複雑・ファジー小説

Re: キーセンテンス ( No.47 )
日時: 2011/12/20 23:25
名前: 遮犬 ◆ZdfFLHq5Yk (ID: FMKR4.uV)

俺には妹がいる。それは現在進行形で、今もちゃんといる。いや、付け加えるとするならば、今もあの"幼少時のまま"の存在で生きている。
妹は1,2歳は年下だった……はずだ。その記憶さえも、曖昧だった。
何せ、俺の記憶に残っている妹の姿は、どれも影がかっていて、よく分からないものが多かった。更に、音声でさえもよく覚えていない。ノイズがかったような音声で、誰が誰の声で、これが妹の声だという確証はまるでない。
親父に聞いたとしても、答えてはくれなかった。けれど、妹はいる。妹は、傍にいたんだ。親父が今のような状態になったのは、妹が何かあったせいなのだろうか。それとも、また別のことなのだろうかとか、そんなことも思っていたが、純粋に妹の存在が俺の中に存在していたんだ。
そんな"顔もよく分からない妹"は、幼少時の記憶として生きている。実際にどこにいるのかは、よく分からなかった。それは昔、妹だけ別の所へ預けられる形となって、俺と離れたんだそうだ。それから、一度も——。
いや、それだけじゃない。妹だけの存在だけじゃないんだ。俺は、この町のことを何も知ってはいなかった。ただ、あの願いの叶う桜の木が、あの木と関わりがあった。あの木は、俺に——。

「……暮凪さん?」
「え? ……あぁ、悪い」

雨音がまた耳元に入り込んできた。眼の前に、琴乃の姿も映った。不思議そうな顔をしている琴乃の目線から目を逸らす。

「顔色が、少し悪いですよ?」
「大丈夫だ、心配ない」
「また考え事ですか?」
「……まあ、そんな所だ」

俺がそういうと、今度は笑顔で返してきたのではなく、少しばかり真剣な面持ちで見つめてきた。

「桐野叔母さんは、今入院中ですし……急に会わせろ、というのは無理な話だと思います。この雨の中ですし」
「確かに……そうだな」

後方では、雨がザーザーと音を鳴らして降り続いている。いつ止むのかも分からないほどの雨量にしばしば、うんざりしていた。

「前のお礼が出来なくてごめんなさい。でも、また今度必ず会わせます」

グッ、とガッツポーズに似たようなものを知らず知らずの内なのか、琴乃は小さく行っていた。
それは何の意思の表れなんだよ、とは思っていたが、その感謝の気持ち? というのか。何にせよ、別にお礼なんてしなくてもいいと言っているというのに、する気満々でいた。といっても、俺にとってもメリットはあるわけで、そのお礼に甘える他はないわけだが。

「分かった。じゃあ、また今度な」

そう言って、俺はゆっくりと立ち上がると、傍に置いてあった北条の傘を手に持った。本当なら、この傘を返しに来ただけなんだけどな。

「え、まだ雨、降ってますよ?」

どうやら琴乃は雨が完全に降り止むまで此処に居させてくれるつもりだったらしい。それも感謝の内の一つなのかは知らないが、このまま雨が止むまで待っていたら日が暮れてしまいそうだった。というより、この曇天のせいで時間帯もよく分からないでいた。腹が大分減ってきているということは、もう昼時はとっくに過ぎているだろう。

「この傘の持ち主、どこにいるか分からなかったからな。この傘はまだ使わせて貰う事にする」

そう言って傘を広げる。バンッ、と勢いよく傘が開いた。付いていた水滴が一面に広がり、地面にあった水溜まりと同化していった。
酷い雨だが、いつまでも自転車を石段の下に置いておくわけにもいかず、傘を頭上へと向けると、琴乃の方へと向いて、

「じゃあ、またな」

と、告げて行こうとした。そうすると、琴乃が突然声を出した。その言葉の内容は、雨音によって掻き消されていたが、確かに何か言ったことは聞こえた。琴乃の方へと振り返ると、琴乃は少し笑顔を見せて、

「また学校で会いましょうね」

ハッキリとそう言っていた。今度は確実に聞こえた。また、学校でと。

「嘉島、俺と同じ学校だったのか?」
「そうですよ? 暮凪さんより、一つ下の歳ですけど」
「一つ下ぁ?」

俺は驚いた声を出さずにはいられなかった。それは、琴乃が俺の一つ下の歳だということだった。
見た目からして、大人びているというか、全体的に落ち着いているイメージのある琴乃は、どこか年上っぽい感じがした。けれど、たまに見せていく子供らしい一面とかから見れば、確かに年下というのも有り得なくは無い。まさか後輩にこんな大人びた奴がいるなんてな……まあ、いちいち1年の女子を把握しているわけでもないし、特に何も思わないが。

「そうだったのか……」
「ふふ、年上か何かだと思いました?」
「……まあ、正直な」
「よく言われますから、大丈夫ですよ。——それでは、また」

笑顔で琴乃はそう言って俺へと向けて手を左右に振った。




北条の傘を片手に、自転車を乗ると、急いで帰路を戻って行った。
行きはさほど遠いという実感こそなかったが、戻るとなるとどうしてこうも遠く感じるのだろうか。傘を差しているとはいえ、雨は容赦なく俺の体へと当たっていく。服が肌に張り付き、気持ち悪いような感じが纏わり付くようになっていた。

(あぁ、早く帰りてぇ……)

俺はそんなことを思いながら自転車を漕いでいた。大巫女橋の上へと差し掛かった時、ふとあの丘の方が見えた。
あの丘というのは、願いの叶う桜の木のある丘のこと。その丘が、この橋の上からよく見える。しかし、この曇天の中で、遠くがよく見えない状況ではまず様子を見ることは不可能だった。——だけど、

「何だ、あれ……!?」

俺は思わず、ペダルを漕ぐ速さを速め、すぐにでもその場所へと辿り着きたくなった。——あの、桜の木の元へと。

何故か体が軽かった。それは、あの風景を見たからなのだろうか。それとも、ただの錯覚だったのだろうか。いや、でも……。
梅雨の雨が降り注いでいるというのに、どうしてあんな現象が起きたのか。まず有り得ない現象だった。それは本当に、目がおかしかったのかもしれない。けれど、胸騒ぎがした。きっと何かあると、俺は思った。
何分かかったのかも分からず、いつの間にか丘へと辿り着いた俺は、自転車を横倒しにしながらも丘の上へと一人、傘を持って登って行った。
濡れた草や、服や、ズボンが色々と纏わり付いて、全身が重たい。まだ雨は降り続いている。止もうという気がないのか、それともまだ雨を降らし足りないのか、容赦なく雨は激しく襲いかかってくる。
髪も何もクシャクシャになりながらも、ようやく丘の上へと辿り着いた。桜の木が眼の前にある。だが、その様子はまるで枯れ木のような様子だった。

俺が橋の上で見た光景。それは——綺麗に光り輝く、桃色の光を放ったこの桜の木だった。

「やっぱり、錯覚か……」

だよな、と呟いて俺はその場を後にしようとした。その他、探そうといっても何もなかったからだ。潮咲か誰か、あの風景を見たのだろうか。もしかすると、俺だけが見たのだろうか。本当に錯覚だったのかどうか、俺には信じられなかった。
だが、その瞬間、ふわりと何かが頭上から舞い落ちてきたような気がした。ゆっくりと、俺は手を差し伸ばした。そして、それは優しく俺の手のひらへと乗った。
雨もそうだが、風も吹いている。だが、この場所だけはそんなもの、何も無いように思えた。でないと、この手のひらにあるものはどこかへいってしまうだろう。
この、桜の花びらが。

「花びら……? この季節に……?」

俺はその花びらを握り締めようとしたが、その瞬間、とてつもない風が吹き、花びらを飛ばした。一瞬の内に花びらは手のひらから消えてなくなってしまった。




君と私の、約束。
それは、ただ単純な約束。
この何も無い世界に、命を誕生させようとした。
それは罪なこと? それは良いこと?
分からないけれど、きっと私達の生きる希望になると思った。

どこか、どこかで見つけた一つの種をいつしか植え、いずれかいつの日か、きっと大きな花びらを咲かせることでしょう。
——満開の、桃色をした花びらを。