複雑・ファジー小説
- Re: キーセンテンス ( No.27 )
- 日時: 2011/08/04 19:40
- 名前: 遮犬 ◆ZdfFLHq5Yk (ID: hF19FRKd)
俺と五十嵐が教室に入ると、クラスメイトの何人かが噂話をするかのようにしていたが、それらを無視して俺は自分の席へと座り、机に突っ伏して寝ることにした。
どうせ起きていても何も無いし、ただ騒がしい中をボーッとしているのは苦難だともいえた。俺はそうしていることが一番楽だと思った。
そうやって突っ伏してから何分経っただろうか。随分とウトウトし始めてきた頃だった。
「——……暮凪君」
誰かが俺を呼んでいるような気がした。気のせいだと思い込んで、俺は無視しようとしたが、なおもその声は続いて俺を呼びかけていた。
「暮凪君」
やがて、薄っすらとした意識の中、俺は目を覚ます。そうすると、目の前には潮咲の姿があった。
その表情は笑顔そのもので、俺は戸惑いを隠せなかった。
「お前……! って、他のクラスメイトは……」
俺と潮咲以外、他に誰もいなかった。
不自然極まりないこの空間の中で、潮咲は俺に「ふふふっ」と楽しそうに笑うと、ゆっくりと窓の外を眺めた。
窓の外は、何故だか夕暮れ時になっており、誰もいなかった。
「ねぇ、暮凪君。覚えてる?」
「な、何を……」
潮咲の様子がおかしく感じたのと同時に、何故だか記憶の中にいる少女の姿を思い浮かんだ。
前から似ているとは思っていたが、こうしてフラッシュバックするほどだとは思わなかった。この横顔に、この表情。俺は確かに記憶の中の少女と同一視していた。
「私が、貴方と出会った時のこと」
「出会った時……?」
俺は呟くようにして復唱すると、潮咲は「そう」と一言だけ呟き返した。
確か、潮咲と最初に出会ったのは桜の木の丘でだ。桜の木が好きかどうかを聞いてきたんだったな。
「あれか? 桜の木の丘で——」
「違うよ」
俺の言葉を遮り、潮咲は呟いた。その声はどの声よりもハッキリと聞こえ、心に残るような響きをしていた。
潮咲はゆっくりと俺の方へ向く。その顔は、先ほどの笑っている無邪気な表情などではなく、俺をしっかりと見つめた、真顔だった。
温い風がゆっくりと窓から流れてきて、潮咲の長い髪を撫でた。ふわっと髪は風に流されて靡いたところを、潮咲は左手でその髪を耳にかけて押さえた。
「あの日は、酷く寒い日だった。たった一人、世界で取り残された女の子が目覚めた、あの世界のように」
潮咲の言っていることの意味が分からなかった。そんな記憶はどこにでもない。俺は困惑していたんだと思う。何も言い返せなかった。
「君は……私が見つけた。最初の、大事なお友達」
「何、言って……」
潮咲の表情は、どこか哀しげで、とてつもなく寒くて、酷く落ち込んでいるようだった。
なんだか、そんな話をどこかで聞いたような気がする。確か、五十嵐からの話で……そう、あの無題の本だ。あの分厚い本を読んで、その内容が確かそんなだったと思う。
哀しい、恋物語。そんな単語が不意に俺の頭を過ぎった。
「世界は、忘れていく。何もかもを、変えていく。私は、そして——」
潮咲がゆっくりと話していく中、いつの間にか外の風景が凍り付いていた。雪がゆっくりと降り、地面には雪が沢山積もり、学校から見える町の風景は何もかもが白く染め上げており、その中でたった一つだけ見えないはずのものが見えていた。
それは——桜だった。
「お前……!」
俺の言葉を無視して、潮咲はゆっくりと俺に向けて手を差し伸ばす。その表情は、先ほどと同様に哀しい顔をしていた。
「行こう? 一緒に」
潮咲の手は、だんだん俺へと近づいてきて、そして——!
「ッ!!」
俺が目を覚ますと、そこにはいつもと変わらない風景とクラスメイト達の姿があった。
「夢……か?」
最後、潮咲は俺の頬に手を触れたような気がした。そっと、俺も同じ場所に手を触れてみると、何故だか冷たく感じた。
不思議に思い、俺は自分の手を数秒見つめた後、ふと潮咲のいる席へと目を向けた。
だが、そこには潮咲の姿は無く、まだ登校していないらしかった。
「所詮、夢だよな……」
俺はそう嘆息し、声を漏らした。
そうしてまたボーッとしていると、聞く気はなかったのだが、耳に聞こえてきた内容があった。
「潮咲さんは?」
「んー? まだ来てないんじゃない?」
「昨日潮咲さん、何であのゴミ箱片付けたのかしら?」
「あぁ、あれ? 暮凪君が蹴飛ばした奴でしょー? 何で片付けたのか全然分かんないよねー。そのまま放置してればいいのに」
「私なら絶対しないねー。暮凪に片付けさせればいいのに」
「シッ! 聞こえるよー?」
潮咲の席近くで話す女子の話が聞こえた。潮咲が、俺の蹴飛ばしたゴミ箱を片付けた? 何でそんなこと……。
だが、その時、何故だかは分からないがふと思ってしまった。
潮咲に、会いたいと。
何故そう思ってしまったのかは分からない。だけど、そこで会いに行かなくてはいけないような気がした。
俺は席から立ち上がると、そのまま教室を出て行った。
色々見て回ったが、全然潮咲と思える人物は見つからなかった。雰囲気的にもなかなかいないし、見つけやすいとは思うんだが……。
「残りは食堂ぐらいか……?」
食堂なんて、朝に訪れることはあまりない。あったとしても、自動販売機に買いに来るぐらいだ。食堂にいるはずもなかった。
「まぁ……見てみるか」
俺は食堂のドアを開いた。すると、そこには潮咲の姿があった。
潮咲は、ゴミを一つずつゴミ箱に入れて、丁寧に箒で掃いたりなどをしていた。
「なんだか悪いわねぇ……」
「いえ、丁度通りかかっただけですのでっ」
潮咲は食堂のおばちゃんに笑いかけると、また箒で掃く作業に入った。
食堂にいるという可能性は全然信じてなかった。でも、目の前で潮咲は何故だかゴミ箱の掃除をしている。意味不明にもほどがある。
そうして俺が食堂のドアの前で立ち止まっていると、俺に気付いたのか、潮咲は顔をあげて俺を見たと思いきや「あっ」と声をあげた。
「……よぅ」
「あ、えっと……おはようございますっ」
「え? ……あぁ、おはよう」
ペコリと頭を下げて遠慮がちに挨拶をする潮咲は、全く変わらないような感じがした。
さりげなく、俺は自動販売機へと向かい、その途中で「なぁ」と潮咲に声をかけた。
「え、あ……はい?」
戸惑いがちに答える潮咲には構わず、俺はそのまま言葉を続けた。
「昨日、悪かった。ああいう、なんていうんだ? その……ガヤガヤした場所、嫌いなんだ。だから、ついカッとなってだな……」
お詫びの言葉なんて、言おうと思っていなかった。正直のところ、何も考えずに潮咲に会いたいと思っていたんだ。
何も考えずに言葉を発したら、何故かお詫びの言葉が出てしまったというわけだった。
その俺の言葉を聞いて、潮咲がどんな顔をしているのかも分からないまま「い、いえっ! そんな……」という戸惑いがちの言葉を聞いた。
その後、沈黙が食堂に訪れて、俺は少々困った。仕方なく、俺は自動販売機の中でカフェオレを選んで購入した。
ガコン、というカフェオレが落ちてくる音とほぼ同時に「あのっ」という潮咲の声が聞こえた。
「え? 何?」
「あ、いえ、その……」
また同じように緊迫したような、何やら落ち着かない雰囲気が漂った。それからまた数秒後してから俺から口を切り出そうと心に決めて声を出した。
「なぁ」「あのっ」
俺と潮咲の声が見事に被り、再び沈黙となる。潮咲に至ってはテンパりまくってオドオドしながら赤面しているぐらいだった。
俺も少しどうしていいか分からないため、俺も正直悔やんでいる。
「き、気が合いますねっ」
どこの口がそんな言葉を出すのかと言いたいぐらい、場違いな発言を潮咲が突然言い出した。その表情は苦笑している、とでもいったところか。
「変なところでな」
落ち着いたところで、俺はようやく自動販売機からカフェオレを取り出した。
「その、私も変なことして、その……すみませんでしたっ」
再びペコリと頭を下げる潮咲の姿を見ながら、ストローをカフェオレに差して、口につけて飲む。
変わらない甘いカフェオレの味が、今の状況を打開する策を思いつくように脳を活性化してくれることを願いながら、俺は「別に」と言葉をようやく返した。
「私、正直あんなにその、良くしてもらえるとは思っていなくて……。というより、何より、私は——暮凪君と一緒に、ご飯が食べたかったので……」
「はぁ?」
思わず口に含んだカフェオレを噴出してしまいそうになった。俺と一緒にご飯が食べたかった、という人間は雪ノ木以来だった。
何ていうか、そういう発言は少なくとも好意を抱いている人に言うべきだろうとか思いつつ、じゃあ雪ノ木はどうかといわれればなんとも言えなくなる。
「あの……迷惑、でしたよね? ごめんなさい。もうしませんので……」
「いや……そういうわけじゃなくてだな。別に俺と食わなくても、他の奴もいるじゃねぇか。何で俺なんだよ」
俺がそうやって問いただすと、潮咲は「だって……」とゆっくりと顔を俯かせ、そしてまた顔を上げた。
その表情は、笑っていた。
「暮凪君が、私が此処で出会った最初の大事なお友達だからですっ」
その時、俺はあの夢で見た時の少女と潮咲をほぼ同一視した。
まるで同じようなことを言っていた。最初の、大事なお友達。
これは偶然か? それとも——
「嫌、でしたか……?」
不安そうな表情で、潮咲は俺を見つめてきた。その表情を見てると、考えるのも何故だかバカらしく感じてきて、ぷっと口から吹き出すようにして笑いが込み上げてきた。
「嫌なんかじゃねぇよ。ただ、驚いただけだ」
「そ、そうですかっ! それはよかっ——」
嬉しそうな笑顔を浮かべながら、潮咲が喋ろうとした言葉を遮って聞こえてきたのは、何回も聞き覚えのある音だった。
キーンコーンカーンコーン
「ちゃ、チャイムッ! もうこんな時間っ。暮凪さん、急ぎましょう!」
「お、おいっ!」
突然、潮咲は俺へと近づいてきて、そして俺の手を握ってきた。
温かく、柔らかくて、小さな手だった。その手は、俺の冷えた手を温めるかのように、慈悲じみた感じを漂わせていた。
そのまま俺は潮咲に引っ張られて食堂を後にした。その道中、いきなり潮咲が「あっ!」と声をあげ、俺は驚き、立ち止まった。
「ゴミ箱の掃除、忘れてました〜ッ!」
「……なんだ、そんなことかよ……。俺も後で手伝うし、別に後でも構わないだろ?」
「え、で、でも——」
「今は急ぐべきだ。担任が来ちまう」
俺の言葉に潮咲は頷いて「そうですねっ!」と、不思議に笑顔を浮かべて再び走り出した。今度は、一人でに。
その場に取り残された俺は手持ちのカフェオレを一気に飲み切り、空になったカフェオレの紙パックを近くのゴミ箱へと投げ捨てた。
「暮凪君っ! 早くしないと間に合わないですよっ!」
「はいはい……」
俺は嘆息しつつも、不思議と——笑っていた。
あんな不思議で、バカで、純粋な奴は初めてだと、俺はそう直感的に思いながら、潮咲の後を追いかけて行った。
凍える大地を、私は歩いた。
ずっと、ずっと歩いて、ようやくたどり着いた。
動けない貴方を見て、私はようやく自分が何かを分かった。そして——
「最初で、最後の、私の一番大事なお友達」
そうして、私は貴方の元へと倒れこんだ。
まるで、眠るように——。
——END