複雑・ファジー小説

Re: たか☆たか★パニック 〜ひと塾の経験〜 ( No.136 )
日時: 2012/05/06 12:24
名前: ゆかむらさき (ID: dKbIszRw)

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「——と、すみません! 遅くなりました! 中の方で少々取りこんでおりまして…… すぐに送ります!  保護者の方には連絡してありますので、安心してください」
 蒲池先生は息を切らしながら、あたしたちに申し訳なさそうに頭を下げてバスに乗り、エンジンをかけた。
「では、出発しますね」
 いつもより30分程遅れてバスが動き出した。


 焦ってはいるようだけど、きちんとスピード制限を守って、安全な運転であたし達を家まで送り届けようとしてくれている。 蒲池先生は大変だ。 塾の先生だけではなく、わざわざあたしと松浦くんたった二人だけの為に、バスの運転手もしているのだから————
(今度、お礼に何かあげたいな……)
「————ねぇ、松浦くん……」
 あたしは隣に座っている彼の腕に、軽く指をつついて聞いてみた。


「は? 蒲池の喜びそうなもの?  そりゃ……髪の毛じゃねぇの?」
 やっぱり松浦くんなんかに聞くんじゃなかった……。 このひとは“人への感謝の気持ち”というものがないのか、ふざけた答えが返ってきた。
(もういい。 あたしひとりで考える……)
 あたしは、ほっぺたを膨らませて窓の外を見た。
「おい、なみこ。 そんな事より今度の模試……もうすぐだけど大丈夫なのか?  おまえの母さんから聞ーたけど、英語が相当苦手らしーな……」
 そのまま松浦くんはわざと声のボリュームを上げて先生に聞こえる様に話した。
「塾に入って初めての試験で、いー結果が出せたら……それが一番蒲池喜ぶと思うぜ! おまえの母さんもな。 ————カタチのあるものだけが“プレゼント”とは限らねぇよ」
 カバンの中から出したチューイングガムを口の中に入れながら話す松浦くんの言葉が、あたしのほっぺたの空気を抜いていく。 松浦くんのそばにいると、今までは冷気だけしか伝わってこなかったけれど、今は不思議と……かすかにだけれども温かさを感じる。 ただ単に先生がかけてくれた暖房が効いてきただけなのかもしれないけれど————


 窓の外に向けていた視線を松浦くんのムースで固くセットされたツンツンヘアに変え、ボーっと眺めていたら、信号が赤になり、バスが止まった。
 運転席の蒲池先生がシートから顔を出して、にっこりとあたしに微笑みかけてきた。
 隣で松浦くんが少し恥ずかしそうに顔をそむけ、「暑っちー」と言って手の平で顔をあおいでいる。
「……そうだね」
     ——とは言ったものの、よく考えてみたらあたしは勉強の仕方すら分からない。
                 (ちなみに前回の英語の模試の点数は100点満点中12点……とヒサンな結果だったし)


「……俺が教えてやっても、 いいぜ。」


「え?」
(い、今、このひと…… 何て、いったの?)
 向こうを向いたままではっきりとは聞こえなかったけれど、松浦くんが突然信じられない事を言い出した。
 聞き間違えたかと思い、あたしはもう一度聞き返した。
「ねぇ、あたしバカだよ?  こんなあたしなんかに…… 本当に教えてくれるの?」


 信号が青になり、再びバスが動き出した。
「——プッ。 そんなこと、ずっと前から分かってるって。
                 英語なんて、俺にかかれば一日漬けで6、70点アップは あたりまえ。」
                                                   (6、70点アップ……)
「仕方ねぇな、蒲池と母さんだけじゃなく、おまえもついでだ。  ……喜ばせてやる」
 チューイングガムを風船にして膨らませながらだけど、彼はあたしに優しい言葉をくれた。


 急カーブに差し掛かり、バスが少し傾いた。 あたしの心も一緒に……
 松浦くんの腕があたしの肩にそっと触れ、心臓の音が再びさっきの様に騒ぎだす————。
 今日松浦くんに強引にされた二回のキスを、今の言葉で許してあげることにした。 正直、高樹くんには悪いけれど、軽いキスだけならば、もう一回されてもいいかな?って……思ってしまうくらいに嬉しかった。


「……どうするんだ? ところでおまえは今度の日曜日……空いてンのか?」
 松浦くんはガムを噛みながらカバンの中からスケジュール帳を出し、あたしの顔をジッとみて言った。
(えっ……?  に、日曜日!?)
 だって日曜日は……高樹くんとデートの約束の日……。
 普段は塾以外のスケジュールなんてものはなく、スケジュール帳を持ち歩かないくらいのあたしなのに……
 よりにもよって、今度の日曜日に二つの(しかも男の子との)約束が重なってしまうことになるなんて……思ってもみなかった。
「えっと……  にっ、日曜日しか……ダメ?」
 あたしは手の平を擦り合わせながら、松浦くんをチラリと見た。


「——ダメだ。」


 彼はスケジュール帳を閉じて、カバンにしまった。
「じゃ、この話はなかったことに」
                  (どうして……?)


「悪ィな。 俺だっていろいろと用事があンだよ。 日曜日しか受けつけない。
                                                  ……残念だったな」