複雑・ファジー小説

Re: 虚像の楽園 ( No.8 )
日時: 2011/04/18 16:15
名前: 黒揚羽 (ID: GlcCI1C/)

「今日は転入生がいます」

黛青色の髪を後ろで緩く結び、くすんだ青の目をした1‐2担任の鏡 紫雲英は、黒縁眼鏡を押し上げるようにしながら、控えめな口調で言った。括れのある黒いスーツをピシッと着こなす姿は、真面目な新人教師という印象を受けるだろう。だが、あくまでも《印象》だ。殆どの人が必ずと言っていいほど、第一印象と食い違う。人とは、かくも予測しにくいものである。

先程の紫雲英の発言を受けて、教室内は俄に騒がしくなった。
どんな子だと思う?、とある女子は隣の男子に話しかけて、女子だろ、と隣の男子は言って、美人だとなおよいっ、と斜め後ろの男子が口を挟む。有り得ないと分かっていてなお、期待してしまうのは人間故か。
といった具合に、騒ぎは納まるどころか、どんどん拡大していった。
その時、ぴんと真っ直ぐに伸びた手が挙がる。

「はい、のあさん」

これは騒ぎを納めるチャンス、とばかりに間髪をいれず、紫雲英は一人の少女の名を呼んだ。のあ、と呼ばれた女子生徒は肩にかかった緩くウェーブした明るい茶髪をセンターで分けており、緋色の目に同色のコンタクトレンズを入れている。いかにも女子高生といった風貌だ。季節は5月。さして暑い訳でもないが、大胆にもブラウスの第二ボタンまで開け、袖を捲り、黒一色のプリーツスカートを際どい丈にしている。多分これは、暑さの問題ではなく、彼女の流儀であろうことは目に見えているが。
のあは恐る恐るといった様子で席を立つと、俯き、ぷるぷると体全体を震わせて、沈黙した。

「のあさん、具合でも悪いのですか?」

さすがに様子がおかしい、と思った紫雲英は教壇を降りて、のあの様子を見に行こうとした。

「大丈夫ですよ、先生。いつもの事ですから」

いままで読書していた黒髪の少女が声をあげた。《先生》の単語には侮蔑の意が込められてはいたが。
呆れたような表情をし、面倒臭そうに溜め息を吐く。のあに構いたきゃ勝手に構えばいいけど、私に被害を及ばさないでよね、とでも言いたげな顔である。

「で、でも——」

「先生っ!」

先程の少女の言葉を裏付けるように、のあは出し抜けに俯いていた顔をバッ、と上げ、紫雲英の言葉を遮った。

「はいっ?!」

思わず紫雲英は裏返った声を出した。
あまりにも唐突すぎる発言に、正直ムカついたことは否めない。
そして、あの……、と再びのあは俯いて、赤面し、黙ってしまった。

「やっぱり、具合g——」

「その子は何属性ですか!!?因みに、あたしはツンデレ・ロリ・ヤンデレ何でも来いっ!ですよ」

本日二度目。のあの大声に紫雲英の声が上書きされた。紫雲英の中で、何かがブチッと音をたてて切れる。……が、辛うじてその激情を心の奥にしまい込んだ。というのも、紫雲英には《生徒に好かれるおしとやかで美人な先生》という理想(というか妄想)があり、まだ会って間もないというのに悪い印象を持たれてたまるかっ、という思いからである。これはこれで不便よね、と紫雲英は思った。ところでツンデレとかロリとかヤンデレって何かしら、とも思った。
内心盛大に溜め息を吐くと、のあの隣の憐れな男子を見て、にっこりとそれはそれは黒い笑みを浮かべた。案の定、それに気づく様子もなく、男子は頬を赤く染める。





「のあさん。そういう話は隣の男子にでもしてあげなさい」

紫雲英は笑みはそのままで、言い放った。
ギョッとした男子とは対照的に、のあは物凄く良い笑顔だったのが印象的であった。のあは、はいっ、と頷くと、それでね——、と話の続きを始めた。その男子の恨みがましい視線は見事に無視して、紫雲英もまた、話の続きをするのであった。