複雑・ファジー小説

Re: キーセンテンス  ( No.18 )
日時: 2011/07/26 20:47
名前: 遮犬 ◆ZdfFLHq5Yk (ID: hF19FRKd)

普通の家庭では、家に帰ると「ただいま」「おかえり」この二言が出て、楽しく学校での出来事とか、色々なことをそれは楽しく話すだろう。
でも、俺は違う。俺の家庭は、変わっているんだ。
家に帰る、なんてこと自体をしたくない。それより、俺は何より父親を憎んでいるのにどうしてただいまやおかえりなどという言葉の交わし合いが必要だろうか。
要らない。そんなものはとっくに捨てた。母さんが、母さんが見捨てられたその日から。
俺が少女の夢や、少女のことを思い出し始めてきたのは丁度その頃だった。母さんが死んでから、その日から俺の心の中で少女との思い出が溢れ返ってきた。
とは言っても、全然何も知らないことばかりで、何も記憶には残っていない、その少女は架空の人物に過ぎなかった。
けれど、実際に居た気がしてならない。けれども、思い出せない。
そんな俺にとってのジレンマが、俺自身を縛り付けている。そんな過去の償いのようなことをさせられているのではないか、と心では思っている。そうして、こうして、毎日を生きている。

「——司! 司ッ!」
「ん……? 何だよ?」

気付くと、俺は涙に話しかけられていた。俺の腕をゆすりながら、眉間に無いシワを寄せて怒っている感じだった。

「何寝てんのよっ! 今ミーティング中よ?」
「何のだよ」
「活動方針のよっ!」
「だから何の」
「ふざけてんのっ!? 部活のに決まってるでしょっ!」

あぁ、そうか。思い出した。
そういえば放課後こうして部室という名の旧校舎、空教室でミーティングとかいう大袈裟なことをしているんだった。
全く、何がミーティングなんだか。それよりもちゃんと部活として認められるようになれ。とはいっても、遊びを基本とした、だなんて相手にされないと思うがな。

「何かねー遊びの音色とかって、何でそんな名前にしたんだろーなんて思ったりしてねー」
「今更何言ってんの」
「うっさい! 司は黙ってなさいよ!」
「とは言っても、今ここにいんの、俺と五十嵐とお前だけじゃん」

俺の言うことは正しかった。ここにいるはずの部員メンバー二人、雪ノ木と北條がいないのである。
いるのはここで居眠りこいていた俺と、ミーティングだというのに読書してやがる五十嵐と、どこから見つけてきたのか古いホワイトボードに「みーてぃんぐっ!」と、意外にも可愛らしい字で書いた張本人、涙が居るぐらい。
ていうか、活動内容が遊びだというのにミーティングもクソもないような気がしてならない。

「なぁ、眠いんだけど、帰っても——」
「ダメに決まってるでしょうがっ! 脳天カチ割るわよっ!?」

お前、一応性別女の子だろ。別に言っても対して何も思わないけど……言い方によるだろうよ。脳天カチ割るって、このご時世でその年齢の女の子が普通、言うかね?
アホらしく思えてきた俺は、とくにやることもないこの空教室の中で唯一楽しめるものといえば——そう、お茶だ。
雪ノ木が気を配って、お茶飲みやらポッドやらを用意してきてくれていた。早速俺はそれでお茶を作り、飲むことにした。

「あーっ! まだミーティング終わってないっ!」
「別にいいだろもうミーティングは。十分にミーティングしたろうが。涙はもっと女の子らしく振舞うように。うん、それだ」
「あんた……ケンカ売ってんの?」
「いや、特に」

お茶を作り、それを急須に入れて啜る。お茶の葉がいいのか、味もなかなかよかった。これはいいものを置いてくれた。雪ノ木には本当、感謝することが多いな。

「もう少し部員らしくしろーっ!」
「部員になったような覚えはあんま無いんだけど」
「司、あんた一回死にたいようね?」

パキポキと指と指で音を鳴らしながら近づいてくる鬼のような涙を余所目に、俺はとあることを思い出してそれを告げた。

「あのさ、例の転校生だけど、来週転校してくるんだってよ」
「え? 来週?」
「そうだ。今日は金曜日だから、後二日三日経てば転校生と会えるってわけだ」

それだけ俺は伝えると、涙は先ほどの鬼の形相とは一変して、考えるような素振りに入った。
ちなみにだが、今日はその転校生たる潮咲 桜を何故探しに行かないのかというと、遠くてしんどいから飽きた、だそうだ。何とも簡単に探偵ごっこじみたお遊びは終わりを告げたな。

「ふむ……来週、か」

口元に手を当て、考え込む涙は放っておいて、俺は五十嵐の読む本を隣からそっと覗き込んでみた。
その気になる中身は、一つの演劇で使われる物語だった。それも、少し見覚えがある感じがしてならない。

「五十嵐、この本って、お前のか?」
「……いや、この教室にあったものだ。どうやら昔、演劇部が持っていたものだろう。既に演劇部はこの高校からは無くなってしまっているからな」
「へぇ……」

俺は特に気にもせずにその本よりも茶を啜った。
チラッと見た一文からして思い出せるのはこの物語は意味不明だということだ。
俺が見た限りだと、この本については何を結局書きたかったのか分からず、あまり記憶として残ってないものとなっていた。

「この本、結局何が言いたいのか俺にはさっぱり分かんなかったよ」
「……これを読んだことがあるのか?」

突然、五十嵐が少し眉を上げて俺に問いかけてきたので、内心少し焦ったが「あぁ」と、返事をしてまた茶を啜った。

「これは……哀しい、恋の物語だ」
「そうだったか? 確か……少女が旅をするんだったよな」
「あぁ、そうだ。そしてその少女は気付くんだ。この世界は、自分の生まれた世界ではない、とな」

本を閉じて、五十嵐は優しくその本を撫でた。その動作が、どうにも寂しそうに見えて、何だが五十嵐らしくもないとは思った。

「あーっ!!」

そうしていたらいきなり涙が大声をあげた。突然のことだったので、俺は耳を塞ぐ間もなく、耳がキーンとした感じに追いやられた。

「何だよっ、うるせぇな」
「今日、約束あるんだった!」
「はぁ? 何の?」
「あんたには関係ないでしょっ!」

妙に最後の言葉にはイラッと来たが、暴風の如く走り去っていった涙を止める気にはなれず、ムスッとしたまま静かさだけが残った。

「……俺たちも帰るか」
「そうだな……」

五十嵐と俺は、涙が去ったことによって此処に居る意味が無くなり、早々に立ち去ることにした。
立ち上がった五十嵐を見て、俺は気付いたことがあった。

「あれ? 五十嵐、その本持って帰らないのかよ?」

五十嵐が先ほど読んでいたあの演劇本が机の上に取り残されていたことに気付いた俺はそのことを示唆した。

「いや……また此処に来て読むことにする」
「そ、そうか?」

そのまま五十嵐は俺の横を通り、そのまま歩いて教室を出て行った。
本と、俺を残して。