複雑・ファジー小説

Re: キーセンテンス  ( No.23 )
日時: 2011/08/03 00:41
名前: 遮犬 ◆ZdfFLHq5Yk (ID: hF19FRKd)

いつものように食堂へと向かった俺たちは、変わることのない騒がしい雰囲気を感じていたが、今回は少しいつもと違った。
原因は、潮咲だった。食堂へ入るや否や、他のクラスの者たちからも声をかけられ、潮咲が転校してくる前に俺が此処でその転校話を聞いた男たちも潮咲の外見や、その他もろもろに見惚れているようだった。

「おかげでいつもより騒がしいな……」

嫌な雰囲気が、余計に面倒で嫌な感じになったため、俺はその場を早く去りたい気持ちで五十嵐を急かした。
その思いが通じたのか、五十嵐は早々にパンなどを買って俺の所へ戻ってきた。こういうところは融通が利くため、五十嵐はなかなか俺にとって良き理解者でもある。

「よし、行こうぜ」

俺の言葉に、一回だけ頷いた五十嵐は、俺と二人で食堂から離れようとしたその時だった。

「あの、待ってください!」

大きな声が食堂の雰囲気をぶち壊しにした。その声の持ち主は、潮咲だった。
誰に話しかけているのかと思い、俺はもう一度食堂の方へと振り返った。すると、潮咲は俺の方をジッと見つめていた。
もしかして……俺に言ったのか? 嘘だろ?

「暮凪君、一緒に食べませんか?」

シン、と静まり帰った食堂の中、俺は食堂にいる人間全ての視線を受けた。中にはひそひそと話し始める奴もいた。正直、有り得なさ過ぎて何も言葉が出ない。というより、どうしたらこんな恥ずかしいことが出来るのかが不思議で仕方がなかった。
五十嵐は俺の顔を一瞬だけ見たかと思うと、潮咲の方へと向いた。俺を助けてくれる、なんてことはないよな。
何秒経っただろう。そうしていると、遂に潮咲の近くに集まっていた生徒達が耳打ちするかのようにして小声で潮咲に告げた。

「し、潮咲さんっ。あれはダメだって!」
「確かに顔はイケメンかもしれないけどさ、あれは危ないし、絶対ダメだよっ!」
「そうそう! あいつ、良からぬ噂もあるしさ」
「俺なんか、今日の朝さ、怒鳴られたぜ。見世物じゃねぇんだぞっ! ってな。凄い剣幕で、殴られそうだった」
「ひぇ〜……もの凄く怖いじゃん! やめといたほうがいーよっ! 潮咲さん!」

人のことをあれとかこれとか、あいつとか。クラスメイトから名前で呼ばれないということが妙に腹立たしく感じた。
ボソボソと潮咲に耳打ちするだけの奴等。まともに俺へと面と向かって話しかけてくることなんて一度さえなかった。
臆病者共は俺の気ばかり気にして、素知らぬ顔をしている。そんなゆとりで、生活に何の支障も無く、家族円満な奴等が俺にとっては——目障りで仕方がなかった。
いつの間にか握り締めた拳は、震えていた。

「私は、皆とも食べたいですが、暮凪君とも食べたいんです」

潮咲は妙にオドオドした感じで、静まり帰っている食堂の中、一人立ち上がって——焼きそばパンを手にして俺に微笑んでいた。
それが、一番我慢出来なかった。俺をこれほどまで晒し者にして、そんなに楽しいかと言いたかった。

「一緒に食べま——」

もう、我慢の限界だった。
潮咲の言葉を遮り、俺は傍にあったゴミ箱を蹴飛ばした。勢いよく中のゴミは散乱し、ガラガラッ! と、大きな音を立てて前方のテーブルへとぶち当たった。
その時、そのテーブルに居た生徒共が「ひぃっ!」「きゃぁっ!」とか声をあげてその場から立ち上がった。

「何のつもりだよっ!! 俺に構うんじゃねぇっ!」

気付いたら、俺は大声で叫んでいた。
本当は怒鳴ると周りが怯え、また鬱陶しく囁かれる。だからあまり怒鳴りたくもなく、普通に生活を送っていた。
しかし、それをこの食堂の、人の多い場所で晒し者にされたせいなのかは分からないが、俺は大声で叫んでしまっていたんだ。
その様子にビビったのか、周りの連中は俺を見ることなく、いそいそと目の前の食べ物を見た。
潮咲は——呆然と、俺の顔を見つめていた。
五十嵐が後ろから俺の肩をポンッと軽く叩いたことに気付き、俺は食堂から逃げるようにして出て行った。
潮咲は、それから俺が居なくなった後、散乱したゴミ箱をずっと見つめていた。
周りの奴等は「最低だよな」「何だよ、あいつ」という感じに居なくなったことを良い事に、次々と愚痴を漏らしていた。
ただ一人、潮咲のみを除いて。




屋上に着くと、あまり人がおらず、いつもよりかスッキリとした感じがした。
食堂の件で気が晴れない俺は、そんな人があまり居ないような環境が凄く有難かった。

「お。遅かったねー」

声のした方を向くと、そこには北條が両手でパンをガジガジと食べていた。その北條の横で、顔を赤らめながら下を俯く雪ノ木の姿があった。
だが、一つ気になる点がある。

「涙は?」

涙の姿がなかった。
いつもなら、こうして遅れて来たならば「遅いっ! 何してんのっ!」という感じに怒鳴ってくるはずなのだが……今回はその怒号の声が全く無かった。

「何か今日休みらしーよ」
「休み? あいつが?」
「うん。珍しいよね。皆勤賞とか余裕なぐらい元気な涙が休むなんて」

涙が休むなんてことはこれまで一切無かった。ずっとあの五月蝿い声がこの屋上で昼休み、聞こえていた。
それが今日は無いと思うと、どこか寂しい感じがしないでもなかった。

「そうか」

俺は特に気にした素振りもせず、その場に座り込んでコーヒー牛乳に口をつけた。

「あ、ああああのっ!」

丁度コーヒー牛乳が口の中に入ろうとした時、雪ノ木が話しかけてきた。それに返事をするまで、コーヒー牛乳が喉を通り過ぎるまでかかり、数秒後なんとか「何?」と声を出すことが出来た。

「き、今日のあにゃ! ……今日の朝っ! す、すみませんでしたっ!」

ペコリと頭を小さく下げて謝る雪ノ木を見て、俺は今日の朝の出来事を思い出した。
別に気にするほどのことでもなかったので、俺は適当に「気にするな」とでも言って再びコーヒー牛乳を飲んだ。

「すみません……」

また謝る雪ノ木の頭をポンッと軽く叩いた。目を細めている雪ノ木に対して、俺はため息を吐いて言った。

「俺が悪かったんだ。あれ、わざとしてたから。だから俺の方が謝らないといけないからさ。ごめんな」

俺が言い終わると、雪ノ木の体は硬直して、みるみる内に赤面へと変化を遂げた。

「いいい、いえぇっ!! 暮凪君は、わ、悪くないんですっ! 私、私が、何か、そのぉ……だ、抱きついて……う、うぅ……しまいましたから……そのぉ……」

だんだんと声が小さくなっていくその姿がやけに面白く感じた。先ほどの食堂の一件を忘れることが出来るかのように、俺の心にその可愛らしさは浸透した。

「ありがとな」
「へ……?」

何がなんだか分からない、という感じの表情で、お礼を言った俺に対して声をあげた。

「さ、食おうぜ。腹減った」

結局俺はその後、雪ノ木たちのおかげで何とか先ほどのモヤモヤした気持ちが消え去り、その一日を過ごした。
食堂での一件から、潮咲が何度か俺に声をかけようとしたみたいだが、俺はそれを無視してその一日を過ごした。
その方が、俺にとっても、潮咲にとっても最良の道だと思ったから。
俺は、初日から潮咲を少し避けるようになった。




気持ちとは何だろうか。
それは、突然ふと起こるものなのだろうか。それとも、何かに反応して起こることなのだろうか。
気持ちは突然変化する。それは何時でも、どこでも、それは変わらない。
貴方への気持ちも、変わることはある。けれど、きっと必ず私は貴方に言うことでしょう。
——と。