複雑・ファジー小説
- Re: キーセンテンス ( No.3 )
- 日時: 2011/11/09 00:36
- 名前: 遮犬 ◆ZdfFLHq5Yk (ID: ucEvqIip)
賑やかな廊下を通り過ぎ、俺はいつしかいつも通りの変わらない決められた教室の決められた席に肘をついてうな垂れていた。
これも、毎度のことのように繰り返される日常のごく一部。
クラスメイト達は今日も他愛のない話を交わす。噂話なんてのも勿論、その中に入る。
「おい、聞いたかよ?」
俺はそんな噂話の内の一つがふと耳へと入った。
それを話していたのは、噂話が好きそうな眼鏡をかけた男子生徒だった。
細い体で顔もパッとしないもう一人が聞き耳役だろう。
「転校生が来るんだってよ」
という言葉が俺の耳にしっかりと入った。
聞き耳役の男子生徒は「マジかよ〜」などと適当な言葉を発して相槌を上手く取っているように気取っている。
季節は春だ。この時期に転校生、というのは珍しいのかどうかは俺にはわからない。ただなんとなく、不思議な感じがした。
理由は分からないけどな。
ふと俺は大きな願いの叶う桜の木と呼ばれるあの丘の方を見た。
この学校からは到底見えないと思うが、なんとなく見てしまう。それは、朝に会ったあの少女のせいだと自分で自覚してしまっているからだ。
「何だったんだ……」
と、気付かない内に呟いてしまっていた。
俺は願いがあるか、と聞かれた後は——躊躇うこともしなかった。
「願いなんて、とっくに捨てた」
それが答えだった。
これだけは、嘘のつきようがない。いや、嘘をついてはならない。
何度だって俺は願ったつもりだった。でも、願いなんかで何も変わらなかった。祈るだけで、誰も救えなかった。
それが現実だと、俺は知っていたから。だから、こんな皮肉な回答をしたんだろう。
「捨てた、ということは——あったんですよね? 願い」
何故だか少し明るめに言う少女に正直イラっときてしまった。だから振り向こうなんてことは思わなかった。
今の少女の表情は、多分笑顔だろう。そんな偽りの、同情の笑顔なんていらない。
そんなものはいらないから、なんなら時間を返してくれ。と、俺は本気でそう思った。
少女の言葉に足を止めそうになったが、俺はそのまま右手をヒラヒラと左右に振り、丘を降りていった。
「名前、聞くのも忘れてたな……」
いきなりのことだった、というのもあるが何より少し腹が立ってしまったということだ。
そんなことで腹が立つ俺が情けない。それにしてもあの少女は多分、年下なんじゃないか? 同年代であんなに童顔な子はあまりいないだろう。
といっても、もう二度と会わないとは思うけどな。
「おはよ」
脳内に届いたいい声をする少年の声が俺の耳に届いた。その声のする方を振り向くと、そこに立っていたのは身長が高めで眼鏡をかけているいかにもインテリそうだが、イケメンな男が俺を上から見下ろしていた。
「あぁ、なんだ。五十嵐か」
このメガネのイケメンの名前は、五十嵐 涼(いがらし りょう)。何かと腐れ縁のようなもので繋がっており、いつからかも忘れたが、俺とこいつは友達だ。
「なんだとはなんだ。冷たいな」
と、五十嵐は愚痴に近いものを無表情で言いながら俺の横の席に自らのカバンを下ろした。俺のとは違い、少し膨らみがあるカバンだ。
「今日、確か部活あったな」
大抵無口な五十嵐が俺に部活の有無を聞いてきた。
ちなみにだが、俺も一応部活には所属している。一応ということと、あれを部活と呼べるのかどうかは別として、だが。
五十嵐も俺と同じ、その"部活"に入っている。
「そうだったか? 部活があるかどうかなんて、いちいち覚えてねぇよ。大体、あれは部活とは呼べないだろ」
俺の言葉に、五十嵐は何の反応も示さずにただ顔だけが俺の方へと向いて一言。
「もうすぐ、涙がやってくる」
「何でわか——」
何でわかるんだよ。そう言おうとしたが、俺の目線——五十嵐の後ろにいつの間にかいた人物を思わず凝視してしまったことで自ら言葉を飲み込んでしまった。
「あらぁ〜? おはよう? つ・か・さ」
この聞き慣れた音程の高い声が今の俺にとっては恐怖そのものでしかない。
五十嵐の後ろに立っている人物は手をパキポキと鳴らしながら俺に微笑みかけてくるのだから。
「ま、待てよ! 誰もサボろうだなんて……」
「へぇ〜、サボるつもりだったんだぁ〜?」
「いや、だから……!」
「よーし。おい。逝くぞ」
「逝くって、どこに……?」
俺は胸倉を掴まれ、そのまま教室を出ようとする涙。だが——教室のドアの取っ手を掴んだ瞬間、チャイムが鳴り響いた。
「ちっ……! また昼飯の時間ねっ」
女の子が昼飯の時間にボコる約束するって。現代の女の子はとんでもなく末恐ろしいな。
胸倉から手が離され、涙が目にも留まらぬスピードで自分の教室へと戻って行った後に、ため息を吐く。
涙は運動神経、容姿端麗、スタイル抜群という素晴らしい能力で男子から人気があった。当初は、の話だが。
性格は——見ての通り、不良かお前はと聞きたいぐらいの殴りたがり屋。とか本人の前で言ったら体が吹き飛ぶに違いない。そりゃもう、木っ端微塵に。
「黙っていれば、モテると思うんだけどなぁ……」
と、いわれがちだ。確かに事実なので本人もあまり否定出来ない様だが、街でナンパなどをされたら返り討ち(?)にしてしまうらしい。
ケンカ目的で話しかけたわけじゃないのに、涙からすると返り討ちというそうだ。何とも都合の良いことで。ナンパした男子がこの時ばかりは可哀想だと思える。
名前が一条 涙(いちじょう るい)という名前なんだが、涙という名前は"なみだ"とも呼べる。
どこがなみだなんだか。逆になみだを流させる側だろうと思う。
「だから言っただろう」
五十嵐が俺の後ろから呟いた。こいつの勘が面白くないほどよく当たるというのは知っているが、本領発揮は少し抑えて欲しい。
五十嵐の方へと顔を向けてみると、すました顔で俺の顔を見ていた。
「勘弁してくれ。冗談だと思った」
「嘘を言うな。俺の勘がよく当たると、お前が一番よく知っているだろう?」
「……お前には負けるよ」
俺は五十嵐の隣を過ぎて自分の席へと座り込んだ。
始業式が始まり、特に何もないまま二週間が過ぎてほんの少しだけだがクラスメイト達がまた一年生の時のように騒ぎ始める頃合だ。
正直、同じクラスに五十嵐がいてよかったと思う。あまり俺と気の合う友達は少ない。それも、仕方のないことだったんだが。
「今日は、雨が降るな。それも、大雨だ」
五十嵐がいきなり呟いた言葉。その言葉に俺は慌てて外を見る。
ポツリ、ポツリと、確かに小雨ではあるが雨が降ってきている。五十嵐の勘では、大雨になるという。雲行きもそんな感じだった。
(——頼む……! お願いだから……!)
脳裏に浮かぶあの残像。記憶の片隅に忘れ去りたくても、忘れられない消えない過去。
俺の心の鍵はいつでも頑丈に閉まっていて、誰にも開けられないように、固く固く閉まってある。
「嫌な、天気だな」
そうやって少ない信頼の出来る友達にさえも、俺は愛想笑いしか浮かべられない。
俺の心も、ずっとあの光景が、あの大雨の降ったあの日が——いつまでも、離れてくれない。