複雑・ファジー小説
- Re: キーセンテンス 第二章プロローグ更新っ。 ( No.53 )
- 日時: 2012/01/31 23:49
- 名前: 遮犬 ◆ZdfFLHq5Yk (ID: /HF7gcA2)
- 参照: 長らく休んでいましたが、再開! 第二章スタート!
拝啓、——へ。
私の夢は、お嫁さんになることでした。今では、想像も出来ない夢だったけれど、本気でなりたかったのです。
明るい家庭を築き、私は笑顔でそれらと共に囲んで、楽しく過ごしたかったのです。
けれど、私の夢は我儘で、もっと欲張ってしまいます。
そのお嫁さんになる夢を捨ててまで、私は願ってしまいました。
願って、しまったのです。せめて、此処には居させて欲しい、と。
それも、もう終わりなのかもしれません。神様は、やっぱり居るのです。居てしまうからこそ、私は此処にいるのですから。
あぁ、神様。どうか、私を——私を、早く失くしてください。決心が、鈍らない内に。
そして、最後に。送りたい言葉を告げてから消えたい。
——と。
その記憶は曖昧だが、確かに記憶の中にあった。
小さくて、まだガキの頃の話。藍色で、俺と同い年が持つにはとてもじゃないが、合っていない大きさと重さのあった傘を持つ、それも少女がいた。まるで面識は無かったように思うんだけど、その少女は俺の顔を見ると、毎度のように笑顔を作った。
それは偽りの無い、純粋で、とても可愛いと感じた笑顔だった。
その日は、普通にいい天気だった。天気が良すぎて、日焼けするぐらい。日傘でもなく、雨傘を差しているその不思議な少女は、どうやら日焼けするのが嫌なわけでもないらしい。だが、その少女の肌は純白と言えるほどに綺麗なものだった。
「何で雨傘なの?」
思わず、俺は聞いてしまった。
照りつける太陽の日差しが嫌というほど当たるこの海岸では、潮の匂いと海から聞こえる水の流れる音が混じりあい、少女のバックを綺麗に彩っているように見えた。
少女のその長い黒髪は、透き通っていて、とても綺麗だった。大きめの麦藁帽子を被り、潮風で揺れる黒髪を押さえながら、少女は言った。
「この傘、私のお気に入りなの」
見た目通りの、綺麗な声をしており、俺はますます見惚れてしまっていたと思う。呆然と、ただ少女のその優雅な微笑みを見つめながら、
「お気に入り?」
と、そのままの言葉を返してしまっていた。
しかし、自分の中ではそんな無粋な言葉以外、何も思いつきはしなかった。我ながら、ダメな頭だと思う。
「そう。おまじないがかかってるの、この傘には」
「どんな?」
「うーんとね……」
少女は考える素振りを見せて、少し困ったように眉を下げた。どんな表情をしても美人に見えるのが不思議だった。
「秘密、かな?」
「教えてくれないの?」
「だって、言ったらおまじないじゃないもの」
澄ましたような、そんな大人びた表情を見せ、少女はまた微笑んだ。
この少女と出会ったのは、これよりまだ前の話なのかもしれないし、これが初めてなのかもしれない。
だが、こうして記憶の奥に仕舞っていたものだった。大事な物を失くしていたような、そんな気分だった。
「うわっ」
突然、目が覚めた。何故か汗を掻いてて、どうしてか息切れもしていた。ベットのシーツが汗で濡れていて、とても気持ちが悪く思えた。
天気はどうやら雨の降る曇天のようで、日差しも何も無い。窓の奥から聞こえる雨音は、梅雨のものだろう。
もうそろそろ梅雨の時期も開けるというのに、どうしてこんなにも梅雨は頑固強いのか、と思いながらも欠伸を一つかました。
時計を見ると、まだ午前10:00だった。普通なら、もっと遅くまで寝ている所だろう。今日は休日。つまり、ゆっくり寝れる日だ。
そんなことを思いながらも、自分の手を見つめていた。汗で少しばかりしっとりとしたその手は、夢の感触を確かに覚えていた。
「あの夢……」
——あの夢。それは、北条に傘を学校で返した時の出来事のように思えたが、どうにも意味が分からなかった。北条が北条でない。こんなことがありえるのだろうか、と。
「……所詮、夢か」
ふっ、と鼻で笑い、とりあえず汗で気持ち悪くなっているベッドから身を起こした。気だるさが一気に全身を覆う。
カレンダーの日付には、今日は日曜日だということだった。そういえば、明日ぐらいからテストが始まるとか何とかのはず。そうとは思えないこの日にちのズレが生じているような、変な感覚が俺の全身を気だるさと共に巻き上げていく感じがなんとも言えず、カレンダーから咄嗟に目を逸らした。
「ふぅ……」
部屋を見渡すと、あちこちに物が置かれ、整理整頓されている部屋とは言えない部屋具合であることは間違いなかった。掃除などはたまにやるが、本当に気まぐれな為、ゴミは僅かに増えていく。そのおかげで、今では目に付くほどのゴミが大量にあった。
「また今度、片付けるか」
今日ではなく、今度。それは全身に覆われた妙な気だるさ所以なのかは分からなかったが、今は腹が減って仕方が無かった。
「えーと……下に、何か食い物あったっけ?」
そんなことを考えながら、ふと親父のことを思い出す。
あの親父は今、一階にいるのだろうか。果たして本当にそうならば、出会いたくはない。いや、それよりもこの家から出たかった。
「……外で食おう」
確かめることもせず、即座にそう決めた。確かめている暇があったら、親父の姿など見ることも無く、去りたかったからだ。
仕度を部屋の中である程度済ませると、部屋を出た。一階へと下りていくと、扉のわずかな隙間から小さないびきが聞こえてきた。やっぱり親父は此処にいた。夜勤の仕事から帰ってきたばかりなのだろうか。そんなことをまだ覚えているなんて……いや、そんなことしか覚えてなどいなかった。親父が夜勤で、何時帰ってくるのかなどの把握を怠ることはない……そんな周りから見れば悲しく思えることも、俺は平気で習慣付けてしまっていたのだった。
(あの台所……)
玄関を出ようと一目散に行くのが普通だったが、この日に限って少しリビングの少しはずれにある台所を見つめた。
台所は、随分と使っていないと思っていたが、どうやら親父が使っているようだった。綺麗に整えられて、掃除が行き届いてある。今でもずっと使っているようだった。
「……クソ親父のクセして、料理はまともなんだな」
愚痴のような、皮肉の言葉を漏らし、玄関から外へと出ようとした——その時、
ピンポーン。
いつもはあまり鳴るはずのない、いや、久しぶりにこの家のインターホンを聞いたような気がする。それも錯覚なのか、何なのかは分からないが、不思議と懐かしい感じはしないものだった。
「……うん? 誰か、来たのかな……?」
その瞬間、俺の背筋が一気に冷めてくる気がした。親父が起きて、俺のいる廊下へと歩いてくる。そのことが分かり、急いで逃げるように玄関へと向かい、扉を開けた。
「あっ……」
「あ……」
声が重なった。俺の目の前にいたのは、俺の家に訪ねてきたのは——潮咲だった。驚いたような表情をし、ドアノブを握って微動だにしない俺へと向けてすぐに笑みを浮かべた。
「暮凪君っ、おはようございます!」
「何で、お前……」
「ん……? あれ? 君は……」
俺と、潮咲、親父がそれぞれに口に出した。俺の後方にいる親父は、呆然とした顔で俺と潮咲を見つめていた。それは、まるで他人を見るかのような——
「行くぞ、潮咲」
「えっ?」
俺は潮咲の手を掴み、引っ張ると、その場を後にするのに必死だった。
必死で、必死に、後方から他人行儀な目線を流してくる親父を振り切るのに必死で、この胸が張り裂けそうだった。張り裂けたかった。
どんな表情で親父が俺と潮咲が去っていくのを見たのか、実際には見ていないから分からないが、どことなく視線は感じながらだった。
一人、玄関で立ち尽くした後、小さく呟くように、それは消えそうなほどの弱い声だった。
「司……思い出したのかい……?」
その声の行方は、分からなかった。