複雑・ファジー小説

Re: キーセンテンス 参照100突破 ( No.6 )
日時: 2011/07/20 22:33
名前: 遮犬 ◆ZdfFLHq5Yk (ID: hF19FRKd)

学校の屋上から見える例の桜の木の咲く丘へと向かった。
自転車で行けば、何ら苦になるような距離でもない。とはいっても、道中最中ペダルを漕ぐのが段々と重くなっていく感じが何ともいえず、嫌な汗が額から流れ落ちていくのを感じながら自転車を漕いで来た。

「何ー? もうバテたの? だらしないわねー」

バテたのではなく、これは例の嫌な汗のせいでバテているように見えているだけなのだが、涙がそのことに気付くはずもない。俺がこの場所へとあまり行きたくないことさえも知らないのだから。

「あんま運動してねぇからな」

俺は適当なことを言って誤魔化した。正直、嫌な予感しかしないが、あの少女に会えるということがこんなにも息苦しいことなのかと自分でも驚いた。
朝には必ず行くこの場所だが、こういった放課後の時間である午後の時間帯に行くのが嫌だった。

隣で憎たらしくも涼しい顔をしている五十嵐といつの間にか居たような気がする雪ノ木と北條と並んで巨大な桜の木を見上げていた。

「んーいつもながらよく咲いてるねー」
「ほ、本当だね……わ、私帰る方向逆だから屋上でしか見られなかったけど……き、綺麗だね〜……」

北條は腕を組んでうんうんと頷きながら言うが、雪ノ木はオドオドしながらも惚れているように顔が少し赤くなりつつもポーッと桜の木を見上げていた。

「ほらほらっ! 4人共っ! 早く来なさいっ!」

一人、元気いっぱいの涙は既に丘の中間地点辺りまで登っていた。
この丘は結構斜面に作られており、距離も少しある。しかし、丘下からでも十分に見ることの出来る桜の木は綺麗という言葉だけで表しきれないほどだ。
一番上に行くだけでも少しの肉体労働になるというのに……もしかしたら、自転車でここまで漕いで来たことよりもこっちの方が労働かもしれない。
よく自分でも毎朝ここを登っているもんだと感心してしまうほどだった。

「はぁ……行くか」

俺たちは何をするわけでもなく、たった一人のいるかどうかさえも分からない少女に会うためにこの丘を登るわけだ。
これでいなかったとしたら……時間は返してくれるのだろうか。
一歩ずつ、着実に上り始めた涙除く俺たちは、登るごとに息の乱れも少し増えてくる。特に雪ノ木が、だ。

「大丈夫か? 雪ノ木」
「だ、だだだ大丈夫、ですっ! 心配かけてごめ——!」

ふっ、と雪ノ木の体がふらついたと思った瞬間、雪ノ木は倒れこんでいた。俺は急いで雪ノ木の体を起こし、言葉を投げかける。

「おいっ! 大丈夫かっ!? 雪ノ木ッ!」

俺の言葉が届いたのか、雪ノ木はゆっくりと閉じていた瞳を開けて「だ、大丈夫です……すみません……」と、呟いた途端、いきなり立ち上がった。

「わ、わぁっ!! 暮凪君……ッ!」
「え? 俺なんかしたか?」
「い、いいいいえっ! な、何もしてないでちゅ! ……何も、してないですぅ……」

最後の方は噛んだこともあってか、元気無さげに俯き加減のままそう言った。その様子に何故だか北條はニヤニヤして俺たち二人を見ていた。

「……何だよ、北條」
「べっつにー? ふふ、青春かぁ〜」
「はぁ?」

北條は意味深な言葉を呟いたと同時に再び前へと歩き出した。
事が過ぎ去り次第、五十嵐も北條に続いて行こうとする手前、五十嵐は俺たちの方へと振り返って言った。

「暮凪。雪ノ木のサポートは頼んだぞ」
「サポートって何だ。……分かったっての。早く行け、無表情メガネ野郎」

俺の言葉にフッ、と鼻で笑って五十嵐は再び歩み始めた。嫌味な野郎だな、あいつも。俺はそう心の中で思いながら雪ノ木の方へと振り返った。

「なぁ」
「ひっ! ……は、はい、なんでしょう?」
「そんな怯えたような声出さなくても……」
「い、いえっ! す、すみません……」

すぐにシュンとなる雪ノ木の姿がやけに面白く、すぐに笑い飛ばしてしまえて気前がよかった。

「俺が後ろで歩くから、雪ノ木はしっかりと登れ」
「く、暮凪君は、後ろで歩くんですか?」
「あ、あぁ……ダメなのか?」

俺が後ろでサポートすることに何故だか雪ノ木は不服なようで、キョトンとした顔で俺を見つめて言ったかと思えば、すぐに寂しそうな表情になり、呟いた。

「……隣で、歩いて欲しいのに……」
「え? 何か言ったか?」
「へっ!? 私、何か今言いましたっ!?」

驚いた表情で俺を見つめる。何度も瞬きを繰り返す動作が可愛らしく、少し噴出しそうになった。

「いや……俺が知りてぇよ」
「あ、そうですよね……すみません」

雪ノ木は再びシュンとした顔に戻る。何を呟いたのか、俺は気になるところなのだが。

「おーいっ! 二人共早く〜!」

あの乱暴女こと涙が丘の上から手を振り、俺たちを呼んでいた。

「はぁ……んじゃ、行くか。雪ノ木」
「は、はいっ! そ、そうですね」

何ともぎこちない感じで雪ノ木は再び歩み始めて行った。




俺と雪ノ木が丘を上りきると、早速例の転校生を探すという捜索作業に入ったが——

「ん〜……どこにもいないなぁ〜……」

結果、予想通りに誰もいなかった。変な胸騒ぎがしたような気がしたんだが、それは気のせいだったみたいだ。
もう夕焼けが落ちかけているような時刻で、桜の木も色栄えが無くなりつつある。
かれこれ何分、何十分と探したのかも忘れていた頃だった。

「これだけ探してもいないんだ。いくら丘が多少広くてもこれだけ探していないなら諦めろよ」
「ん〜……アポ無しって、やっぱり難しいもんなのよねぇ……」

いやいや、これにアポ取らなくても別にいいだろう。というツッコミが瞬く間に出てきたが、これは抑えておくべきだろう。

「んーじゃあ解散しよっか?」

涙のそんな気まぐれーな一言で本日はこれにて解散となった。これ、本格的に部活とも言えなくなってきたな。まあ、部活じゃないんだけど。
誰もいなくなった丘の上で一人、俺は立ち尽くしながら、いずれかは通報されるかもな、なんて冗談を思い、ふと桜の木を見上げた。
傍で大きく咲いている桜の木は、優雅で、壮大な感じがした。

「願いが叶う、か……」

俺はそんな願いが叶う、なんて言葉に惑わされた人間の一人だ。
願いなんて、祈って叶えられるものじゃない。奇跡なんて、祈っても来ないんだと。
仏や神様なんて言ってるが、俺はそんなのはただの"すがり"だと思っている。現実を逃避したいから、そんな迷信様様なものに頼って日々生きていると思うとチャンチャラおかしく思えてくる。
そんなこんな考えながら、俺はずっと桜の木を見上げていた。——そんな時だった。

「あれ? 今日、朝で会い……ましたよね?」

ふと、思い出させるような少女の声が俺の耳に届いた。俺はすぐさまその声のする方へと振り向いた。
夕焼けが、その声を出した人物の辺りを照らしていた。

「お前……!」
「あ、やっぱりそうでしたっ! 桜の全部大好きな人でしたっ!」

面白い覚え方されてるな。俺はつい、その少女を見て固まってしまっていたが、フッと鼻で笑ってしまえれた。

「楽しそうだな」
「また会いたいなって思ってましたからっ」

嬉しそうに笑顔を作る少女の姿が——あの子と被ったような気がした。

「そうか。俺も、実はまた会いたいなと思っていたところだ」
「本当ですかっ!?」

少女は俺の言葉を聞くなり、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべて喜んでいた。無邪気で、何も悪いことは考えてませんっていう感じ。
だが、それは嘘ではなかった。本当にまた会いたいと思っていたのだから、嘘ではないはずだ。

「あのさ、お前は俺の入学している学校に転入してくるのか?」
「貴方の入学している、学校?」
「あぁ。あの学校だよ。ほら、見えるだろ?」

学校の屋上から此処が見えるということは丘からでも見えるということ。なので俺はそこから見える自身の通っている学校へと指を差した。こうして見てみるとなかなかして小さい感じがしないでもなかった。

「あぁ、はいっ。来週から転入します」
「それじゃあ、やっぱり本当か……」
「はい? 何がですか?」
「いや、なんでもねぇ。こっちの話だ」

この少女が転入生だという噂は本当だったようだ。ということは、前からこの少女は目撃されてるということであって……此処に頻繁に来ていた? なのに俺と会ったのは今日だけだったというのはどうも辻褄が合わない気がした。

「私、貴方を前から知っていましたよ?」
「え?」

いきなりの少女からの発言に、俺は少し戸惑った。ゆっくりと俺に歩み寄りながら少女は言葉を続けた。

「毎朝、同じ時間帯に貴方は此処に来てました。私もこの桜の木が好きで此処には前から来てたんですけど、貴方はもっと前から来ていたみたいで……よっぽど桜が好きなんだなぁって思ったんですっ」

なるほど。だから俺と会った時に桜が好きかどうか聞いたのか。
話しながら、気付くと俺の目の前まで近づいてきていた。夕日の光が丁度少女のバックになって眩しく、何だか神々しい感じがした。

「私も、桜は好きですからっ」

嬉しそうに微笑む笑顔に、ますます何か惹き付けられる感じがした。何だろうか、この少女の笑顔は。
どこかで見た感じがして、どこかで俺はこの笑顔に助けられた気がする。でも、思い出せそうで思い出せないもどかしい感じ。

「願いの叶う、なんてロマンチックですよねっ。私、そういうのも好きなんです」

と、桜の木を見上げながら言った。
そこで俺はふと気がつく。この少女に伝えなければならないことを。

「あのな。願いの叶うなんて……」
「はい?」

俺は真剣に顔を変えて、願いの叶うなんて、と言葉を漏らした。
しかし、それから後がいくら考えても出て来ない。いや、出したくないのだろうか?

「願いの叶うなんて……なんですか?」
「いや……願いの叶う、なんてのはな……」

伝えたい。伝えなければ、この子もまた俺と同じように夢見てしまうかもしれない気がした。けど——

「……確かに、ロマンチックだな」
「ですよねっ? えへへ、気が合うんですかね?」

結局、出てこなかった。もっと彼女にとって、残酷な言葉を放つつもりだったのに。

「お前……名前は?」
「私、ですか?
「あぁ。他に誰がいるんだよ」

少女は周りを見渡してから「本当ですねっ」と、少し照れ気味に言った後に俺の顔を見つめて微笑むと、口を開いた。

「私の名前は、潮咲 桜(しおさき さくら)ですっ」
「潮咲……桜?」
「はいっ。覚えててくださいね?」

少女、潮咲は明るくそう言った。
名前に思い当たりなどない。初めて会う感じに何故か違和感が後からついてくる。そんな思いがどことなく残されていた。
名前が桜だから桜の木が好きなのだろうか。単純だな、なんてことを思いながらも俺は桜の木と桜から目を背けて歩みだした。

「あの、どこに行くんですか?」

桜が不安そうな声で俺に声をかけてきたが、俺の歩みは止まることなく、右手を上にあげてヒラヒラと左右に振りながら言い残した。

「またな」

その一言で十分だと思った。
すると、後ろの方から元気のいい、明るい声で、聞こえてきたんだ。

「貴方の名前はっ!?」

そういえば言うのを忘れていたな。俺は後ろ振り返り、どこか不安そうな顔を浮かべる桜に向けて言った。

「暮凪 司」
「暮凪、司……ですかっ! 素敵な名前ですねっ!」

俺は桜の言葉もロクに聞かないまま、再び帰る方向へと足取りを進めて行った。

「また、必ずお会いしましょうねっ! 暮凪さんっ!」

そんな言葉が、俺の背中に届いていたことを逸らしながら、俺は願いの叶う桜の木という過去から——必死で逃げていた。


——END