複雑・ファジー小説
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.79 )
- 日時: 2012/10/26 00:03
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: Jk.jaDzR)
- 参照: http://mb1.net4u.org/bbs/kakiko01/image/761png.html
「あんたが、エリスか。それから天才軍人シン=ウェンダムの弟、ティム=ウェンダム」
顔色を、何事もなかったかのように戻して、茶髪の少年が最初に口を開いた。外国人にも拘らず、きれいな発音のシアラフ語を話している。
よく見ると、胸元には日の丸の印。それから、いくつかの立派な勲章も輝く。おそらく、シアラフに昨日到着したと言う、日本軍の人間だろう。
隣の、黒髪の少年も勲章を付けている。ただし、その数は明らかに茶髪の少年より多く、それなりの地位にあることを示していた。
「俺は日本軍少佐、乃木勇一。後天性のノーテンスだ。隣のは天宮飛龍。中将で、同じく後天性のノーテンス。よろしくな」
シアラフ語でそう言って、まず黒髪の美しい少女に手を差し出す乃木少佐。それに応じて、エリスも柔らかな微笑みを浮かべながら、その手を握り返す。
「私を、知ってるの?」
握手を終えて、出した手を引っ込めながら、エリスは乃木少佐に尋ねた。シアラフ語では、なかった。驚くことに、それは不自然さの欠片もない日本語。
その場にいた三人は、驚いてこの美しい少女を見る。特にティムは、先程彼女の生い立ちを聞いたばかりだった。
奴隷は普通、教育を施されない。知識というものは、奴隷の利用者にとって邪魔なだけなのだ。それなのに、何故彼女は日本語を知っているのか。少年は、はねるオレンジ色の髪を右手でかき回した。
彼の考えていることが分かったのだろうか。エリスは、白い手を机の上で組むと、真顔で話し出した。
「私ね、一度聞いたことのある言葉なら、どこの言葉でも話せるの。たぶん、これが私のノーテンスとしての能力なんだと思う。……ところで、勇一君と飛龍君は友達か何かなの? 上司と部下ってわけじゃないよね」
泣く子も黙る日本軍エースに“君”付けとはまたエリスらしい。もしかしたら、二人がどれほどの地位にいるのか知らないだけかもしれない。だが、聞く人が聞いたら、勇一についてはどうとして、飛龍の場合、卒倒しかねないだろう。何せ彼は、世界五大家の一角、その当主なのだ。
もっとも、件の二人がそれについてとやかく言うことはない。むしろ、心から気に入っているようだ。特に、勇一はいつもの冷静沈着といった堅い顔を崩して、喫茶店の甘い香りの中、年相応に茶色の瞳を輝かせた。
「俺のことはユウでいいよ。みんなたいていそう呼ぶから。で、飛龍と紫水——飛龍の五歳で死んだ双子の妹な——と俺は乳兄弟って奴さ。分かりやすく言うと、飛龍は俺の親友で、紫水は俺の、ディスティニー!」
「え?」
喫茶店の真ん中、日本語で、勇一は大々的に宣言した。ここはシアラフだから、その言葉が通じたのは飛龍とエリスしかいない。幸いといえば、幸いだろう。
だが、意味の分かってしまったエリスは、突拍子もない彼の発言に大きな碧眼を丸くしている。“ディスティニー”——つまり“運命”。
しかし、先程勇一は飛龍の妹、紫水が死んだのは五歳の時だと言った。たった五歳の少女に対して“運命”。一体どういうことだろうか。
飛龍は聞き慣れたことのようで、澄んだ碧眼をやや曇らせ、苦笑いを浮かべながら親友を見ていた。
「ユウ君って……ロリコン?」
一言。ただ一言だけ、エリスは引きつった笑顔を貼付けながら、目の前にいる同年代の少佐に声を浴びせた。言葉は人を破滅させる。そのよい例であり、勇一は真っ赤になって口を開いた。
「な! 違う、失敬な。目を閉じて想像してみろ。十五歳になった彼女の姿を。目は何にも変えがたく美しい碧眼。髪は良かった、兄に似ないで艶やかな——」
「——悪かったな、手入れがなってなくて」
堅い髪質で、怒髪天を衝く、という高度な髪型はできない。
代わりに、眉間にこれでもかというほどしわを寄せて、飛龍は勇一を睨んだ。
補足しておくと、髪については、ただ手入れがなっていないのだ。飛龍の母親は、その髪の美しさで、時の日本軍大将天宮隼人に見初められた人である。相応の扱いをすれば、彼の髪も輝くはずなのだが、何とも勿体ない話だ。
「戦ってる姿なんてぞくぞくするぜ。天宮の力を解放して、髪は日の光に輝く純白。鮮やかに刀を振るう姿はまさしく女神! ヴィーナスも何でも裸足で逃げ出す! ああ、俺のヴィーナス!」
「おい、ユウ。その辺にしとけ。エリスが引いてる。……悪いな、妹が絡むと手の付けようがないんだ」
飛龍は申し訳なさそうに言うと、別世界を旅している本来優秀な乳兄弟の脳天に、一度拳骨を入れる。大きな音がした。痛そうだ。手加減はしていなかっただろう。
勇一はむっとした顔をして飛龍を睨み、そして、間髪いれずに彼のわき腹を人差し指で刺した。見た目は大したことなさそうだが、実はこれが結構効く。獣のようなうめき声を上げて、飛龍は膝をついた。
「大丈夫? 飛龍君」
エリスは蹲ったままの飛龍を見て、心配そうに声をかけた。日本語がわからず、黙っていたティムも、さすがにまずいと思ったのか、シアラフ語で勇一を宥めている。
飛龍は「大丈夫だ」とでも言うように、右手をひらひらと頭上で振り、大きく息を吐くと、テーブルクロスのかかった机の角を掴んで立ち上がった。
「ねぇ、飛龍君。さっきユウ君が言ってた天宮の力って何?」
話題を変えようとしたのか、エリスは特に何も考えずに、そんな疑問を口にした。一瞬だけだが、勇一の表情が曇った。ティムの話を聞き流し、幼なじみへとただ目を向ける。
「天宮の力? あー、一族の直系に伝わる力だよ。理論は分からないけど、とにかくすごい力が出せるんだってさ。特徴としては髪が真っ白になること。父さんやじいちゃんは使えてて、妹も三歳の時から使えたな。あいつは天才だったから。俺は……未だに無理だけど」
飛龍は、早口ではあったが、丁寧に答えた。
“天宮の力”——それが使えて、初めて天宮家では一人前とされる。つまり、飛龍はまだ半人前。彼が天宮家当主として、日本軍元帥の地位に就こうとしない理由の一つがそれだ。
もし妹が生き残っていたら、何も問題はなかっただろう。たとえノーテンスであろうとも、それだけでは認められない。天宮に相応しい者か。用はその問題なのである。
「ま、所詮俺は神様からすりゃ、紫水の代わり。ノーテンスの印だって、全部そうだから、半人前で当たり前ったら、当たり前ではあるだろうけど……さて、暗い話は終わりだ。じゃ、俺ら次は親衛隊長殿に会ってこないとまずいから。どこにいるか知らないか?」
ふいに、窓から明るい日差しが入ってきた。わずかな雲の晴れ間である。
「えーと、ちょっと待ってね」
エリスはシアラフ語でティムと話し出した。彼女は件の親衛隊長が誰なのかすら知らないのだ。
それに対して、ティムはよく知っているらしい。「ああ、カイさんか」と黄緑色の瞳を光らせながら、その特徴からよくいそうな場所まで、事細かに話した。
それを勇一は、メモを取りながら聞いている。良いことだ。彼の最大の弱点は人名覚えであるが、改善の努力があるなら捨てたものではないだろう。
「ありがとな、お二人さん。じゃ、またいつかな」
「ああ、また会おう。ユウに飛龍」
突然やってきて、嵐のように去っていった二人の日本軍エース天宮飛龍と乃木勇一。シアラフ反乱軍にとってはこれからの希望というべき戦力。
しかし、実はそれだけでは終わらない。シアラフ反乱軍の主戦力と日本軍の二人。動き始めた一つの歯車は、またひとつ、また一つと動きを生み出していく。
そして全ての歯車が揃ったとき、歴史は大きく動き出す。それが破滅への動きか、あるいは何か別のものか。動き始めた今では、まだ知りようがない。大切なのは“歯車が徐々に集まってきている”ということ。
光差す喫茶店では、甘い香りが漂っていた。