複雑・ファジー小説

Re: キーセンテンス 更新再開しました! ( No.54 )
日時: 2012/02/02 23:13
名前: 遮犬 ◆ZdfFLHq5Yk (ID: /HF7gcA2)

どれぐらい走っただろう。息切れすることも忘れ、ただ無我夢中で走り続けた。止まりたくない。そんな感情と色んなものが混ざり合い、交差しては抜けていく。自分が今どこにいて、何がしたいのかも分からなくなってきているほどに、頭が真っ白く染められていた。

「——あっ」

その時、"何か"を引っ張っていた右手が突然ガクン、と下に落ちた。そのおかげで我には返ったわけなのだが……後方には、膝から転び、痛そうに顔を顰めている潮咲がいた。
潮咲を見て、やっと俺は思った。何をしているだ俺は、と。

「大丈夫かっ!?」

すぐに俺は潮咲と目線を合わせる為に膝を曲げて腰を下ろした。潮咲の表情は痛みで歪んでいたが、俺が声をかけると、無理矢理にでも笑顔を作ろうとしたのか「えへへ……」という声が潮咲の小さくて少しふっくらとした桜色の唇の奥から声が放たれた。

「大丈夫です……ごめんなさい、こけちゃいました……っわわ」

無理にでも立ち上がろうとした潮咲が再び後ろ側へと向けて転びそうになるのを慌てて両腕で支えた。

「無理すんなっ。傷、見せてみろ?」

と言いつつ、潮咲の膝に目をやる。すると、赤い血がすり傷の中から薄っすらと出てくる所であった。見たところ、そこまで大した傷ではないが、消毒しておいた方がいいだろう。何かバイ菌でも入ったら大変だった。

「あまり大した傷じゃないけど……どこか、消毒できる場所で消毒しといた方がいいな」
「だ、大丈夫ですっ」
「大丈夫じゃないって。俺が……勝手に、潮咲を連れて走り出したのが悪いんだ。つまり、これは俺の責任でもあるってことだから」

そう言った俺の顔を呆然としたような表情で見ると、すぐにまた笑顔に変わり「はいっ」と元気の良い声で返事を返してきた。
そうとなったら、辺りを見回した。一体どこまで来たのか分からなかった為、確認したのだが……本当にがむしゃらに走っていたんだと思う。それも、結構長い距離なのかもしれない。此処は、俺のあまり知らない地域だった。今現在、丁度良く公園の傍で潮咲が転んでいたので、車などの心配は無く、安心して落ち着いていられる。
近所では見たことの無い看板や店が点々とあり、そして周りはほとんどが住宅街などで溢れていた。しかし、この場所からでもあの桜の木はよく見える。というより、俺の家からよりもよく見えるかもしれない。なんだかんだ言って案外近いのかもしれないと思った。

「なぁ、ここの辺りで——」
「桜ッ!?」

潮咲にこの辺りで消毒の出来そうな場所は知っているか聞こうとした時、女性の声が俺の後方から聞こえてきた。俺が振り向いたその時、強気そうな女性がスーパーの袋を持ち、どこかの喫茶店でありそうなコゲ茶色のエプロンを着ており、凄い早歩きで俺達の元へと来たかと思いきや——突然、俺を蹴飛ばし、潮咲の目の前へと現れた。俺はというと、蹴飛ばされた勢いで公園の地面へと2m弱転がるハメとなった。

「あ……かえでさん?」
「楓さん? じゃないよッ! どうしたのさ、この傷!」
「えっと、転んじゃって……」
「えぇっ! そりゃ大変じゃないか! ほら、早く家に来な!」
「え? ……あ、あの、楓さん。その、暮凪君も……」
「あぁん? 暮凪君って誰だい? ……って、もしかして、そこで寝そべっている奴かい?」

と、俺へと指を差して楓という強気そうな女性は言い放った。歳は見た目的にまだ20代だろうというぐらいの美しい美貌を持った、まさにお姉さんという感じだったが、その強気な性格は美貌の他にただならぬ何かを持っている。そのただならぬ何かに、俺は今怒りのようなものを芽生えさせてきたわけなのだが。

「あっはっは、何してるんだい? そんなところで!」
「あんたが蹴ったんだろうがッ」

あまりの陽気さというか、いやもう正直に言うと——人並み外れた言動に俺は耐え切れず、口から思わずつっこみを吐き出してしまっていた。




潮咲と一緒に、先ほど蹴飛ばされた時に出来た俺の傷も一緒に消毒していた。
場所は公園ではなく、その公園から少しばかり離れた場所にあるこじんまりとした小さな喫茶店の奥で消毒をさせてもらっているが、此処が潮咲の家なのだろうか。喫茶店と、居住する為のスペースが万遍無く奥にはある。どうやら喫茶店を経営しながら此処で暮らしているみたいだった。

「あっはっは、早く言えば良かったのにー」
「言う前に蹴ったんじゃないのかよ……」

楓さんがバシバシと、馴れ馴れしく人の肩を手のひらで叩いてくるのを、小声で呟き返した。
俺の隣で潮咲が少し涙目になりながらも、懸命に消毒を試みていた。その姿を見かねたのか、楓さんが潮咲の手にあった消毒用の液がついたガーゼを取り上げると、

「少ーし、我慢してね、桜」
「うっ……!」

楓さんはゆっくりと、柔らかくガーゼを傷痕に当てた。トントン、と優しく二回ほどなぞると、慣れた手つきで後処置を行う。潮咲は最初の方、痛みで表情を強張らせていたが、処置が終わるとその表情も消えていた。

「……これでよしっ、とー」
「ふ、ふぅ……」

安堵したようなため息を潮咲は吐くと、深呼吸をしてから俺の方へと顔を向けてきた。

「暮凪君も、楓さんにやってもらいますか? 痛みなんて、あっち向いてホイ! ですよー」
「いや、いい……。ていうか、あっち向いてホイは何か色々違うような気がするぞ」

そんなことを言いながら、適当に俺は処置を終わらす。それを横目で見ていた楓さんが突然「あぁ、ダメダメ!」とか言い始め、潮咲同様に俺の手にあったガーゼが取られた。……なんという速度でガーゼを取りやがるんだ、この人。

「はい、男の子だから我慢ねー」
「うぉっ!」

突然、傷口を押さえつけられたかと思うと、激痛が全身を走っていった。洒落にならんぐらいの痛さだと思ったが、それも束の間、すぐに楽になっていく。ただ、ヒリヒリするこの感触だけは拭えないけどな。

「ふふふ、少年もお姉さんの消毒術に魅了されたかね!」
「いや……どこか、仕事か何かで慣れていたのかなーとか思ってたぐらいで……」
「お、よく分かったねー? 看護師とかやっちゃってたりしてたんだよ」

自信満々に、ナイスバディを反らして胸を張る楓さん。どこに目をやればいいというのか……。
そんなこんなで、苦戦している時、潮咲が助け舟を出してくれた。

「あ、紹介が遅れましたけど、紹介しますね! えっと、こちらが私のお母さんです」
「え? お母さん?」

潮咲が言った言葉に対して、耳を疑ったその瞬間、楓さんが立ち上がり、軽くウインクを飛ばしたと思ったら、

「はい、桜の母親でーす! ってなわけで、聞きたいんだけど」

言い放ったと思いきや、突然俺へと向けて指を差し、再び口を開いてこう言い放った。


「少年は、桜の彼氏?」