複雑・ファジー小説

塾になんかに行きたくない! ( No.2 )
日時: 2012/10/07 23:02
名前: ゆかむらさき (ID: ZD9/Y1q1)

2>

 通り過ぎたあたしの後ろ姿を見ながら、彼女たちは再び甲高く、ヘタすると5軒くらい先の家までにも響き渡る程の大きな声で話し出した。
 どうせ隣同士の家に住む主婦の会話なんだし、スーパーの特売の話とか、お昼にテレビで見たワイドショーの話がネタだと思うんだけど————


「いいわよねぇ、女の子は。可愛くって羨ましいわ」
「あらまあ、松浦さんったら何言ってんのよ。おたくの鷹史くんハンサムだし、頭もいいじゃない。ほーんとにもう、あの子ときたら勉強はしないし、かといって家の手伝いも全然しなくって————」


 まさかあたしの話をしているとは。しかも余計な事ベラベラ言っちゃって……。
(聞こえちゃってるよ“お母さん”……)
 5軒どころじゃない。おそらく7、8軒先まであたしの“ぐうたらネタ話”が届いているのかも……。
 あたしは歩くペースを競歩大会の選手の様なペースに上げ、逃げ出した。
(もういや……。もう少し声のボリューム落としてよ……)
 家の玄関の前に着いたというのに、まだ彼女達の会話が聞こえている。もしかしたら、あたしの家の家庭内事情は町内中に知れ渡っているのかもしれない。


「……はぁ。一応申し込んでみたはいいけど、“あそこ”に行けば少しは変われるかしら、あの子……。
 ————あんな子だけど今日からよろしく、って鷹史くんに伝えといてくださいね、松浦さん」

塾になんかに行きたくない! ( No.3 )
日時: 2012/10/07 23:02
名前: ゆかむらさき (ID: ZD9/Y1q1)

3>

『あそこに行けば……』
『今日からよろしく……』————って?


(お母さん達、何話してたんだろう……)
「ま、いっか」
 玄関のドアを閉めて、あたしはいつもの様に家に入って直行で台所に入った。コレは帰宅後のあたしのお決まり行動ルート。そこで、食卓の上に置いてあるかごの中のポテトチップスと冷蔵庫の中でひんやり冷えているペットボトルのオレンジジュースを手に取った。
 昨夜、宿題に飽きて、息抜きのつもりで“ちょっとだけ”読んだつもりが気が付いてみたら半分以上読んでしまっていたマンガの続きをせっかくだから(続きが気になるし)読んでしまおうと思い、そのまま2階に上がろうと玄関を横切った。
 ちょうどその時に玄関のドアを開けてお母さんが帰ってきて、開口一番あたしにとんでもない事を言ってきた。


「あら、なみこ。今日からお隣の松浦さんとこの鷹史くんが通ってる塾に、あんたも行く事になったから」


「え!」
 靴箱の上に脱ぎ捨ててあったエプロンを身に着けながら淡々とした顔でお母さんが言った言葉にビックリしたあたしは、ゴローンとジュースを落とした。
(しかも今日からっ、て……)
 だって、突然すぎるでしょ……。
「ホラ! もうとっくに申し込んであるんだから行かなきゃダメよ。ボサッとしてないで早く用意しなさい。6:30に迎えのバスが来るわよ!」
(だっ! そんな事、今急に言われたって————!!)
 お母さんは自分の言いたい事だけ一方的に言うだけ言って、
「分かったわね!」
 強い口調に加え、力を込めた手の平であたしの背中をベシッ!っと叩き押して台所へ向かった。
(痛ったぁ……っ)
 あたしはもうガマンできなくなって、
「ひどい! お母さん! あたしに何も聞かないで勝手に決めちゃうなんて!!」
 ハアハア言いながら怒り散らかした。
 すると台所からUターンして戻ってきたお母さんは、あたしの右手からポテトチップスの袋を取り上げ、もっとこわい顔……そう、まさにあたしの読んでいる漫画雑誌“シュシュ”で大人気連載中のギャグ漫画“ゆめみるこちゃん”に登場する主人公の女の子のお母さん、事あるごとに稲光を背負って怒る彼女の様な顔をして、
「そんなの聞いたって、どうせあんたの事だから“いやだ”って言うに決まってるでしょ!! 学校から帰ってきては、いっつも部屋でゴロゴロしてばっかりいて……。あんたの将来を心配してお母さんはねえ————!!」
 お母さんもハアハア言って怒っている。
 母と娘のこの情けないバトル。軍配はどちらにあがるのか————
 あたしは両手をギュッと握り締め、歯ぎしりをしながら彼女を睨みつけた(つもりだった)けれど、言われた言葉が“釘”のようになって何本も体に突き刺さり、頭の上から白旗が飛び上がったこんな負け惜しみ丸出しの顔でなんかで対抗したって敵うわけがない。


「わかったよ。……いくよ、いきます」
 声の大きさ、体の大きさ……それ以前にこうなった原因は自分の要領の悪さ。お母さんの迫力に負け潰されたあたしは、仕方なく松浦くんの通ってる塾に行く事にした。……そうするしかなかった。
 『行く』と答えた途端、お母さんはコロッと態度を変え、
「あら、そ。良かったワぁ。鷹史くん頭はいいし優しくていい子だから安心だわァ。仲良くね」
 と言い、消え去った。

塾になんかに行きたくない! ( No.4 )
日時: 2012/10/07 23:03
名前: ゆかむらさき (ID: ZD9/Y1q1)

4>

 それにしても“優しくて、いい子”、って————
 あたしはお母さんの言った言葉に全く納得いかず、ブツブツ一人ごとで文句を言いながら自分の部屋がある2階へ上がった。


 『毎日通う、ってわけじゃないんだから、そんなに構えなくても大丈夫よう! ちょっとばかし遠いけれど、いい評判の塾らしいわよ』


 塾、って聞いたら構えるに決まってるでしょ……。だって! 塾っていう響きから“猛勉強”を連想するんだから。何を言ってるんだ、このお母さんは……。
 いくら週に2回だけだからって、せっかく学校帰ってきてからもまた勉強しに行かなくちゃイケナイだなんて……。
(————やってらんないよぉ、もおっ!)
 さっきお母さんに反論できなかった悔しさを120%込めてベッドの上に向かって脱いだ制服を投げ捨てて薄ピンク色のタンクトップとパンティ姿になった。
 そういえば“裸になると開放的な気分になれる”ってテレビかなんかで聞いた事がある。
 コレは……うん、言われてみれば確かに気持ちがいい、かも。
 このイライラした気持ちを少しだけでも落ち着かせようと、ついでに「うー……ん」と伸びをした。


「ぎゃ!」
 最悪……。窓越しに松浦くんと目が合ってしまった。
 実は、隣の家に住んでいる松浦くんの部屋のベランダにある大きな窓とあたしの部屋のベランダにある大きな窓が向かい合わせになっていて、着替える時にきちんとカーテンをしないと、お互い丸見え状態……という厄介な家の作りになっている。


 ————解放しすぎた!!


 あたしは慌てて隠そうとした。上か下か、どっちを隠したらいいのか分からなくって戸惑っていたら、向こうから“あっかんべー”をされ、シャッ、とカーテンを閉められた。
 よりにもよって、あんな嫌な人と一緒に嫌な塾に……。
 結局イライラはさらに募る一方。あたしはさっきお母さんに言われた『仲良くネ』の言葉を思い出した。さらに『優しくていい子だから』の言葉まで思い出してしまった。


 どこが……。松浦くんは外ヅラがいいだけで、本当の性格はめっちゃいじわるなんだよ————

塾になんかに行きたくない! ( No.5 )
日時: 2012/10/07 23:04
名前: ゆかむらさき (ID: ZD9/Y1q1)

5>

 いつもなら夕ご飯の時間になるまでベッドの上でゴロゴロとくつろいでいられた身分だったのに、
「初日がカンジンよ!」
 と、あたしの部屋にノックもしないでズカズカと入ってきたお母さんに、読んでいた途中の漫画を強引に本棚の中に片付けられ、ベッドから引きずり下ろされた。
 まだ心の準備が整っていない、ってダダをこねても、やっぱり通用しなかった。


「へりくつばっかり言ってんじゃないの!」


 バスが来る10分も前なのに、こんな寒空の下の玄関の外に追い出され、ドアを閉められた。
「……へりくつだって。だっせ」
 あげくの果てに、あたしの家の前の道路でサッカーボールを蹴って遊んでいる近所の小学生の男の子に思いっ切りバカにされた。
(恥ずかしい……。もうやだ……)
 余計に塾に行く気が失せたあたしは、歯ぎしりをしながら足元に転がっていた小石を力を込めて踏ん付けた。


 6:30になり、バス(……って言っていいのかワゴン?)が来た。バスが来たと同時に、松浦くんも相変わらず無愛想な顔で家から出てきた。一応これから(しばらく?)お世話になる身なのだし、何か一言、挨拶みたいな事を言っておいた方がいいのかな……と思って、『今日から、よろしくね』と言おうとしたら、後ろから彼に背中を押され、「さっさと乗れ」と急かされた。


 モタモタしてるとまた松浦くんに何か言われそう……。 
 パッと乗り込んでバスの中を軽く見渡してみた。どうやら10人くらい乗れる程の小さなバス。あたしと松浦くん以外の生徒はまだ乗っていない。多分これから塾に向かうまでに何人か乗せていくのかもしれない。 
 そういえばさっきお母さんが『塾までは遠い』だとか何とか言っていた。到着するまで一体何分くらいかかるのか分からないけれど、遠い塾までバスの中で松浦くんだけを相手に過ごすのはとても気まずい。とにかく1人だけ、男の子でも女の子でも誰でもいいから生徒を乗せていって欲しい、と願いながら運転手さんに頭を下げた。
「お……おねがいします……」
 運転手さんはあたしの顔を見て優しい笑顔でニッコリと微笑んでくれた。


(しょうがない……。頑張る、しかないもんね……)


 とりあえず今日第一にわたしに優しく接してくれた、この運転手さんの真後ろの席に座った。
 ひんやりとした、まるであたしの今の心境と同じような座席の硬いシートがお尻と一緒に背中を包み込む。
(それにしても松浦くん……どうして頭いいのに塾になんかに通ってるんだろう)
 あたしの後からバスに乗り込んできた松浦くんをチラッと見た。
「!」
(えッ!! なんで!?)
 何故か彼は他にもいっぱい席が空いているのに、わざわざあたしの隣にドカッと座ってきた。
 実はさっきモロに下着姿を見られているからめちゃくちゃ気まずかったりする。 
 まるで時代劇に登場する悪代官の様に隣のシートでのけ反り返って長い足を組んでいる松浦くん。何も言葉を発してこないところが余計に気まずい。
(あ、あっちに座ればいいのに……)
 彼から逸らした視線をガラガラに空いている周りの席を指すように見渡している時、ハッと気付いた。
(いやがらせか————!)
 次第にムカついてきた。

塾になんかに行きたくない! ( No.6 )
日時: 2012/10/07 23:05
名前: ゆかむらさき (ID: ZD9/Y1q1)

6>

 バスが動き出した。バスのスピードが上がると共に、あたしの鼓動のスピードも上がっていく————
(何か……話した方がいいのかなぁ)
 しかし、こんな人に何を話したらいいのか分からないし、タイミングも掴めない。
 すると隣に座っている松浦くんは、あたしの目も見ずに自分の前髪を指先で触りながらボソボソと話し出した。
「ああ、言っとくけどこの塾、原黒中(あたしと松浦くんの通ってる学校)俺とおまえしかいないから。ちなみに、このバスに乗る生徒も2人だけだ」
 そう言って、やっとあたしの方を見たかと思ったら、
「————ってゆーか、おまえ友達いねぇから関係ねーよなァ、ハハ」
 と、小バカにした目をして笑い出した。
「——っ!」
 本当の事だから言い返す事ができなくて、あたしはくちびるを噛んで我慢した。
 悔しいけれど……こんな事はよくある事。彼に会う度毎日の様に言われている事だけど、よりにもよって初日からこんな目に遭うとは……。ただでさえ塾に通う事になっただけで憂鬱なのに————


 あたしはムシャクシャしながら運転手のびみょうにハゲた後頭部を見ていた。

いざ!出陣! ( No.7 )
日時: 2012/10/12 22:12
名前: ゆかむらさき (ID: ZD9/Y1q1)

7>

     ☆     ★     ☆


「はい、着きました。では松浦くん、武藤さんの事お願いしますね」
「……分かりました」
 そう返した松浦くんの顔には明らかに『めんどくせぇなぁ……』と書いてあった。
 30分もかけて、やっと到着した塾。
 “真剣ゼミナール”と縦書きに書かれた小さな緑色の看板が塾の入り口の横にひっそりと立て掛けてあるコンクリート打ちっ放しの質素な3階建てのビルだ。
「あっ……ありがとうござい、ました」
 あたしは運転手さんに深く頭を下げて、バスを降りた。
 松浦くんは彼に軽く会釈をして降りてから、あたしをジロッと睨み、舌打ちをした。
(松浦くんが塾になんか通ってなかったら、こんな目に遭わなくて済んだかもしれなかったのに……)
 ————舌打ちしたいのはこっちの方だ。


「————ふぅ」
 疲れた……。 
 塾の中に入る前から松浦くんのせいで、かなりの精神的ダメージを負った。


 お母さんの言っていた通り、長い……とても長く感じた道のりだった。
 ただし、これだけは……“松浦くんが一緒だから安心”は大間違いだ。だって、想像を超える程、心地が悪かったから。


(ここまで遠くに来ちゃったら、全く学区違うなぁ……)
 塾の入り口の脇にある自転車置き場が騒がしい。 
 どうやらここに通うあたしと松浦くん以外の生徒達の殆どは、自転車で来ている様だ。 自転車で通う人が多過ぎて、自転車置き場の中に収まらなかった自転車は駐車場のスペースを利用して停めている。バス1台……あとは先生達の車が3、4台しかないわりにはとても広い駐車場。そして狭過ぎる自転車置き場。
(へんなの……)
 思わず塾の3階辺りをふっと見上げた時、気が付いた。
(え? パブ? ……ヤード? な、なんだコレ?)
 目を凝らして見てみると、壁に1部(2部?)消えかけたピンク色で書かれた文字が残っている。それこそ塾にはとても似合わない、赤いハイヒールとキスマークのデザインが添えられて。どうやらこの塾は、塾になる前にオトナの通う怪しげなお店? だった様だ。これで駐車場がやけに広い意味がやっと分かった。でも————
(やっぱり、へんなの……)
 あたしは余計にそう思った。


 バカにして笑っただけで、この塾に通う事が今日初めてのあたしの案内をしてくれる気配りなんて、これっぽっちもない松浦くん。案の定、彼はサッサと一人で歩いて塾の中に入って行ってしまった。
(こんな人と毎回バスで行き帰り合計1時間も一緒だなんて……)
 あたしは、これまで腹の底に溜まり続けた彼へのいかりを絞り出す様にため息をついた。

いざ! 出陣! ( No.8 )
日時: 2012/10/08 09:15
名前: ゆかむらさき (ID: ZD9/Y1q1)

8>

 自動ドアをおそるおそる抜け、あたしは塾の中に入った。
 しかし入ったはいいものの、自分の教室がどこなのか分からない。
 自動ドアから続々と塾の生徒が入ってきて、あたしを通り過ぎていく。“みんな学校が違うから”、ということもあって、なかなか思い切って声を掛けることができない。
(えっと、だれか……女の子で……親切そうで……ひとりのひと————)
 目だけをキョロキョロとさせながら通り過ぎていく人たちの中から選んでいた。まるでクローゼットの中から自分に合った“地味な服”を一着ずつ手に取って探しているかの様に————


「ねぇ、君」
 たぶん男の子の声だ! 突然、後ろから声を掛けられビックリしたあたしは、反射的に振り返りもしないで逃げてしまった。男の子だけは勘弁して欲し————
 ……だなんて文句なんて言ってる場合じゃないのに。せっかく教室の場所を聞けるチャンスだったのに、結局あっさりと逃してしまったあたし。
 しかし幸運な事に、廊下を走って逃げた所に偶然にも職員室を見付けることができた。できた……とはいえ、いくら職員室だって入るのはもちろん緊張……なのだけれども、こんな所でずっと一人で立ち止まっていたって何も始まらない。うかうかしてる間に講習が始まる時間がきてしまう。あたしは思い切ってドアを開け中に入り、たまたま近くにいた先生に背後から尋ねた。


「あのっ! 今日からこの塾に入った二年生の武藤なみこっ、でっす!
 えっと、その……あたし……教室が分かりません、くて……」


 あたしのヘンな日本語に振り向き、笑いを堪えながら対応する先生。そして恥ずかしさを堪えるあたし。いけない……ちゃんと聞いておかないと……。
「しつれいしました……」
 ホント失礼極まりない態度だ。これじゃあ第一印象最悪だよ……。
 ため息をつきながらドアを閉めたあたしは先生の教えてもらった通りに廊下を渡り、階段を昇った。
 あたしたち2年生クラスと1年生クラスの教室は2階になっていて、AクラスとBクラスの2クラスに分かれている。 
 あたしはBクラスになった。 
 聞いたところによると松浦くんはAクラスらしく、彼と違うクラスになれたことは幸いといえば幸いなのだが、知らない人達ばっかりの中にいきなり飛び込むのには、かなりの勇気が要る。
 教室のドアを開けると、学校の教室よりも少し狭く感じるくらいの部屋の中に20人くらいの人達がいた。多分学校が同じ子同士なのだろう。何グループかに分かれた“仲良しグループ”が、机の周りや壁にもたれて楽しそうにおしゃべりをしている。中には静かに一人で本を読んでいる子もいるけれど、バッチリと“わたしに話し掛けないでくださいオーラ”を出している。
 手の平に指でなぞった“人”という字を何回も口に入れながらドアの前で立ち止まっていたら、さっきあたし達が乗ってきたバスを運転していた、びみょうにハゲの先生が入ってきた。
 彼があたしの肩にそっと手を置き、
「始めるぞー」
 講習がいきなり始まり出した。
 あたしは慌ててぐるりと教室の中を見回して、たまたま目に入った空いた席に着いた。


 講習が始まると、さっきまで賑やかだったはずの教室の中がまるで空気が変わったように静かになった。 
 居眠りなんかしたら絶対バレるなぁ……。
 ————なんて、みんな真剣な顔をして先生の話を聞いている中、あたしは一人でくだらない事を考えていた。


「はい、テキスト58ページ開いてくださーい」
 講習の大切な時間をムダな時間をとって費やさないためなのか、新入生の紹介はなく授業が進まれていく。
 面倒臭い事をしなくて良かったはずなのに、あたしはドキドキしていた。
 なぜかというと————

いざ! 出陣! ( No.9 )
日時: 2012/10/08 09:17
名前: ゆかむらさき (ID: ZD9/Y1q1)

9>

(となりの席の子、どんな人だろう?)
 適当に空いていた所に座ったはいいけれど、気になってしまう。
 実は、塾第1日目早々いきなり“やってしまった”のだ。 
 人と関わるのが……特に“男の子”が苦手だというあたしのくせに、よりにもよって男の子の隣に座っちゃってしまうという大失態を。
 せめて女の子の隣だったのなら、仲良くなれる確率が少しは高かったかもしれなかったたのに————
「はぁ……」
 学校だけじゃなくて、塾でも“一人ぼっち”決定、かぁ。結局はこうなる運命に導かれるワケなんだ。ホント情けない。何やってんだろ、あたし……。
 壁に掛けてある時計を見るフリをして、隣に座っている男の子をチラリと見た。
 すると偶然なのか、彼の方も左手でペンを回しながらあたしの方を見ていた。
 それが羨ましいほどのサラサラヘア。鼻の周りに“そばかす”を付けた優しそうな、かっこいい……というよりも可愛い顔をした男の子だった。
 服装も、グレー色の大人っぽいシャツの胸のポケットに(МADE IN 外国? っぽい)バッジを付けてオシャレにキメている。
 彼の顔を見た瞬間、あたしはまるで金縛りに掛かってしまったように固まってしまった。
 今まで、これっぽっちも男の子と関わったことがない(……というか関われない)あたしだけど、一応は学校で様々な男の子を見ている。————だけど男の子を見て、いきなりこんな気持ちになったのは初めてだった。


(あっ、あたしは勉強をしにきた!)
 気を取り戻して自分に言い聞かせ、パッとテキストを見た。
 なんだろう……この気持ち————
 足のつま先から熱いものがカーッと昇ってくる。


「61ページ」
 小さな声で呟いた彼は横からスッと手を伸ばしてきて、あたしのテキストをめくった。
 もう彼の指を見ただけでドキドキしてしまう。 
 乱れた気持ちをコントロールしなくっちゃ、と意識をすればするほど余計におかしくなる。


(あたしは、勉強しにきた!!)
 再び、自分に言い聞かせた。

いざ! 出陣! ( No.10 )
日時: 2012/10/08 09:21
名前: ゆかむらさき (ID: ZD9/Y1q1)

10>

     ☆     ★     ☆


 それからおそらく15分くらいは経っているはずなのに、目が合った時から、ずっと隣の席からあたしの体の色んなトコロを撫でてくるような視線を感じる。
 黒板の横で少ない髪の毛を何度もかき上げながら懸命に数学の公式やら何やらを説明をしている先生。彼の話を集中して聞きたいのに、隣に座っている彼からあたしに向かって一直線にふり注ぐ強力な紫外線の様な視線のせいで、全く聞き取る事ができない。


 ————もう集中できない。気になってしょうがない。
 あたしは右手に持ったシャープペンを、開いたテキストの間に置き、呼吸を整えた。
 そして勇気を出して、もう一度隣の席を見た。


「 !! 」
 コレは集中なんかできないはずだ!
 隣の席の“そばかすくん”は、さっきよりも更にこっちに身を乗り出し頬づえをつきながらあたしの顔を見つめている。
 頭の中でせっせと積み上げ続けてきた公式やら何やらが大きな音を立てて崩れ散った。
 ————もう……どうしたらいいのか分からない。


「エへへ……」
 顔まで崩し、戸惑いながらあたしは笑った。
 あんな風に見つめられたらもう……笑って逃げるしかない。
 すると彼は目を細めて優しく微笑み、軽くウインクをしてきた。

いざ! 出陣! ( No.11 )
日時: 2012/10/08 09:25
名前: ゆかむらさき (ID: ZD9/Y1q1)

11>

     ☆     ★     ☆


 ————はっきりいって勉強どころじゃなかった。


 結局、始まりから終わりまで、ただでさえ男の子に対して免疫というモノをこれっぽっちも持っていないあたしが、初めて会った隣の席の男の子にずっと見つめられっぱなし……という息の詰まるような講習がやっと終わった。


 キーンコーン……。
「はい、今日はここまで!」
 終了のベルと共に、静かだった教室がざわめきだした。


(ああ、やっと終わった……)
 学校の違う人たちに囲まれ、男の子に見つめられ……とんでもないカルチャーショックを味わった。とにかくこの場から早く消え去ろうと、あたしは机の上に置いてある文房具とテキストを手提げカバンの中にかき込んで立ち上がった。


「……あっ! ねえ!」
 そばかすくんは、あたしがうっかりしまい忘れたゲロゲロげろっぴの消しゴムを手に取り、呼び止めた。
 あたしの顔は今、絶対に赤くなっているに違いない。こんな顔を彼に見られたくない。
 勘弁してよ……。今日はもうこの人とは関わりたくないのに———— 
 消しゴムなんて別に要らない、って……と思いながらも、
「どうも……」
 彼の手に触れない様に、目を合わさない様に、それを親指と人さし指の先でつまんで受け取った。
 その瞬間、彼はあたしの手首をギュッと握ってきた。そのせいで消しゴムは床に落ち、どこかにコロコロと転がっていってしまった。
(なッ! 何するのッ!)
 思っただけで言葉にできず、あたしは彼の手を振り払った。
 「ふっ」と小さく笑った彼は、あたしの全身をゆっくり見て言った。


「————可愛いね」

夢にオチそう ( No.12 )
日時: 2012/10/08 09:27
名前: ゆかむらさき (ID: ZD9/Y1q1)

12>

「高樹ー、ゲーセン寄ってこーぜー」


 見た感じはあたしと同学年。学校が違うからよく分からないけれど、おそらくAクラスの2人の男の子が教室の入り口のドアから顔を出して大きな声で呼んでいる。彼らの呼ぶ声にそばかすくんが反応した。苗字を呼び捨てにしている彼らは、きっと彼と仲のいい友達なのだろう。
(へぇ。“たかぎ”っていう名前なんだ、この人……)
 さっき、たかぎに握られた手に視線を落とした。
 こんなあたしなんかの顔を見て、“可愛い”だなんて言った人————
(温ったかい手、してたな……)


「ちょっと待ってて」
 たかぎは床に転がっている消しゴムを拾い、あたしの着ているジャンパーのポケットにいきなり手を入れてきた。
(ひゃっ!)
 心臓が悲鳴をあげた。


「高樹純平。よろしく」


 迷彩柄のリュックを肩に掛け笑顔を見せて教室を出て行く彼に、消しゴムを拾ってくれたお礼を言おうと思って呼び止めようと思ったけれど————
(たかぎ……なんだっけ?)
 ————名前が出てこない。
 あたしをまっすぐ熱い眼差しで見てくる彼の顔だけしかどうしても思い出せなくて、ポケットの中の消しゴムをそっと握り締めた。

夢にオチそう ( No.13 )
日時: 2012/10/08 09:29
名前: ゆかむらさき (ID: ZD9/Y1q1)

13>

     ☆     ★     ☆


 消しゴムを筆箱に入れずに、さっきからずっとポケットの中で握り締めたまま帰りのバスに揺られているあたし。 
松浦くんが隣のシートにに座っているはずなのに、行きのバスの張りつめた緊張感は不思議と無い。バスのエンジン音だけが聞こえる静かな空間の中で窓の外のお月さまを眺めながら、あたしはずっとたかぎの事を考えていた。
 あたし達の乗るバスの運転手、兼・数学担当の講師の“蒲池先生”がラジオをつける。
 ノイズ音に負けていない勢いでリスナーに語りかけてくるDJのお兄さん。
 彼の高いテンションが、あたしのテンションを少しだけ上げてくれる————


『全国の恋に奥手な少女達よ! 夢見てばかりじゃ何も始まらないのさ!
 さあ! 僕の手を掴んで! 夢なんてよりも、もっとロマンチックな世界に連れて行ってあげる!』


 僕の手を掴んで、か……。
 実際にそんな事言われてないけれど、たかぎの瞳が何度もあたしに語りかけてきていた様な感じがした。


     ☆     ★     ☆


「なみこちゃん……すきだよ……」
 空一面、茜色に染まる夕暮れ時。周りには誰も居ないムードあふれる静かな公園のベンチで、あたしはたかぎに愛の告白をされた。
「キス……しようか……」
 それは、まるで少女マンガのワンシーンの様なシチュエーション。
 彼独特の、高いけれど少しかすれた声で、あたしの頬に優しく指を添えてきた。
(あたしも、すき……)
 たかぎの気持ちを全部受け止める思いで、ゆっくり目を閉じた。


 ————ビシッ!
 突然、おでこの真ん中に激痛が走った。
(何! 何なのッッ!?)
 目を開けると、さっきまであたしの前にいたはずのたかぎが、いつの間にか松浦くんになっている。
「いい気になってんじゃねーよ、ブスが」
 松浦くんはあたしを上から見下ろし、手の指をポキポキと鳴らしながら、
「もっとブスにしてやろうか」
 白い歯を光らせて笑いながら思いっきり力を込めてデコピンをしてきた。————しかも、しつこく何回も。


「痛い! ダメっ! そんなコトしないで! 松浦くんッ!」


「おいっ! 起きろ、武藤ッ!」
 足を蹴られてあたしは目を覚ました。
 夕方ではなく、夜。公園のベンチではなく、塾のバスの座席。————残念ながら、やっぱりあたしの隣に座っているのは高樹くんではなくて……松浦くんだった。
 目をこすって窓から外を見ると、バスはすでに家の前で止まっている。
 どうやら、あたしはバスの中で居眠りをしてしまっていたようだ。
 でも、どうしてだろう。夢だったはずなのに、おでこがヒリヒリ痛むのは————
 自分のおでこを手でさすりながら、隣に座っている松浦くんを見上げた。
「おまえ……」
 松浦くんが呼吸を乱して、あたしに何か言いたそうな顔をしている。
「どんな夢、見てやがったんだ……」


「……何だっけ?」
 全く覚えてない。あたしはよだれを拭き、頭をモシャモシャと掻きながらバスを降りて、よろよろと家に戻った。

夢にオチそう ( No.14 )
日時: 2012/10/12 22:07
名前: ゆかむらさき (ID: ZD9/Y1q1)

14>

     ☆     ★     ☆


「うわっ!」
 玄関のドアを開けると、仁王立ちでお母さんがあたしを迎えて(待ちかまえて?)待っていた。


「どうだった? 楽しかった?」
(勉強が楽しいわけないじゃん……)
 精神的にとても疲れていたあたしは、今はもう誰とも何も話したくない気持ちだった。「どうだった? ねえ!」と、しつこく聞いてくる彼女をうまくかわし、ふくれっ面で台所に入った。
(このお母さんのせいであたしは……)
 自分の学力の無さを棚に上げて、冷蔵庫から出したガラスポットに入った麦茶をコップにたっぷり注いでガバッと飲んだ。————しかしスッキリしたのは、ほんの一瞬だけ。
 そこに、まだ懲りずにしつこくあたしの後をつけて台所に入ってきたお母さんの、とどめの一撃!!


「鷹史くんが一緒だから心強いでしょ? 高い受講料払ってんだから頑張んのよ!!」