の手を握って、部屋のベッドのほうに引っ張っていく。その途中に通った机の上からニノは絵本を一冊手に取った。だいぶ年季が入っているようで所々破れている。これは、二人の父が幼い頃大切にしていた本なのだ。今では形見のようなものでもある。
「お兄ちゃん、あかずきんちゃんがいい!」
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.70 )
- 日時: 2012/06/19 22:43
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: 0/YvRfBI)
「うん、いいよ。本貸して」
ロイドがふんわりとした口調でそう言うと、ニノはにっこりと笑った本を手渡し、そのあとベッドに入って寝転がった。ロイドは近くにあった椅子を持ってきてそばに腰掛ける。サミカは用事があるのか、部屋の奥のほうへと歩いていった。
ロイドは少し低く、また丁寧な調子で読み始める。
思えばこの“あかずきんちゃん”は、今のロイドの気持ちに答えてくれるものでもあった。
物語の中であかずきんちゃんは、優しいおばあさんに化けた狼に食べられてしまう。今のシアラフ反乱軍でも、同じことが起こっているのではないか。
優しいリョウの弟ということで反乱軍に入ってきた、“王の兵器”、氷心ことアレス=レヴァネール。いつか、この狼のように、本性を表して全員食らってしまうのではないかと不安になる。そうして、自分が死ぬと妹は誰が守るのか。サミカはどうなるのか。この国は……と考えていくときりがない。
ふと気付くと、ニノはもう寝てしまっていた。開いてあるのは狼があかずきんちゃんを騙しているところ。狼が正体を表すところを、今のこの心境で読まずに済んだのは幸いか、と思いつつロイドはベッドの横のランプを消す。
「おやすみ、ニノ」
頭を撫でると起きてしまうかもしれない。一度伸びかけた手を少し残念そうに引いて、優しくつぶやいてベッドの横から離れた。
本はいつも枕元に置いていくが、今日はそのまま持っていく。裏切られる夢を妹が見ないように、と自分では思うが、実際はどうだろうか。正確な気持ちはロイド自身、よく分かっていない。何ともいえない気持ちを抱えたまま、ロイドはドアのほうへと向かっていった。
「ロイド、帰る前にお茶でも飲んでいって」
ドアノブに手をかけたとき、後ろから赤いエプロンをつけたサミカが小さな声で言った。そこから少しだけ見える机の上には、二人分のティーカップと、少し深めの皿が載っている。
「ありがとう。それじゃ、少しいただくよ」
ロイドはそう言うと引き返して、机の前の椅子に腰掛けた。サミカはその向かいの椅子に座る。
彼女は何かいいことがあったのか、ずっとニコニコとしている。何だろうなぁ、とロイドは不思議に思うが、聞こうとはしない。おしゃべり好きのサミカのことだから、おそらく黙っていても自分から言うだろう。
ロイドは紅茶を一口飲むと、次は目の前にある皿に入っているクッキーに手を伸ばした。サミカはよく菓子を作るが、いつものものとは違う気がする。もしかしたら、機嫌がいい理由はここにあるのかもしれない。
「ねぇ、ロイド。クッキーおいしい?」
案の定、サミカは意味ありげな聞き方をしてきた。少し得意げに、それでいて不安げでもあるその目。ロイドにはその理由が分からなかったが、素直ににっこりと頷いた。このクッキーはとてもおいしいのだ。
「いつもと違う気がするけど、どうしたんだ?」
「あのね、今日広場で綺麗な子と知り合ってね、一緒にこのクッキー作ったの」
サミカは目を輝かせながら言った。その人のことがかなり気に入っているのだろう。サミカはあまり人のことを悪く言わないが、これといって気に入る人も多くはない。そんな彼女がここまで褒める。よほど性格の良い人だったのか、憧れるような人だったのか。
「へぇ、どんな人?」
「あ、“綺麗”って言葉に反応した! ロイドの助平」
「ち、違うよ! ただ君がそこまで言うから……」
むっとした表情のサミカに、ロイドは真っ赤になって慌てて弁明する。
事実として、ロイドは美人に反応したわけではない。ただの好奇心だ。しかし、好奇心が身を滅ぼすということを、この少年も十五歳になったのだから、そろそろ学ぶべきだろう。
「本当? ま、いいわ。真っ白い肌に長い黒髪、目はすっごく澄んだ青色をした子でね、エリスちゃんっていうの。なんでも反乱に兵士として参加してるんだけど、この前負傷して今は療養中なんだって」
「兵士か、いたかな? そんな子」
ロイドは首をかしげる。
女性の兵士ならたくさんいるはずで、その中で黒髪となるとある程度は絞れるだろうが、それでもまだかなりの数がいる。今は療養中だというから、次の戦いには参加しないだろう。いつか気付いたときにでも探そうとロイドは決めた。
「優しい子でね、何であんな子が人を殺せるんだろうって……あ、これロイドにも思ってたのよ。兄ちゃん達も、リョウ兄ちゃんも、優しすぎるくらい優しいのに」
ティーカップを握る少女の手は少し震え、湯気の立つ紅茶は危なげに波を立てる。赤いヘアピンだけが、明かりの下で煌めいていた。
「サミカ……僕はニノを、サミカを、リョウさんを、ティムさんを、アレン様を、みんなを守りたいから戦ってるんだ。君やニノを理由に人を殺すなんて馬鹿げてるとは思うけど、他に方法が思いつかなかったから。所詮僕はその程度の人間だから……」
ロイドは目を伏せていった。とてもサミカと目を合わせられない。言ってしまってから後悔すらもする。
幼馴染である彼女に、嘘はつきたくはない。先程“あかずきんちゃん”を読んだからなおさらだ。だが、それで彼女に重荷を負わせることになったら? そう考えると恐くなる。
だがそれは結局、人を理由に人の“命”から逃げている自分と向き合うのを拒絶していたとも言えるだろう。
サミカは、そんなロイドの片手をそっと取った。極寒の地には似合わない、暖かな甘い香りが少年の鼻腔をくすぐる。春の香り。父に付いてユビル帝国に行ったとき嗅いだそれと似ている。いや、それよりもはるかに優しい。たとえ春が来なくても、この国にはそれを凌ぐものがある。それを改めて実感させられた瞬間だった。
「あの子、エリスちゃんも同じことを言ってた。何よりも大切な人がいるって、そのために戦うって。このくらいしか、できないからって……いいなぁ、戦えるって。私は無理。いつもロイドや兄ちゃん達にばっかりそんな役回りさせて、私は傷つくことなくここにいる。ひどいよね」
幼馴染の手を握るサミカの手は震えていた。力は、その震えの回数だけ強くなっていくように感じる。
俯いていて顔は見えないが、泣いていることは確かだった。
彼女は戦いによって、大切な兄を失った。いつも、恐れているのだろう。いつか他の大切な人も同じ道をたどるのではないか。そして、その時はまた最期すら看取れず、ついさっきまで元気だった人の冷たくなった姿だけ見る破目になるのではないかと。それこそ幼い日に死んだ兄のように。
ロイドは空いている手を、震えている少女の手に重ねた。本当は、抱きしめたりしてあげられたら良いのだろうが、あいにくロイドにそんな度胸はない。ただ優しく手を乗せる。それだけだった。
「笑って、サミカ。君が泣くんじゃ僕は何のために戦ってるんだか分からなくなる。君が笑ってくれさえすれば、僕はどんな戦場でも自分を見失わない。絶対に……君の元へ迷わず帰ってこれる」
ロイドが言うとサミカは少しだけ顔を上げた。泣き顔に、何とか笑顔を作る。
見たい顔は贅沢を言うともっと明るいものだが、それでも彼女なりにがんばったのだ。ロイドもそれに答えるように微笑む。
「ありがとう、ロイド」
「どうして? お礼を言うのは僕のほうだよ。これでやっと、決心が着いた」
幼馴染が何を思って今の言葉を言ったのか、サミカは知らない。知りたいとも思うが、彼女が聞くことはなかった。ロイドが何かを吹っ切れたのなら、それでいい。それだけで十分なのだ。
ロイドはもう一度サミカに「ありがとう」と言って部屋を出て行った。窓の外では雪が月光を浴びて儚くも美しく舞っている。静かに、音も立てずに。
そして、夜は次第に更けていく。
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.71 )
- 日時: 2012/07/15 00:14
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: 0/YvRfBI)
- 参照: http://mb1.net4u.org/bbs/kakiko01/image/462png.html
部屋を出たロイドは、薄暗い廊下を早足で歩き、まっすぐに自分の部屋へと向かった。そんなに時間をかけないつもりでいたが、予想以上にニノの部屋で長い時間を過ごしてしまったのだ。
おそらく、明日にでも、昼間カイやリョウが話していたユビル帝国軍との戦いは始まるだろう。いろいろと、しなければいけないことは山のようにある。
燭台の火は弱々しく、窓からは、暗闇の中でぼうと光る朧月が見える。もう夜も遅い。隊員たちにあいさつするのは明日のほうが良いだろう。今更ながら、ロイドは昼間の自分の考えなさに腹が立ってきた。
「ロイド様! やっと見つけた」
階段の前に着いたとき、ロイドは後ろから突然声を掛けられた。
振り返るとそこには二人の若い男。一人は青い髪で、またどこか日本系の顔つき、もう一人は輝くような長い金髪を、半開きの窓からの夜風に揺らしている。二人とも同じ反乱軍の制服を身にまとっていた。
「えっと、ごめんなさい……」
ロイドはとりあえず謝った。視線は石畳の廊下を泳ぐ。今日はほとんど一日中部屋に閉じこもっていて、尋ねてきた人はひたすら無視してきた記憶があるのだ。もしかしたら、この二人もその被害者かもしれない。
一方、目の前の二人はロイドの反応に、暗い燭台の明かりでも分かる、度肝を抜かれたような表情をした。無理もないだろう。ロイドはシアラフきっての名門バーティカル大公爵家の当主である。一般人では目を合わせることすらできないような、雲の上の存在なのだ。
「決してそんなつもりでは、ロイド様」
「そんなに畏まらないでください。どうぞ、お気遣いなく」
青い髪の男が慌てて言うと、ロイドはいつもの丁寧な口調で諭した。
彼は、特別扱いが嫌いであった。皆貴族だからと気を遣うが、共に改革を志すもの同士なのだから、同じ人間として平等に扱ってもらいたい。
もちろん大将であるアレンは別だ。彼は全てをまとめ、引っ張っていくためにも上に上げなくてはならない。
そのためにも、ロイドはその他大勢である必要があるのだ。
「そ、そんな、ロイドさ——」
「——マジッすか!? いや、堅苦しい敬語は慣れてないんスよ。いやー、助かった。あ、俺ティクシって言います。ティクシ=ウェンル。で、こっちはコウタ=ドレイル」
恐縮して青髪の男、コウタが言いかけると、それを遮るように金髪の男、ティクシが陽気な口調で一気に言った。コウタはそんな隣の男をひと睨みする。ついでに足を踏もうと自分の片足を上げたが、目の前にロイドがいるのを思い出したのか、慌てて足を戻した。
「コウタさんに、ティクシさん。はじめまして。僕に何か御用ですか?」
ロイドはにっこりとして二人に訊いた。はじめは緊張した顔をしていたコウタだったが、幾分か慣れてきたようで、多少表情も柔らかくなっている。
「ロイド副隊長、私達は対ユビル軍のために組まれた“特別攻撃隊”の副隊長補佐官です。本日を持ってあなたの指揮下に入ります。つきましては明日の戦いの打ち合わせを」
コウタは敬礼をしていった。ティクシもそれに倣って、不恰好だが右手を額の前に持っていく。よく見ると、二人の制服の胸には普通のものにはない水色の線が入っていた。水色はこの国では“尊い力”を示す。特別攻撃隊の色。ふさわしい色であった。
「ごめんなさい。僕が意地を張っていたばっかりに苦労を掛けて」
「氷心の事っすね? それなら俺達も認められませんよ。革命のために命は張りますけど、親父や兄貴みたいに奴に惨殺されるのはごめんです」
ティクシは舌打ちをしながら言った。コウタも口にこそ出さないが、賛同するようにロイドを見ている。国民にとって生物兵器は恐怖の対象なのだ。ティクシのように、親兄弟を殺されたものも少なくはない。彼らの反応も当然であった。
ロイドは二人を一度じっと見る。この意見は、決して二人だけのものではないだろう。おそらく特別攻撃隊のほとんど、いや全員がそう思っているのだ。
「それのことですが、コウタさん、ティクシさん。明日の対ユビル戦は僕達だけで行います。夜明けと共に出発です。氷心には知らせないように。他の方々にも伝えてください。この隊の隊長は、僕が務めます」
ロイドはテキパキと、決意のこもった口調で宣言した。リョウの指示に背くのは申し訳ないと思う。それはまぎれもない事実である。彼は、ロイドを信用してこの仕事を任せたのだ。
それでも、その弟のアレスは信用できない。死ぬわけにはいかないのだ。大切な人のためにも。迷わず帰るといったのだから。それに、コウタたちのように、自分を信頼してくれる人もいる。彼らを、死なせるわけにもいかない。
ロイドが言い終わると、二人は突然片膝をついた。冷たい風が、神聖な誓いの場を清めるように走っていく。臣下の礼。いつもは咎めるところだが、今は何も言わずに、黙って二人の目を見た。コウタとティクシは、膝をついたまま、アイコンタクトも送らずに、はっきりとした口調で答える。
「了解しました、ロイド隊長!」
朧月。
その不透明な月明かりに照らされた三人。淡い光と、冷たくも柔らかな風の中。これが、後にシアラフ最強と呼ばれる部隊の始まりであった。
※URLは1200記念。少し先のロイド。しかし、絵が描けないorz
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜【記念】 ( No.72 )
- 日時: 2012/08/05 01:11
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: LUJQxpeE)
シアラフ西にある大雪原。地図を見ても、特にこれといった名はないが、近くに住む者たちはクラスィーヴィ(美しい)と呼ぶ。
普通なら、この何もないだだっ広い場所を何故そう呼ぶのかは理解しがたい。しかし、朝日が地面一帯を照らした時、感嘆の声と共に「なるほど」と思えてくる。
純白の雪原が、美しく輝いて見えるのだ。暗い雲に覆われていることの多いシアラフではあまり見られない光景だが、もし晴れた明け方にここへ来る機会があったら、ぜひ一度見てほしい。きっと早起き以上の価値あるものが待っているはずだ。
この日は晴れ。普通なら、その美しい光景が見られるはずだった。
たしかに、雪は輝いている。しかし、“クラスィーヴィ”と言える場所ではない。
「第四部隊前へ! バーティカル大公を囲め!」
そこは、戦場と化していたのだ。五百人超の部隊で戦っているのは、舞う槍と剣の旗、植民地相ダラン=フェーレル率いるユビル帝国の植民地軍。フィギアス家の近衛軍、ハデス=シュレインの平民軍と並ぶ、ユビル帝国きっての部隊、その一部である。
「陣形を崩すな! ロイド様を死守せよ!」
五百を超える植民地軍に対し、シアラフ反乱軍はというと、五十人程度からなる生物兵器アレスが隊長を務める特別攻撃隊。反乱参加者の中でも戦闘経験者で、かつ武に秀でる兵を集めた部隊だ。
しかし、本来いるはずの生物兵器アレスはいない。
簡単に言えば置いていかれたのだ。「生物兵器は信用ができないから」と。
彼の代わりに今指揮を取っているのは、バーティカル大公ロイド。兵達からの信頼も厚く、統率者としては問題のないように思える。
だが、一つだけ考えが浅いところがあった。
この作戦についてである。総隊長のリョウは弟のアレスがいることを前提として、成功させられる戦術を立てたのだ。彼の抜けた穴は当然大きい。アレスはノーテンスで、しかも世界最強の生物兵器。戦闘能力は他の比ではない。当然反乱軍のほうはぼろが出始めた。
(氷心がいなくても何とかなるなんて、過信しすぎたか?)
短剣を振るいながら、ロイドは歯軋りした。普段は整っている茶髪は乱れ、深緑の瞳は戦場全体を次々と映している。
陣形が乱れ、敵兵がロイドを遠巻きに囲んだ。得意の短剣は届かない。それでも、彼は右手を振る。すると、銀に輝く短剣からは少年の“氣”が溢れた。それは風の刃となり敵へ向かっていき、確実に植民地軍の数を削っていく。
バーティカル大公。彼の氣術は他を凌駕する。
まず、氣の量が違う。ノーテンスであるリョウと比べても、変わらないかそれよりも多いくらいである。
さらに、彼には一度に大きな技を使うだけの集中力がある。大きな技を使うときは全体像を細かく想像する必要があり、当然精神が乱れては失敗する。
また、氣術は本人の意思によってその効力は変わる。たとえば味方は傷つけたくないと強く願い、そのイメージを膨らませて術を発動すると、敵だけ攻撃することができるのだ。
しかし、ひどく難しいため、一般の氣術使いはまず味方の近くで大きな技を使わない。それに対してロイドは何ごともなかったかのように、戦場全体に広がるような技も使用できる。
そんな彼でも、十分の一しかない兵力で戦うのはきつかった。ユビル軍の中にも、氣術に秀でたものは何人かいる。そんな中で、ロイドは味方を庇うのが精一杯だった。ただでさえ兵数は少ない。一人でも多く戦わないと勝ち目はないことは明らかなのだ。
だが、事実として、どんどん戦える兵は少なくなっていく。はじめ五十人いたのが四十人、三十人、二十人……全員が戦死というわけではない。だが、戦況が極めて悪いことは認めざるを得ないだろう。
(全滅を、覚悟しないとな……)
ロイドは隙を見て周りを見渡し、諦めの色が混じった表情で思った。シアラフ語のうめき声や叫び声が響き渡る。いくら地獄といえども、ここまでひどくはないだろう。命乞いの声が聞こえないのはさすがと言ったところか。
先程から掃討作戦に移ったのか、ロイドは、はるか後方から氣が爆発的に高まる気配を感じた。
「カレルさん……」
向かってくる敵兵を切り裂きながら、少年は遠くを見据えてつぶやいた。氣の発生源。それは、ユビル軍“鷲”の指揮官、カレル=フィギアスであった。
カレルとロイドは、かつて会ったことがある。その時から、カレルはロイドの氣術の才能を見抜いていたのだ。だからこそ、ここまで時間を掛けたのだろう。ロイドが疲弊するのを待って、確実に息の根を止めるために。
カレルの氣が破裂するのを感じた。相当大きい。すぐに雪原へと戦場を埋め尽くすほどの炎の塊が飛んできた。予想以上の力だ。さすがに、現在世界最強の軍人と謳われるハデス=シュレインの一番弟子だけある。ここまでだと戦い始めでも、受け止めるのはきつかったかもしれない。
青い空を赤く染める地獄の業火。最期のときを想像するには十分すぎるほどのものだった。 どうにもならないことを知ってか、誰も逃げようとはしない。ただ呆然と、向かってくる炎を見て、己の無力を嘆いていた。
(ごめん。ニノ、サミカ……)
その時、突然炎と戦場の間に分厚い氷の壁ができた。氣術によるものだ。誰の技か知っている者は、いない。
いや、ロイドだけはまさか、と思った。かつて宮殿ですれ違ったときに感じた、圧倒的な力。血に塗れた殺人兵器。
だが、絶対とは言い切れなかった。“質”がぜんぜん違うのだ。その昔感じたそれとは違い、どこか暖かみがあった。シアラフでふとした瞬間に触れる優しさのような、そんな暖かさだ。
炎が氷の壁にぶつかった。多少は融けるものの、壁は破られない。そして、空は元の青色に戻った。
ユビル軍では、目に見えて動揺が走る。当然だ。ユビル帝国で最高レベルの戦闘力を誇る、あのカレル=フィギアスの氣術が破られたのだから。
ふと、後ろから雪を踏む音がして、ロイドは慌てて振り返る。
そこには、反乱軍の制服を着た生物兵器の姿。彼の知っている氷心はいつも無表情で人間らしさがなかった。
しかし、今そこにいるのは、ノーテンスの印を額からのぞかせ、微かに余裕の笑みを浮かべて歩いてくる一人の軍人。
いや、日を浴びて淡く輝くその姿は、地獄の戦場に降臨した救いの軍神に近かった。
アレスはロイドの横に立つと、右手を前に伸ばした。すると、唖然としているユビル兵たち全員の手足に氷が纏わりつく。アレスはそれを確認すると、氷の壁を消した。もう、後方からは新たな部隊が出てきている。これもおよそ五百人。おそらく、本隊が退く時間稼ぎだろう。カレル=フィギアスの氣術が破られたことは、そこまでの衝撃を与えていたのだ。
「動ける奴は負傷者を下がらせろ! 一人でも多く生き残れ!」
アレスは、戦場に響き渡る大声で指示を出した。迫ってくるユビル軍を睨み、すでに両腕は刃に変えて臨戦態勢に入っている。
突然のアレスの登場に呆然としていた兵達は、我に返ったように動き出す。そんな隊員たちを、アレスは一度振り返って見た。そして、そのまま言葉を続ける。
「お前らの目の前にいるのは何だ? 世界最強の生物兵器だろ!? 俺がいる限り敗北はありえん! 行くぞ!」
火が消えたようだった特別攻撃隊から、一斉に歓声が沸き起こる。アレスは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにユビル軍へ突っ込んでいった。その行動は一種の照れ隠しだったのかもしれない。隊員の何人かは、敵部隊に攻撃を仕掛けようと走っていく彼が、耳まで赤く染めているのをしっかりと目撃していた。
気付いたら、ユビル軍の殿がいるところでは、すでに無数の氷柱が上がっていた。
さすが、と言うほかないだろう。一人だけにも拘らず、五百人の敵兵と余裕で交戦しているのだ。
ただ単に“生物兵器だから”ということではない。“ノーテンスだから”というだけでもないだろう。“天才”という言葉を持ってしても足りない。戦場に於いて全てを凌駕するような力を、アレスは持っているのだ。
神とも言うべき軍人がいる。この分だったら、もう十分足らずで勝敗は喫するだろう。
特別攻撃隊の面々は、そんなアレスを以前のような軽蔑する目ではなく、明らかに違う様子で見ていた。
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜【記念】 ( No.73 )
- 日時: 2012/08/11 01:16
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: LUJQxpeE)
少しすると、平然とした様子でアレスが戻ってきた。
返り血はもちろん所々に付いている。だが、それはここにいる全員同じだ。腕の変形は解いていた。さすがに、それが恐怖の対象となっていることは分かっているのだろう。ただでさえ生物兵器は恐れられている。その上、今回の件もある。少しのことでも意識していかなくてはならないのだ。
誰も、口を開かない。勝手にアレスを恐れて彼を認めず、何も知らせないで置いてきた。そして、その結果が今回の苦戦。気まずいのも当然だろう。五十名いた兵のうち八名が戦死し、十名は足を失うなど永久に戦線離脱となった。彼らの考えなさで、反乱軍は大きな損害を出したのだ。誰もアレスの顔をまともに見られない。
そんな時、ロイドが一人アレスのほうへ歩いていった。今回のこの戦い、全員が賛同したこととはいえ、責任は隊長役を自ら買って出た彼にある。アレスはそんなロイドを怒りの色もなく、かといって優しさといった雰囲気もなく、ただ見ていた。
ロイドはアレスの前に立つと、しばらく俯いていた。なかなか言葉が出てこない。言うべきことは分かっている。しかし、いざ声にしようとすると詰まるのだ。別に、生物兵器である彼に頭を下げるのを拒んでいるのではない。
言葉の代わりに、涙が次々とこぼれ出ていた。
「その涙は、誰への涙だ? 何の悲しみだ?」
唐突に、アレスは淡々と訊いた。
この戦いの前に彼がそう問いかけたのなら、「なんと非情な奴だ」と思っただろう。もともと、生物兵器“氷心”のイメージはそんな感じのものだ。
しかし、今は違う。その人のイメージによって言葉というものは、ここまで印象や受け取り方が変わるのだ。
「死なせてしまった同志と、その家族、裏切ってしまった人々、迷惑をかけた人々、全てへです」
ロイドは震える声でアレスの顔を見ずにそう言った。
だんだんと空を薄い雲が覆い、そっと雪が降ってくる。優しく、ふわふわとしたシアラフでは珍しいタイプのそれ。まるで、戦死者を慰める花びらのようであった。
アレスは何も言わない。
心配になって、ロイドはそっと顔を上げて彼の顔を見る。腕組をして、アレスはじっと少年を見ていた。
ロイドが顔を上げたのを見ると、アレスは表情を和らげる。そして、そっとロイドの肩に自らの手を置いて、はじめて柔らかい口調で話し始めた。
「それならいい。分かっているなら俺から言うことはない。だいたい偉そうに言えることを俺はしてきてないしな。何はともあれ、助けられなかった兵もいるが、今はこれで良い。生きている奴がいただけで十分だ」
「アレス、隊長……」
ロイドはうわ言のように一度そうつぶやくと、右手で涙を乱暴に拭き、アレスの前で片膝をついた。その様子は、まるで昨晩のコウタやティクシと同じようだった。臣下の礼。これから忠誠を誓うという証だ。
そして、ロイドはさらに自らの短剣を差し出した。ここまで来るとかなりオーバーだが、彼の表情は決してふざけていない。強く、決意に満ちた目をしていた。
アレスは驚いたように、初めて戸惑いの色を見せる。彼は、自身が嫌われているという自覚があった。だから、今回の彼らの行動をこれと言ってきびしく咎めようとはしなかったのだ。原因の大半は自分にあるからと。
さらに、ロイドと同じように次々と兵たちは臣下の礼を取り始める。誰に強制されたことではない。全て自らの意思によるものだった。
「あなたにこの命尽きても忠誠を誓います。アレス隊長」
ロイドが代表して落ち着いた口調で述べた。
さすがに、貴族だけあって儀式的な話し方はお手の物だ。アレスは短剣をそっと受け取る。柄には水色の十字の紋章が描かれている。バーティカル大公爵家の紋章。つまり、この短剣は彼の家に伝わる宝ということを意味している。
「期待している、ロイド、それから、特別攻撃隊の諸君。さて、全員帰還! 捕虜は丁重に扱え! あー、分かっているとは思うが、覚悟しておけよ。帰ったら兄さんの大目玉が待ってるだろうから」
アレスは苦笑いしながら指示を飛ばす。言い終わると、一陣の冷たい風が走り去り、あたりの気温を奪っていった。いつも優しい人間が怒った時は、実を言うと何よりも恐い。リョウ=レヴァネールの場合、もともとずば抜けた戦闘能力を持っているから尚更だ。
隊列を組んでいると、アレスはふと何かの気配を感じて南の空を見た。ロイドも何かを感じたようで、同じく雲のかかった空を険しい表情で見ている。
すると、何か黒いものが近づいてくるのが見えた。
だんだんと、その姿がはっきりしてくる。
“龍”だ。黒く大きな龍が雪原に向かってきている。
特別攻撃隊全員武器に手をかける。もしかしたら、ユビル軍の新兵器かもしれない。
しかし、違うようだ。龍は戦う気配を見せず、アレスたちの前に降り立った。今まで龍に気をとられて気づかなかったが、その背には人が乗っていた。黒髪の少年と茶髪の少年。まだロイドと同い年くらいだろう。
「あ!」
ロイドは龍から降りてくる少年達を見て、ひとり素っ頓狂な声を上げた。それに気付き、黒髪の少年がロイドを見ていたずらっぽく笑って話しかけた。
「何だ、戦い終わったのか。久しぶり、ロイド」
「お久しぶりです。飛龍さん、勇一さん」
飛龍はロイドに向かって軽く手を上げて返事をすると、黒い龍の頭に手を置いた。
すると、突然白い地面に紫色の陣ができる。日本語で何か文字が書いてあるが、何と書いてあるのかロイドには読めない。先程のような簡単なあいさつなら日本語でできるが、それ以上はさすがにわからないのだ。
陣が紫色の光を出したと思うと、龍は光の中へと消えてしまった。そして、光は一箇所に集まり、拳ほどの大きさになったかと思うと飛龍の体に入っていく。
これは彼の氣術だ。また、ノーテンスとしての彼独自の特殊能力にも関係がある。
ノーテンスは全員個々の特殊能力を持つことは前にも述べた。リョウ=レヴァネールの医療氣術などがそれに当たる。
飛龍の能力は“氣術の永久的な維持”。
先程の龍は彼がまだ七、八歳の頃に作り出し、それからずっと消していない。いつでも今のように体の中に戻して、またすぐに出すことができる。それによって龍を出すことに氣はほとんど使わず、また一々イメージする必要もない。この能力はノーテンスであった彼の母と同じもので、たとえ術者が死んでもそれは地上に残るのだ。
飛龍が龍を戻している途中、一緒に来た勇一は一人アレスの前に立った。日本でも悪名高き生物兵器は知られているだろうが、彼の様子には恐怖など微塵も感じられない。さすが一国の大将の息子といったところか。見事なものだ。
「特別攻撃隊アレス=レヴァネール隊長。私は日本軍中佐の乃木勇一です。ここの部隊の救援をリョウ=レヴァネール総隊長から頼まれたのですが、この分だと大丈夫そうですね」
勇一ははきはきと丁寧なシアラフ語で言った。日本の中学校の学業成績では、頭一つ、ではとても足りないほど抜きんでているだけあって、発音から文法までこれと言って不自然なところは何もない。おそらく幼い頃からの英才教育によって培われてきたものなのだろう。
「乃木中佐。わざわざご足労いただきありがとうございます。今から帰還するところですが、あなた方が動いているということは、日本軍は、我が軍に協力していただけるということですか?」
「はい。アレン王子は我が内親王殿下の許婚。彼を助けぬわけにはいきますまい」
アレスの問いに勇一は冷静な口調で答えた。至極もっともらしい解答だ。理由も理に適っている。しかしアレスは頷かず、ただ不敵に微笑んだ。
「今のところユビル軍の中にはハデス=シュレインの姿は見受けられませんでしたが、それでも共に戦ってくださるということならありがたい限りです」
「……なかなか侮れませんね。生物兵器だからただの戦闘馬鹿かと思っていたが、そうでもないらしい。兎にも角にも日本はシアラフ反乱軍に力を貸す。それで問題はないでしょう?」
勇一はアレスに驚いたような、それでいてどこか楽しそうに言った。日本軍の目的はあくまでユビル帝国だ。その中でも特にハデス=シュレイン。あの忌まわしき天宮大虐殺を引き起こした黒幕とされる人物。飛龍と勇一の二人にとっては肉親の敵である。アレスは先程の会話でこのことを確かめていたのだ。
日本軍の介入。それによって徐々に役者はそろい始める。北の小国での王位継承権を火種に起こった反乱。それは他国の対立と絡み合いだんだんと大きく且つ複雑化していく。
血が血を呼ぶ。戦いが戦いを引き起こす。それらは止まることなく、人の歴史の中で無限のループのように繰り返されている。
季節は春と夏の中間にあった。
あとがきです
この章は二、三とならず、ここで終わりです。思い入れがある章、というほどではないのですが、ロイドという登場人物自体はリョウについで設定が昔からあるキャラクターなんですね。そう言う意味での思い入れはある章です。
しかし、この章書いたのは三年前か……反省する場所もある反面、学ぶところもあるという、複雑な気分の文章です。
さて、それでは第四章おつきあいいただきありがとうございました
次は外伝をいくつか挟みます。最初の外伝はエリスとティム中心、その後は未定ですが飛龍とかコウタとか、でしょうか。
これからもおつきあいいただければ幸いです