複雑・ファジー小説

Re: キーセンテンス ( No.43 )
日時: 2011/11/18 23:46
名前: 遮犬 ◆ZdfFLHq5Yk (ID: rGbn2kVL)



「さてと……」

すぐ近くであーだこーだと明るい声で独り言を言いながら弁当を3つ広げて食べている三河を余所目に、俺はラスクを食べ終えたので教室に戻ろうとしていた。

「あれ? もう帰っちゃうんですか? 親分」
「誰が親分だ。……あぁ、ラスクも食べ終わったことだしな」
「ラスクだけで足りるので?」
「……足りないけど、これしかないからしょうがないだろ」

そういいながら、空になった袋を左右に揺らした。三河はそれを見て何を思ったのか知らないが、突然自分の弁当の内の一つを差し出して来た。

「これ、よかったら食べてくださいな! どうせ私、試食なんで食べ切れないですからー!」
「全部食うほどの大食いでもないのか?」
「あー、暮凪さん、失礼ですねー。女の子に大食いなんて言葉は似合いませんよ? 例えテレビとかで大食いと呼ばれていても、女の子は乙女な少女なのですよ! そこのところ、しっかりしてくださいな!」

頬を膨らまして腕をぶんぶん振っている辺りからみると、これは怒っているのだろうか。俺はゆっくりとため息にならない程度の息を吐いて落ち着くと、

「それは悪かったな」

と言った。その言葉を聞くや否や、三河は頬を膨らますのと腕を振るのをやめて、再び弁当箱を差し出して来た。
差し出された弁当箱は、量こそは普通の男子高校生が食うほどの量でもない、単刀直入に言えばかなり少なく、しかし見栄えがいいものばかりだった。ちゃんとバランスを考えた食材が並び、肉類や野菜類などの量もそれぞれ均等といっていいほどの揃えだった。見たところ、まだ手を付けた様子は無く、言えば作られた状態のまま残してあった。

「これは……随分料理上手い奴が作ったんだな」
「あー、また失礼、ですよー? それ一つに限らず、三つとも上手いです! ていうか、美味しいんですよ!」
「いや、別にそういう意味で言ったわけじゃないが……まあいいか。でも、俺がもらってもいいのか? お前が試食するからと言って渡されたものだろ?」
「えぇっ! 暮凪さんって、そんな細かい人だったんですかっ! 外見からして肉食系でーすって感じがするのに、そんなに細かいんですかね! いいんですかね! それって!」
「知らねぇよ……。分かった、じゃあ遠慮なく貰うよ」

俺はゆっくりと右手を伸ばし、三河が差し出している可愛らしいピンク色の弁当箱を受け取ろうとしたその時、

「500円」
「……は?」
「弁当代ですよー! 結構安いと思いません?」
「高けぇよっ! 男でこの量500円って、どっかの定食屋で食った方がマシだ! ていうか、金取るとか聞いてねぇぞ!」
「えぇー! 暮凪さん、世の中そんなに甘いもんじゃないですよ! こうしてビジネスを重ねて、人は育っていくのです! 分かりますか!」
「何で年下にそんなこと言われなくちゃなんねぇんだ……。500円は高すぎる。もっとまけろ」

俺がそういうと、三河は弁当箱を自分の元に引き戻し、頬を膨らまして俺を見てきた。そうして少し考えるような素振りをとった後、三河は指で三つを表した。

「まだ高けぇよ」

一言俺が返事を返すと、少し怒ったように「えー!」というと、また少しの沈黙を挟んで、小さく「しょうがないな……」と呟いたかと思うと、三河は二つの指を指し示した。

「……ま、いいだろ。じゃあ200円な」
「毎度ありーっ! さっすが親分だぁー!」
「……ったく、他人の弁当で商売する奴なんて初めて見た」

200円を財布から取り出すと、それを三河の小さな手にゆっくりと置いた。そして次に弁当箱を受け取る。見れば見るほど量は少ないが、おかずはどれも品揃えが良いというか、美味しそうだった。

「これらの弁当はみーんな彼氏にあげるとかで作っていたらしいですよ? と、いうことで……暮凪さん、感想くださいな!」
「味の感想か?」
「そうです! 男の人から見て、この弁当はどうなのかっていうのをズバリと言い当てちゃってください!」

三河からそう言われた後、俺は弁当箱についてあった割り箸を割ると、弁当箱の中身を突っつき始めた。
どれも小さなおかずごとにまとめられており、女の子だとこれは二口、多くても三口程度のものなのだろうが、男からすると一口、二口程度にしかならない。この量を二口で、という男はよっぽど小振りな奴なのだろう。
食べてみた所、かなり美味しかった。何度も練習したんだな、というのもこの弁当箱から感じられるが、それとはまた別に手慣れているようなものもあった。普段から自分の弁当を作っていると思う。そのせいで何だか作り慣れている感があった。
だが、問題的に、まずそんなどうでもいいことよりも大切なことがあった。

「ハッキリ言おう。男にしては量が少なすぎる。男に渡すにしては、ちょっと配慮してなさすぎると思う。自分が食べる程度の弁当を作っているから、相手のことを考えてないというか……そんな感じがする。実際にまだ俺は腹が減ったしな」
「それは単に暮凪さんがよく食べるとかいう理由なのでは?」
「特に否定はしないけどよ。この量は普通の男子からすれば確実に少ないな」
「ふむ……味の方は?」
「味はこれでもいいと思うけど、やっぱり作り慣れているせいなのかは分からないけど、味付けが薄いな。カロリーとか気にしてるのかは知らないけど、もう少し味付けを濃くしてもいいんじゃないか、という気がする」
「へぇ……」

何だかどうでも良さそうというか、先ほどまでの明るいテンションの声や表情とは違って呆けた顔をし始めた三河はどこか様子がおかしかった。

「どうした?」
「え? ……あぁ! いえいえ! 何でもないですよー! それより、貴重なご意見、ありがとうございますですね! よしよし、これでまたビジネスが広がるなぁ……」
「お前、このアンケートも金に換えるつもりか」
「ふふふ、世の中は甘くないですからね!」

全く恐ろしい女だ、と呆れたように俺は嘆息し、感想を言いつつも食い進めていた弁当がいつしかだし巻きのみとなってしまっていたことに気付くと、その最後のだし巻きを口の中に放り込み、よく噛んでその味を噛み締めた。

「はい! じゃあ弁当箱あずかりますね!」
「あぁ、頼む」

俺の手から弁当箱を取り上げると、三河は手慣れた手つきでそれらをまとめると、突然立ち上がった。

「もう昼休み終わりますし、そろそろここらへんで退散しますね! ……あ! ここのことは、誰にも秘密ですからね!」
「はいはい、分かった分かった」
「本当に秘密ですからねー? 私と、暮凪さんしか知らないんですから! 多分!」
「あぁ、言わねぇよ」

俺がそういうと、ふっと先ほどまでとは違う笑みを漏らしたような気がした。それは何だろう、とても柔らかくて、寂しげな笑みだった。

「それじゃ! また会えるその日まで! 生きてたらー!」

通常の声に戻ると、三河は手を振りながら俺に背を向けて小走りで屋上から出て行った。

「ったく、生きてたらって、軍人かよ」

膝に肘を付き、俺はその背中を見送ってから呟いた。





——あれ? ここはどこ?

気付いたら、そこは、真っ白な世界だった。
綺麗な世界で、全身が溶けて行くような感じがする。いや、感じというより感覚がないのかもしれない。
私は、一人だった。何時生まれたのかも、どこで死んだのかも分からないし、そもそも自分という存在はいたのかということすらも分からなくなる。
ただ、人間の形をしている何かなのかもしれない。それは、誰にも分からない。きっと、人間でいる人々も皆、生きていることの理由なんて、全然分からないんだ。
けれど、私はもっと分からない。どこにいて、何をして、どうしてこんな真っ白な光しかない世界にいるのか。全然分からない。

——あ。

少し思い出したことがある。
何だろう、私は、私は、誰かと前までどこか悲しい世界にいたような気がする。
それは、私の最愛の人で、私はその人と生きることを望んだけれど、あの悲しい世界じゃ、私達は共存できないと分かったから。
だから、私は貴方の手を離した。その手は、温かいと思っていたけれど、実際はとても冷たいことも。貴方は、私と同じ人間だと思っていたけれど、それは"全然違っていた"ということも。

——私は。

何だろう。私は。
全ての感情を忘れて、ここにいる。私は、ここにいる。
誰か来て欲しいと願っても、声はどこにも届かない。声が、出せない。
いや、出し方を知らないのかもしれない。自分自身が、人間だと認知していないのかもしれない。
このままどうなっていくんだろう。私は。きっと、私は。


「——お、き、て」


声が聞こえた。その声は、初めて聞く最愛の人の声だった。