複雑・ファジー小説

Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.74 )
日時: 2012/09/25 23:26
名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: B/p47WjD)

 外伝 エリスの休暇

 シアラフ王国バーティカル領。中心にそびえ立つ、反乱軍本陣レイルリモンド城。
 その最上階の窓から、真っ白な吐息がほう、と出てきた。昼前のひんやりと気持ちのいい空に、その憂いのこもった感情が吸い込まれる。
 ため息の主はシアラフ反乱軍総隊長リョウ=レヴァネール。司令室として使っているこの部屋の窓の桟に右肘で頬杖を付いていた。
 雪は降っていないものの、時折吹いてくる風はかなり冷たい。少し寒くなったのか、リョウは開けていた窓を閉めた。分厚いカーテンにも手が伸びたが、さすがに外の見えない閉ざされた空間は性に合わないらしく、仕事を無くした彼の手はくしゃくしゃに黄緑色の髪を掻き出した。

「で、エリス。いつまで俺に張り付いてるつもりだ?」

 頭から手を離し、リョウは部屋の隅にある小さな椅子にちょこんと座っている少女に呆れた口調で訊いた。
 彼女は、昨日の昼から寝るとき以外、ずっとリョウと付きまとっているのだ。別に無駄口を叩くわけでも、また仕事の邪魔をするわけでもないため、別に気にしなければ問題ない。
 しかし、いくら弟の大切な人とはいえども、年頃の女の子にずっと行動が見られていると思うと複雑な心境だ。

「だって、アレスいないし、リョウさん以外知ってる人いないもん」

 エリスは少し拗ねたような口調で答えた。その手には、リョウから借りた鈎針が握られていて、紺色の毛糸を使ってマフラーを編んでいる。誰のものかは考えるまでもあるまい。彼女が編み物をしているとしたら、それはただ一人のためでしかない。
 彼女は朝からマフラーを編んでいる。つまり、ずっと座っているのだ。
 長時間椅子に座り続けていると、本来なら背筋が曲がったり、背もたれに寄りかかったりするものなのだが、リョウが見ている限りそんなことはない。すらりとした足もしっかりと両膝を合わせてある。
 元奴隷と言われなければ、まず絶対に気付かないだろう。いや、奴隷と教えられても納得いかない。さらに、さらさらとした長く豊かな黒髪に、真っ白な肌。そして澄んだ青色の目。エリスは、驚くくらいの器量よしなのだ。バーティカル大公ロイドのように、“貴族の出”と言っても何の疑いもなく通用するだろう。

「おいおい、ちょっと問題あるだろ、それ……てか、その報復なら知らないからな。アレスたちを何も罰せずに許すのはまず無理だったんだからさ」
「そのくらいは私も分かってるよ。でも、みんな、いいなぁ。私も今度から特別攻撃隊配属になるのに一人だけ仲間はずれな気分」

 エリスはそう言うと、先程のリョウと同じようにため息をついた。別に真似をしたわけではないのだが、嫌味のように見て取れるそれ。
 若き反乱軍総隊長は苦い顔になり、美しい少女は相変わらずのうかない表情。
 そもそもの原因——事の発端は昨日の昼にさかのぼる。
 
 レイルリモンド城の城門前。多くの反乱参加者が集まるそこで、何かを殴り飛ばすような音と、その後すぐに硬いものに叩きつけられたような鈍い音がした。
 城壁の下には、頬から血を流して俯いているバーティカル大公ロイド。その隣にはもうすでに殴られた後のようで、同じように血を流している特別攻撃隊隊長アレスの姿があった。
 手を下したのは、恐ろしい形相で二人を見下している反乱軍総隊長リョウ=レヴァネール。右手には血が付いていた。
 公衆面前での見せしめとも取れるその裁き。哀れみを込めた目で見る者はいるが、異を唱える者はいない。当然なのだ。この処置は。
 先の戦い。勝ったことには勝ったが、隊のまとまりのなさから多くの犠牲が出た。つまらない意地から発生したその死者や怪我人。これで何も処分がなかったら逆に反発を生むだろう。

「ロイド! お前を信用した俺が馬鹿だった。何のための副隊長か、よく考えればお前なら分かると思っていた! それからアレス! 自分の知らないところで起きていて知りませんでしたじゃ話になんねーだろ!? 全て見られてはじめて隊長だって分からないのか? 自分が良けりゃいいんじゃないんだよ、この戦闘馬鹿が!」

 リョウは、普段の穏やかな様子からは想像できないような怒鳴り声で叫んだ。少し、息が荒い。白くなった息と、対照的な怒りで赤くなった顔。誰も口出しはできない。すれば殺されてしまうかもしれないとさえ、思えるほどだった。
 息が少し整ってくると、リョウは一度大きく息を吸った。目を瞑ったその表情は辛そうで、無理やり落ち着こうとしているのは、ただ見ていただけでも分かるほどだった。
 リョウは見ての通り今ひどく腹を立てているが、その矛先の大半は自分自身にある。指示を出した責任とでも言おうか。気持ちの整理が上手くつかないまま、リョウはゆっくりと息を吐いて、再び話し出した。

「……アレス、ロイドの両名には三日間の謹慎を命じる。人に会うのはもちろんのこと、水以外何も口にするな。反省しろ。それから、この決定に異を唱えた奴は同罪だ。同じように三日間の謹慎を命じる。以上。何かあるか?」

 低い声でそれだけ言うと、リョウは特別攻撃隊を鋭い碧眼で見渡す。本来なら、大国ユビルに勝てただけで労うべきだったのだろう。
 しかし、これからの戦いでも同じように変な意地を張られては、いつか手痛い傷を負う。それが分かっているから、今日の行動を総隊長として許すわけにはいかなかった。
 全員大人しく決定に従いそうな様子を見て、リョウは少し安心してその場を去ろうとする。すると、二人の隊員が一歩前に進み出た。一人は青い髪をした青年。たしか特別攻撃隊副隊長補佐官のコウタ=ドレイル。もう一人は同じく特別攻撃隊補佐官のティクシ=ウェンル。輝くような長い金髪の男で、いつも飄々としている顔は、今日に限って真面目そのものといった様子だった。

「何だ? 異議ありか?」
「ええ。決定に異議を唱えます。何故隊長と副隊長だけが罰を受けるのか分かりません。副隊長を焚きつけたのは私達です。謹慎処分をください。総隊長」

 コウタは静かにリョウを見つめて言った。「隊長たちに非はない」とは言わない。それを言ったところで、リョウが聞き入れないことはよく分かっているのだ。
 それならば、同罪扱いで同じ罰を受けるのが相応だろう。ティクシも全く同意見のようで、同じようにリョウを見ていた。

「異議あり! 総隊長」
「同じく!」

 コウタの言葉のすぐ後、さらに他の隊員達も次々と“異議”を唱え始めた。少し滑稽な絵であるが、当人達は至って真面目。後のシアラフ語の中にある“非常に仲が良い”の意味で使われる
慣用表現“異議の仲”は、この出来事から来ているという。何が歴史に残るかは分からないものだ。

「何だ? そんなに俺をおちょくって楽しいのか? お前らは……」
「別に誰もそんなことしてませんよ、総隊長。俺ら総隊長が思ってるより、わずかばかり、仲良くなったんス」

 頭を抱えるリョウに、軽い口調でティクシが横槍を入れる。事実といえば事実なのだが、果たしてこの状況で一概にそうと言えるだろうか。何とも微妙なところだが、リョウは深く考えないようにして、特別攻撃隊に指示を出す。

「あー、もういい。全員謹慎! 以上解散!」
「了解!」

 厳罰のはずにも拘らず、何故かうれしそうな特別攻撃隊。これからこの隊の扱いが大変そうだと苦笑を浮かべるリョウ。だが、結束力が強いことは悪いことではない。もう二度と今回のような変な意地を張ることはないだろう。反乱軍に明るい日差しが差し込む。この部隊は間違いなくシアラフ最強の名に相応しかった。

 ——これが、事の発端。エリスとリョウ。それぞれの、ほんのひと時の休暇の始まりだった。

Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.75 )
日時: 2012/09/25 23:25
名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: B/p47WjD)

「リョウ兄いる?」

 気まずく重たい空気。それをぶち破るように、司令室のドアが突然開かれた。
 好き放題にツンツン跳ねるオレンジ色の髪。場違いとも言えるその明るい声の主は、反乱軍副隊長ティム=ウェンダム。黄緑色の目を、春先の露の如くきらきらと輝かせて入ってきた。
 先に断っておくと、彼に悪気があったわけではない。ただ、いつも通りに部屋に入ると、不機嫌そうな眼差しを兄分のリョウに向けられた。

「俺、何かした? リョウ兄」
「いや、何つーか、間が悪いってか、まぁ、ティムらしいったらそうなんだけどな……」

 兄分のはっきりとしない言葉に、ティムは一人首を傾げる。
 この幼馴染が考えていることは、たまに長い付き合いのティムでも分からなくなることがある。同じく幼なじみのバーティカル大公ロイドならば、まずそんなことはない。ティムからすれば、ロイドほど感情を読み取りやすい人間はいないのだ。
 もっともそれは、ティムだからこそ読み取れる、という一種の特技であり、バーティカル家を恐れるユビルや日本などの国からすれば、喉から手が出るほど欲しいスキルであった。それは余談として。
 ふと、ティムは兄分の部屋に知らない少女がいることに気づいた。艶やかな長い黒髪はまっすぐに下ろしてあって、色白の肌は窓から入ってくるほのかな光で淡く輝いているようだ。
 視線を感じたのか、編み物に夢中だった彼女の目も、そっとティムのほうへと向いた。海のように青く、雪解け水より澄んでいるその瞳。思わず、吸い込まれてしまいそうな不思議な力がある。

「リョウ兄、この子……」

 誰? と言おうとしたが、そこまで言葉が出てこなかった。不意に微笑みかけられて、そのまま続くべき言葉を失ってしまったのだ。
 彼のオレンジ色の髪が少しだけ揺れる。顔は、その髪よりも数倍、燃えているように赤かった。

「こいつ? エリスだよ、エリス。今度特別攻撃隊に配属になって……て、もしもし、聞いてるかー? ティム」
「え、あ……も、もちろん聞いてたって、リョウ兄」

 ティムは黒髪の少女から目を離し、慌てて幼馴染のほうを向く。
 しかし、それでも何度か目だけエリスのほうへ旅をしていて、リョウは面白そうに笑みを浮かべている。
 いつものティムならその時点で否定するなり、突っ込みを入れるなりするのだが、今日は何も言わない。と言うより、リョウの表情にすら気付いていないのだ。顔はまだ赤く、目は頻繁にちらちらと旅をする。
 リョウの笑みは時間が経つに連れ、どんどん悪戯っぽくなっていった。

「……そうだ、ティム。今日と明日、エリスの面倒見てくれよ。知ってる奴がいないらしくてさー。おい、エリスもこっちに来い!」
「え、ちょっと、リョウ兄……え、は、あ?」

 真っ赤な顔で慌てるティムと、その様子が想像通りすぎて可笑しそうに腹を抱えているリョウ。
 ある意味、残酷である。彼は知っているはずなのだ。少女の心が今誰の元にあり、また、それが揺らぐことは決してないということを。後にリョウはこれを「人生において最悪の悪ふざけ」と反省している。
 それはさておき、エリスは何が起きているのかよく分からないようで、編み物をリョウの机の上に置いて、黒髪をわずかに揺らしながら、静かに歩いてきた。敢えて口を挟まずにいるのだろう。直感的に感じるのだ。ここは気にしないのが得策だと。

「はじめまして、ティムさん」
「え、あー、あ、う、うん。エリス」

 エリスはとりあえずティムに微笑みながら挨拶した。ついでに白い右手をすっと出す。
 彼女は、あまり初対面の人と話すのは得意ではない。人当たりの良いリョウと話すことでさえ、最初は恐がっていたのだ。
 しかし、リョウがアレスの兄であり、また何より、信用できる人だと言うことはよく分かった。そして、ティムはそのリョウの友達。そう考えると気が楽で、普通に話すことができた。
 ただし、哀れなティムは“いつも通り”とはいかなかったようだが。

「じゃ、二人で喫茶店でもどこでも行って来い。あ、エリス、これお小遣いな」

 リョウはそう言うと財布を懐から出して、エリスに小銭を渡した。お茶一杯と菓子を少しくらいなら買えるだろう。
 申し訳ない。エリスはためらいがちに受け取った。ただでさえ、午前中は裁縫道具を貸してもらっていたというのに。

「もらっちゃっていいの? 何か悪いなぁ……」
「気にすんな。あの弟の世話をしてきてくれたと思うと、どんなに礼を言っても足りないし」
「でも、アレスは私を買ってくれたんだよ。私奴隷だし、お礼なんてされる謂れはもともとないよ」

 二人の間で、当然のように繰り広げられる会話。隣で聞いていたティムは、その言葉に目を丸くする。彼は知らなかったのだ。エリスが何をしてきた少女なのか。
 もっとも、そんなことを聞いたくらいで、ティムは人に対する評価を悪くしたりはしない。ただ、奴隷という言葉には、どうしても哀れに思う気持ちが芽生える。

「奴隷って、どういうことだ?」
「どうって、言葉の通りよ。私は記憶にある限りずっと奴隷なの。商人の手をたらい回しにされて、それでシアラフに来て、アレスが私を買ってくれたの」

 戸惑うティムの問いに、エリスはさらりと答える。
 辛い過去のはずなのに、まるで何事もなかったかのような、あっさりとしたその口調。返って重いものに聞こえてくる。
 もしかしたら、思い出したくもないことで、それを掘り返されて怒っているのではないか。結論から言うと、それは単なる杞憂というものなのだが、ティムは本気で顔を青くしてうつむいていた。

「ごめん。聞いちゃ、まずいことだったよな。俺、昔からそういうの、疎くて……」
「大丈夫。私は奴隷だから、この今がある。アレスに会って、反乱に参加して、自分の意志で、今のこの瞬間を生きている。そうでしょ?」

 エリスはそう言うとティムに微笑んだ。透き通った綺麗な笑顔。強いなと、ティムは心から思った。それは奇しくも、アレスが最初に奴隷市場で感じたものと同じであった。

「行こう、エリス。妹が働いてる喫茶店があるんだ。ここからそう遠くないし」

 春の草のような黄緑色の瞳を輝かせて言うティム。エリスは先程の笑顔のまま頷いた。アレスはいないのは寂しいが、シアラフの人は春のように暖かい。できれば、ずっとこの国にいられたら良い。そう思いながら、エリスは先に部屋を出たティムの後を追った。

 独りになった部屋で、リョウは淡く微笑む。明日への希望の種は芽吹きつつある。弟を人間に戻したエリス。エリスに自由を与えた弟。師であるシンが残した弟妹。師が信じた王子。彼を慕う従弟。そして、さまざまな目的のために集った同志たち。
 新芽は弱い。少しの風でも根元から簡単に折れてしまう。しかし成長すれば、どんな風にも負けはしない。
 それならば、守らなくては。希望はもう芽を出した。せめて大きく育つその日まで。
 ——シン隊長の代わり、そのために、俺がいるのだから。
 青年がつぶやいた言葉は、半開きのドアから外へと出て行った。

Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.76 )
日時: 2012/10/16 23:50
名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: pLX6yJWV)

 ティムの言う喫茶店は、反乱軍本陣レイルリモンド城ほど近く、徒歩十分の場所にある。
 今は亡き前バーティカル大公、つまりロイドの父が贔屓にしていた店で、紅茶についてはシアラフ一と評されるほど。元は平民向けの店であるから値段も良心的で、バーティカル領内、特にリョウたちの故郷である風の村から多くの客がやって来て、日々賑わっている。
 
「いらっしゃいませ! て、あれ? ティム兄ちゃんに、エーリスちゃーん!」

 ドアの鈴を鳴らしながら店に入ると、すぐにオレンジ色の髪をしたピンクエプロン姿の少女が二人を出迎えた。大きな黄緑色の目はエリスに向いていて、楽しそうにキラキラと輝いている。大好物を前にした子供のよう、と言ったところか。エリスの手を握りうれしそうに飛び跳ねていた。

「何だ? サミカを知ってるのか? エリス。知り合いはいないとか言ってたような気がするんだけど」
「だって、サミカちゃんがどこで何してる人か知らなかったもん」

 エリスが言うや否や、サミカは握っていた彼女の手を引っ張り、にぎわう店内を小躍りで抜けていき、奥のテーブルへと連れて行く。いや、“連行”という言葉のほうがしっくり来るかもしれない。彼女は基本的に礼儀をわきまえたしっかり者であるが、一度羽目を外すと完全に周りが見えなくなるのだ。
 今がまさにその典型で、もう一人の客である兄のことなどお構いなし。ただエリスと話したい。一緒にいたい。その気持ちだけで行動していた。

「いやー、会いたかったよ、エリスちゃん。もう傷は大丈夫?」

 テーブルに案内しても、彼女が仕事に戻ることはなかった。後で聞いた話だと、この日はもともと午前中だけで、午後からは休みを取っていたらしい。全ては、一度だけ会って、一緒にクッキーを作り、それから音沙汰なしの、彼女曰く“親友”を探すため。
 しかし、その予定も良い意味で崩れたので、今日は親友に張り付いているつもりらしい。

「うん、ありがとう。でも、サミカちゃんがティムさんの妹さんなんてびっくりしたよ」
「んー、私もエリスちゃんがティム兄ちゃんの彼女さんってのに、ねぇ?」

 妹の、そんな言葉に兄は飲んでいた水を吐き出しそうになる。何とか気力で踏み止まって飲み込んだが、その後は苦しそうに咽ていた。
 国民の希望、シアラフ反乱軍副隊長ティム=ウェンダム。戦場で輝かしい実績を残し、国王軍からは恐怖の的とされている軍人は、実は妹の言葉一つで音を立てて崩れ去るのであった。

「サミカ! 違う! 違うから! エリスはただリョウ兄から明日まで預けられただけで、ほら、な」
「そうだよ、サミカちゃん。ティムさんが私とそういう関係な訳ないでしょ」

 必死で否定するティムと、その隣で何事もなかったかのようにさらりと返すエリス。
 少女はそのまま水を飲み、少年は少しうな垂れる。その様子を見ていた妹は、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。それは先程のリョウと似ていて、果たしてリョウがサミカに似たのか、はたまたサミカがリョウに似たのか。いやはや、幼馴染とは恐いものである。

「兄ちゃん、ドンマイ! 紅茶奢るよ。可哀想だし。あ、もちろんエリスちゃん“には”ケーキ付けるね!」

 サミカは兄の肩を強く叩き、オレンジ色の髪を踊らせながら、厨房へと入っていった。嵐が去ったとでも言うべきか。テーブルには初めて平穏が訪れようとしていた。
 しかし、そう思った通りにことは進まない。サミカが席を立った後、入れ違いのように二人のテーブルに人が来た。
 少年二人。シアラフ人ではない。一人はおそらく日本人だろう。茶髪は好き勝手な方向にはねていて、冷静沈着な表情からは知性が見え隠れする。……ただし、何故かエリスを見て少し顔を赤くしているが。
 そして、もう一人。彼は、何人とも言いがたい。ユビル系の白い肌でもあり、日本人らしい顔つきでもある。だが、鼻の形はシアラフの気があり、ダルナ連合やウル民族区らしい髪質と言ってしまえば、そうかもしれない。黒髪で、好奇心溢れる表情で二人を見ている。その目は深い青色だった。