複雑・ファジー小説
- Re: キーセンテンス 第5話完結しましたっ。 ( No.44 )
- 日時: 2011/11/24 21:42
- 名前: 遮犬 ◆ZdfFLHq5Yk (ID: rGbn2kVL)
部活動ともいえない活動は今日の放課後にはなかった。つまり、放課後が来ればそのまま帰宅するということになる。
特にやることもない俺は即座に帰る支度をする。いつの間にか五十嵐はおらずに、潮咲は店の手伝いがあるからと言って先に帰ってしまった。
涙や雪ノ木、北条などにもあまり顔を合わせずに、というより涙以外、雪ノ木と北条には今日顔を見せていないし、見てもいなかった。
またどうせ明日会えるだろうし、特に気にも留めずに帰ろうとしたのだが、外は曇り空に雨が降り始めていた。最初はポツポツと小さな雨粒が何適か落ちてくる程度のように感じたが、段々と変化し、俺が一階に下りる頃には、小雨へと変わっていってしまっていた。
嫌いな雨がアスファルトの地面を湿らせる。雨は嫌いだ。それは、あの頃を思い出してしまいそうだから。
あの頃。それが何時の頃だったのかも、何故だろうか、俺は記憶が曖昧になってしまっていた。何時、どこで、どうしてそうなってしまったのかも分からないまま、ただその原因を親父のせいだと決め付けている自分がそこにいた。
その頃の自分は、どうしてだろうか。人のことを考えなかったのかは分からない。ただ、自分勝手な奴だということは分かっていた。
分かっていたからこそ、俺は俺が嫌いだったんだ。
「雨、か……」
突然、俺は呟いてしまっていた。それはとても自然に言葉として出たもので、正直俺も驚いてしまっていた。
今更、俺はあの時を思い出して何をしようというのか。けど、俺は何であの頃からずっと逃げているのだろうか。
逃げているんじゃない。怖いのか。
濡れてしまうな、なんて当たり前のことも考えずに、俺は自然に足を踏み入れようとしていた。
いつの間にか周りに賑わっていた奴等はどこかへ消えてしまっていた。まるで、この世界には俺だけしかいないかのような。そんな感じがしていた。
ゆっくりと足を踏み出そうとした時、初めて雨が強くなっていることに気付いた。小雨ではなく、幾つもの無数の雨が否応に無く足を濡らしていく。その様子を見つめ、また数秒後俺は足を踏み出していた。
冷たい水滴がいくつも頭上から滴り落ちていく。ひんやりと背中が凍えるような冷たさに襲われていく。
あぁ、そういえば梅雨だった。そんなことも忘れていたこの時間は、何故だか時が止まったかのように、とても不思議な感じがした。
あの頃もそうだったのだろうか。
「——何してんの?」
その時、後ろから誰かの声が聞こえた。慌てる素振りも俺は見せず、ゆっくりと声のした方向に振り返ると、そこには北条がいた。
小さな背に、かなり長い黒髪が雨のせいか、しっとりと濡れているような気がした。その小柄な手には、小さな体を覆い被さるには十分すぎるほどの大きな藍色の傘が握られていた。
不思議な顔をして俺を見つめてくるその黒い瞳はとても純粋なものに思えた。何故だか、いつもは普通だと思っていた北条が、何故かこの時とても綺麗に見えた。
「……いや、今帰ろうとしていた所だ」
「……そんなとこで立ち止まってるクセして?」
「まあな」
「ふぅーん……」
特に表情も変えずに、大きな黒い瞳を何度か瞬きさせて、ゆっくりと俺の方へと歩み寄って来た。何をするのかと思えば、北条は真っ直ぐ上に向けて傘を上げ出した。
「あ——」
その瞬間、俺の頭上に降り続いていたはずの雨が遮断された。それが北条の傘のおかげだと知ったのは数秒後のことだった。
「そのままじゃ、風邪引くでしょ」
北条はそう言って腕を精一杯伸ばしている。さらには背伸びもしていたりする。俺の身長と北条の身長だと全く合わないので、北条の小柄な体だと背伸びまでして傘を上にかざさないといけないらしい。
それを知った俺は、自然に笑みが零れた。
「お前も、無理するなよ」
「まあね。そろそろ疲れてきた頃だった」
北条はため息のような息を吐くと、急に力を抜いて傘を地面に向けた。再び頭上から雨が降り始めた。それは俺だけではなく、北条も同様にだった。
「傘あるのに、風邪引くぞ」
「疲れたから下ろしてるだけだよ。これぐらいで風邪引かないし」
そうは言っても、北条の体は小刻みに震えていた。そうだった。北条は変に我慢強いというか、無理をするというか、何だかよくは分からない、お節介のような奴だった。
「じゃあ俺が持つ。それで濡れないだろ」
ひょいと、北条が持っていた傘を取り上げるようにして奪うと、傘を北条の上にかざした。
「何この奇妙な画は……」
「知るか。俺は別に風邪引かないから大丈夫だ」
俺がそう言うと、急に北条は笑い声を出し、笑顔になると、口を開いて再び喋りだした。
「いいや、その傘、貸してあげるよ。また明日ぐらいに返してくれればいいからさ」
「はぁ? 北条が風邪引くだろ」
「ふふ、これでも風邪とかには強い方なんだよねー。……ま、そういうことで!」
「あ、お、おいっ!」
ポンッ、と俺の肩を叩くと、そのまま傘を置き去りにして雨の中走り去って行った。
俺の呼び止める声などは全く聞こえる素振りも無く、ただ雨音に掻き消されるようにして見えなくなっていた。
「一体何だっていうんだ……」
自分の手に握られている傘を見つめ、俺は一人、雨の中で呟いた。
私の証。それは消えてしまうけれど、きっとそれで良くなるはず。私の"運命"は、そんなところ。
「……傘、ちゃんと明日返してよね」
誰もいない雨が降る曇り空の下、ただ一人でそう小さく呟いた。
誰の耳にも聞こえず、雨音にただ掻き消されて消えていく小さな言葉達は、音も無く、ゆっくりと振動するように、世界へと落ちていった——