複雑・ファジー小説
- Re: キーセンテンス ( No.20 )
- 日時: 2011/07/28 13:04
- 名前: 遮犬 ◆ZdfFLHq5Yk (ID: hF19FRKd)
涙の言われた通りに、俺は朝の10:00までには涙の家へと着くように逆計算し、眠い目を擦って、適当に朝食を作って食べてから荷物をさほど持たずに家を出た。
俺の家から涙の家までは少し距離がある。自転車でかっ飛ばして行っても、20分はかかるぐらい。
俺の家は都心の少し外れの方にあるが、涙の家は都心に近いところにあるので、結構車の音やらビルが並ぶ景色やらが実感されたり、見れたりする場所付近だ。
涙の家から学校へ行くとなると、電車や新幹線の交通機関を利用するのが一番速い。結構な金持ちでもある涙の家族は、毎日の電車代やら新幹線やらの交通費を出すということを学費を出すということと同じ一環として捉えるぐらいの余裕はあるようだ。
確か、一つ下の妹と、小さい幼稚園児か小学生の中でも低学年の方にあたる弟と妹が二人いたはず。
つまり、涙は長女にあたるわけなのだが、果たして面倒見とかはいいのかというと、かなり妹弟に対する面倒見は良いらしい。
ただでさえ金の無い俺なので、電車代などで無為に空に近い財布を更に空にしてしまうのは虚しいにもほどがあるし、何より電車を使うほどの距離でもないため、自転車で行くことにした。
普通に漕いで行っても30分はかかるのでそれを見越して早めに家を出た。
涙の家に向かう道中、大きな川と橋がある。これが都心とその外れを跨ぐものだと見てもおかしくはない。
この大きな川は、毎年夏になると海に続いているためか、潮風のようなものを感じさせて結構心地いい。この橋の名前は大巫女橋といい、さらに川の名前は大巫女川と呼ばれる。
昔に巫女さんがここらにいた妖怪を払い、それが称えられ、伝説となったから、なんて話があるが、別に興味がないので詳しい話は知らない。
この橋を渡り切り、もう少し都心に近づいた辺りに見える豪邸が、涙の家だ。
「此処に来るのも久しぶりだな……」
去年はバイトばかりして金を稼いでいたこともあって、此処に来る時は去年で一、二回だけ涙の家に行ったぐらいだろうか。
丁度その時ぐらいに、遊びの音色というサークルを涙が作って居た頃がだった。
『拒否権はないわよ? もし断ったら……此処にいる私のガードマンに襲われたってチクってやるからねっ!』
完全に脅し文句じゃねぇか……。
そんな言葉で俺を責め、結局加入させられたのは俺の苦い思い出だ。
丁度そんなことを思い返している頃には橋を渡り切り、後は涙の家まで直行すればいい話。
涙の家までは後坂道一つ下りたら、という所まで来た時、目の前に何やら見たことのある服装で妊婦さんと一緒に寄り添って歩いている女の子が居た。
その女の子の服装は、巫女服。そして、髪飾りをつけて、リボンで頭をカチューシャのように結んでいるショートヘアーの女の子。
スタイルは良い感じだと思うのは服装が巫女服だからか? 何にせよ、普通に見かける辺りからして奇抜な感じがしたのは否めなかった。
「大丈夫ですか? もうすぐですよっ」
「ありがとね……琴乃ちゃん。大事な買出しなんで……う、うぅっ!」
「だ、大丈夫!? しっかりして、桐野おばちゃん!」
ゆっくりと慎重そうに歩いていた妊婦さんの動きが突然止まり、お腹を押さえて、急に苦しみだした。
巫女服の女の子は慌てた様子で、どうしようどうしようと、パニックになっていた。
「おいおい……ほっとけるわけ、ないだろっ」
俺は急いで坂道を下った所にいる二人の下に駆け寄った。
「とにかくっ、安静に出来る場所へ行くぞっ!」
「あ、貴方、誰っ!?」
「そんなことはどうでもいいだろっ! ほら、手伝えっ!」
俺は妊婦さんを抱え上げるようにして立ち上がらせ、その隣を巫女服の女の子が少し驚きながらも、俺の持つ片方の肩とは反対の肩を持って二人して妊婦さんを安静な場所へと運んだ。
「う、生まれる——ッ!!」
「生まれるッ!? それ、本当!? 桐野おばちゃん!」
安静な場所に来たら来たで生まれる発言なんてな。忙しいにもほどがある。
俺は坂道の方へと戻り、通り過ぎる車を叫びながら止めさせる。
何度か無視され、通り過ぎられたらが、何台目かにやっと止まってもらえた。
「すみません! もうすぐ生まれそうな妊婦さんがいるんです! 産婦人科まで乗せてもらえませんか!?」
「え、それは本当かい? わ、分かった! 今すぐ連れて行こう!」
車に乗っていた30代後半ぐらいの眼鏡をかけて、サラリーマンのような男性は、すぐに状況を把握してくれて、どこぞと知れない妊婦さんを車の中へと運んだ。
妊婦さんの隣にはあの巫女服の女の子もおり、俺が「乗って!」と叫ぶと、驚いた様子で何度も頷いて妊婦さんを励ましながら車に同行した。
「産婦人科と言っても……この辺りはあまり来たことなくて……」
「産婦人科なら俺、分かります。まず、ここを真っ直ぐ行ってください!」
幸いにも、俺は産婦人科の場所を知っていたため、容易に病院へと着くことが出来た。
急いで妊婦さんは運び込まれ、その大事を俺と巫女服の女の子、そして送ってくれた男性の方も一緒になって見届けた。
家族でもない、先ほど赤の他人だった人達が、一つの生命に対してこんなにも必死になっている。
そのことが、俺をとても締め付け、無事に生まれてくれ、という思いを奮起させたのだと思う。
その後、病院に慌ただしく入ってきた男性が一人。エプロンをつけたまま来て、巫女服の女の子を見るや否や、駆け寄ってきた。
「琴乃ちゃん! 美奈子は……!」
「大丈夫です。今出産中で……あ、この二人がおばさんを運んでくれたの!」
この男性は恐らく、先ほどの妊婦の夫にあたる人だろうなぁと、すぐに分かった。そして、美奈子というのは妊婦さんの名前。
男性はゆっくりと俺と、ここまで運んできた男性の前に立つと「ありがとうございますっ!」と、感謝の言葉を並べた。
男性の方はとても遠慮気味に「いえいえっ! とんでもないです!」なんてことを言っていたが、俺は特に何の返事も返さなかった。
お礼自体に慣れていなかったのかもしれない。
そんな俺のことを、巫女服の女の子はずっと見ていたことなんてのも気付くはずはなかった。
それから何時間かした後、病院の先生が出てきて俺たちに赤ちゃんの安否を説明した。
「無事に出産できましたよ」
笑顔で言う医師に心から感謝したい気分だった。
夫である男性が来てから数分経った後に、車の男性は帰っていったので、俺と巫女服の女の子と、夫である男性の三人が生まれる瞬間まで病院にいた。
何度も夫の男性は先生にお礼を言い、すぐに妻である美奈子さんの下へと駆け寄って行った。
残された俺と巫女服の女の子。気まずくなった雰囲気を前に、居にくくなり、俺は早々に立ち去ることにした。
「あのっ!」
ドアの前まで歩いて行った所で、巫女服の女の子から声をかけられて、立ち止まった。
「ありがとうっ!」
振り返ると、そこには笑顔の巫女服の女の子の姿があった。とても、可愛くて綺麗に思えた。
特に何も返す言葉がなく、俺は照れ臭い気持ちで病院から外へと出た。
「あ……名前聞くの、忘れちゃった……」
一人になった待合室で、少女は一人、しまったという顔をして呟いた。
病院から出て行くと、すっかり辺りは朝の雰囲気ではなく、午後2:30辺りの時間を差していた。
「やっべ……! 涙との約束、忘れてたっ!」
俺は満足感に浸される間もなく、焦った思いで涙の家へと向かった。
どこかもどかしく、どこか懐かしい感じがした。
それは、生命が生まれるということ。
寂しい世界の中、閉ざされた私は一人。
過去にあった親父が犯した家族の裏切り。そして、自分を襲ったあの少女との失われた記憶。
その少女は、今どこにいて、今もなお生きているのか。
それとも、寂しい世界に閉ざされているのか。
なぁ、——。
——END