複雑・ファジー小説

Re: たか☆たか★パニック 〜ひと塾の経験〜 ( No.50 )
日時: 2012/04/30 13:55
名前: ゆかむらさき (ID: dKbIszRw)

42>

————塾、三日目。


「お母さん……  今日、塾休んでも……いい?」


 玄関で靴を履いたにもかかわらず、そこから重たい腰をなかなか持ち上げることができない。 あたしはずっと座りこんだままで、小さな子供の様にぐずっていた。 
「休む?  なに言ってんのよ、あんた。 まだ通い始めたばっかりじゃないの!  ——行きなさい。」
 お母さんは、あたしの額に手をあてて首を横に振り、玄関の外に押し出した。
「いきなさい」
 もう一度強く言い、ドアを閉め、鍵まで掛けた。
 外からドアを何度も叩きながら、あたしは半泣きでもう一度お母さんにお願いをした。
「お母さん! あたし、ちゃんと行くから塾まで送って!(ちなみに帰りは迎えにきて)」


————塾に行くことが嫌なわけではない。
                  あたしは……バスに乗ることが嫌だった。


 日も暮れだし、買い物帰りの主婦、公園から帰ってくる子どもたち、犬の散歩をしている人……家の前を通りかかる人たちが、みんなあたしの事をジロジロと見ながら通り過ぎていく。 カラスまでもが屋根の上から見下ろして、バカにして笑っている。


 恥ずかしい…… このままここで溶けてなくなってしまいたい————
 あたしは沈みゆく夕日の色に負けないくらいに顔を赤くして、ドアの前でうずくまって、しゃがみこんだ。

Re: たか☆たか★パニック 〜ひと塾の経験〜 ( No.51 )
日時: 2012/04/30 14:25
名前: ゆかむらさき (ID: dKbIszRw)

43>

「おい! はやく乗れ!」
 後ろから松浦くんに足でお尻を小突かれた。
 バスはすでに家の前でエンジンをかけたまま停まっている。 なかなか家から出てこないあたしを先生に「連れてこい」とでも頼まれたのか、彼は面倒くさそうにあたしの両わきに手を入れて立たせ、手首をつかんだ。
「……はぁ。  ……ガキか、おまえは。  ——こいっ!」
 相手が女の子だというのに…… そんなことはお構いなしに、松浦くんはあたしの手首を握る手に思いっきり力をこめて引っ張った。
「——い、痛いッ!!
           ちゃっ…… ちゃんといくから!
                               お願い! もっとやさしくしてぇっ……!!」
 あたしの返した言葉に、彼は謝って引っ張っている手を離してくれるどころか、逆にさらに力を入れて引っ張った。
「——ばっ、バカ!! うるさいぞ、おまえッ!!」
 顔を真っ赤にした松浦くんが小声で怒鳴る。 ————怒ってる? ちゃんと“いく”って言ってるのに…… 
 彼につかまれている手首が赤くなっている。 怒る方の立場はあたしだよ……


「ヒュー ヒュー、 恋人ですかー?」
 家の門をくぐり抜け、バスの停まっている道路に出ると、近所に住む小学生の男の子達が、通りすがりに大きな声であたし達の事を冷やかしてくる。
(冗談じゃ ないっ!)
         ——こんなのと“恋人”だなんてまっぴらゴメン!
 あたしは松浦くんの手を振りはらったが、そのまま彼に着ているパーカーのフードを引っ張られて、強引にズルズルとバスの中に引きずりこまれた。


「……座れ。」
 窓際のシートに座った松浦くんが、隣の座席を手の平でトン、と叩いた。
 あたしは仕方なく彼の隣の席に座ると、バスが動き出した。
 実はあたしがバスに乗るのがイヤだったわけは、松浦くんに会いたくなかったからだった。 何故かというと————


「フーン……。 どうやら昨日の“アレ”が分かったようだな……」
 彼はあたしの反応をニヤニヤしながらうかがっている。
「————辞書で……調べたから……」
「ぷぷっ!  クックック……」
 松浦くんが隣で笑いを堪えている。 絶対こうなるハメになるんだと予想をしていた。 もう恥ずかし過ぎて彼の顔を見る事ができない。 これ以上話したって、彼の作ったアリ地獄に飲まれ、沈んでいくだけの様な気がする……。 いっそこのままバスの窓から飛び降りて逃げ出してしまいたい気持ちだ。
「まさに おまえのこと……だっただろ?」
 彼は鼻で笑って窓の外を見ながら話し出した。


「勉強はできないわ、一般常識もわきまえていないわ、空気も読めない……
                  ————おまえって、ギネス級のバカだな。 おもしろすぎて……
                                                    昨夜、眠れなかったぞ、俺……」

Re: たか☆たか★パニック 〜ひと塾の経験〜 ( No.52 )
日時: 2012/05/02 14:14
名前: ゆかむらさき (ID: dKbIszRw)

44>

「でも…… 知りすぎちゃってる子よりは……いいでしょ?」
 あたしは膝の上で手の平をこすり合わせながら、松浦くんを見た。
 彼はカバンの中から出したチューイングガムを口の中に入れて窓の外を見た。
「——……まあな。 
           だけど……おまえのことは、嫌いだ……」
                               (あたしだって……!)


「!」
 突然、松浦くんがあたしの手を握ってきた。
 そして、握ったひざの上のあたしの手をひっくり返し、親指で撫でている。
 くすぐったくって…… 気持ち悪い————
 彼の噛んでいるミントのガムのスーッとしたにおいと一緒に、あたしのからだもスーッと寒気を感じた。
(さっき、あたしの事キライだって言ってたのに……)
 ————やっぱり、このひとは何を考えているのかわからない。
「小せぇ手……。 こりゃ、一生チビのままだな……  140ねぇだろ」
                                      (……えっ?)
 彼は淡々とした顔で、あたしの一番気にしていることを言ってきた。
「あ…… あるもんっ。」 
 腹が立って……二センチ、サバを読んでしまった。
「……なに おまえ。 俺に好きになって欲しいの?」
 身長のことを言われて動揺してしまったことを、手を触られて動揺したと思われたのか…… 違うのに——! 
 彼はニヤニヤしながらあたしの顔を覗きこんできた。
「勉強はできない…… 可愛くもない……
                     ————そんなおまえを好きになるには、相当の努力が必要だよな! ……ハハ。」


「——ッ!」
 あたしは体中の全神経を右足に集中させて、思いっきり松浦くんの足を踏んづけた。

Re: たか☆たか★パニック 〜ひと塾の経験〜 ( No.53 )
日時: 2012/05/02 14:16
名前: ゆかむらさき (ID: dKbIszRw)

45>


     ☆     ★     ☆


「はい、着きましたよ」
 バスは塾の駐車場で停まり、先生がエンジンを止め、振り向いた。
 いつもなら、先に降りて早々と逃げていってしまうはずの松浦くんが、何故か今日は動かない。 ガムを噛みながら腕組みをして、バスの天井をジーッと見つめている。
 ついさっき、あたしをバカにして笑っていた彼が、今は何か考え事をしているかの様な真剣な顔をしている。 
                                                           ————不気味だ。


「あたし…… 先に、いくね……」
 何か嫌な予感がする。
 早くこの場から……松浦くんから逃れて高樹くんに会いたい。
 あたしは席を立ち、松浦くんに背を向けた。
「待てよ、 まだ いくなって、なみこ。」
 パーカーのすそを引っ張られ、また座らされた。
 昨日の帰りのバスからだろうか。 さっきもバスの中でいきなり手を握ってくるし————やっぱり松浦くんの様子がおかしい。
(今まで、あたしの事名前で呼んだことなんて無かったのに……)
————少し怖くなった。
「……俺に、ついてこい……」
「え……?」
 いきなり彼に腕を引っ張られ、あたしは強引にバスから降ろされた。
(痛い…… 怖いよ……。 たすけて高樹くん————!!)


「——なみこちゃんっ!」
 自転車置き場の方から高樹くんが走ってきた。
 彼は手の甲でおでこの汗を一拭きして、松浦くんにつかまれているあたしの腕を見て、唇を噛みしめている。
「彼女は…… 僕が連れていく……」
 高樹くんは、普段あたしには見せた事のない険しい顔で松浦くんの前に立った。
 松浦くんは鼻で一息ついてからニヤッと笑い、答えた。


「悪ィな、高樹君……。 少し、こいつ借りてくわ。
                   大丈夫、大丈夫、 あとで ちゃんと返すって。 な?」

Re: たか☆たか★パニック 〜ひと塾の経験〜 ( No.54 )
日時: 2012/05/02 14:18
名前: ゆかむらさき (ID: dKbIszRw)

46>

(“借りる”とか“返す”って……あたしを物扱いしないでよっ!)
 いつも威張ってて、二重人格で、あたしの事をバカにして……大っキライ!
 そんな松浦くんは階段を、あたしの腕をグイグイと引っ張って、あたしたちの教室のある二階を越えて、三階へと向かって昇っていく。


「誰も見てないから…… いいじゃん……」
————あの日の夜のことを思い出した。 三階の廊下は高樹くんともう少しでキスをしたかもしれなかった思い出の場所。
 松浦くんとなんて————絶対に行きたくない!


「やだッ! あたし いきたくない! ——戻るッ!」
 二階と三階の間のおどり場で、あたしは彼につかまれた腕を離そうと必死で抵抗した。 しかし男の子の強い力になんて到底かなうワケがない。
「……チッ! うるさい女だな……」
 舌打ちをして松浦くんはあたしを軽々と持ち上げ、十キログラムの米袋を運ぶときの様に肩に担いだ。 そのまま三階の廊下を、足元に無造作に置かれている段ボール箱を足でかき分けながら、まっすぐ進んでゆく。 高樹くんとはここまで廊下の奥には来てはいない。 日はすでに落ち、電気も点いていない暗い静かな廊下。 暗い事だけではない。 今、一番怖いと感じるのは、いつもとは明らかに様子の違う松浦くん。 あたしをどこに連れて行き、何をしようとしているのか————


 気が付くとあたしは廊下の一番奥にある、怪しげな部屋の前に連れてこられていた。 一階と二階の塾のドアとは違う、黒いレザー張りの扉が目の前に立ちはだかっている。
 そういえば……ここは塾になる前はパブとか……そういうお店————
 “空”と黒いマジックで書いてある段ボールの切れはしで作った表札が、ドアの取っ手に掛かっている。 松浦くんはそれを裏にひっくり返し、“使用中”に変えてあたしを担いだまま中に入った。


 部屋の中は、見渡してもどのくらいの広さか分からないほど真っ暗で何も見えない。 ほこりっぽくて、変なにおいがする。
「——ひゃっ!」
 多分あたしの顔にクモの巣がダイレクトに引っ掛かった。
「……松浦くん、 ここ……何の、部屋……?」
「………。」
「なんの へやなの!!」
「………。」
 ————返事が返ってこない。
「……おろして。」
 あたしを担いでいる松浦くんの顔が向こう側にあって、彼が今どんな顔をしているのか分からない。
(スキを見て……逃げよう……)
 あたしは今、その事ばかりを考えている。


 カチャン……
 松浦くんは何も言わずにドアの鍵を閉めた。
 彼はおそらくこの部屋が何の部屋なのかを知っているのだろう。 そして、ここでわたしに何かしようとしている。
                                                     今さら気付いたって————もう遅い。
 あたしは、まんまと松浦くんの罠に掛かってしまった。

Re: たか☆たか★パニック 〜ひと塾の経験〜 ( No.55 )
日時: 2012/05/02 14:20
名前: ゆかむらさき (ID: dKbIszRw)

47>

……パチン。
 松浦くんは担いでいたあたしを降ろし、電気を点けた。


「!」
 突然、部屋全体がワインレッド色に染まった。 天井も、壁も、床も……全部同じ色。
 自分の両方の手の平を広げ、顔の前に近づけた。 手のひらも……体もワインレッド色になっている。
(なに この色……)
 背後からワインレッド色になり、さらに怪しい雰囲気をパワーアップさせた松浦くんがゆっくりと近づき、あたしの肩にそっと手を置いた。
「ん?  ああ、確かに変だよなァ、この照明の色。
      誰かが蛍光灯に細工でもしたんだろ。 勉強もしねぇで、こんなことに時間費やして……
                                                  ————お盛んなやつらだぜ、まったく」


 まるで赤ワインの入ったグラスの中に沈んでいくような気分。 ————ずっとこの部屋にいたら、本当に酔っぱらってしまいそう……。
 あたしは、おそるおそる部屋を見渡した。
 壁にはダーツボードが掛けられていて、床には、ほこりだらけのお酒が何本か入った木箱。 部屋の端にはボロボロのビリヤードの台がたくさん積み上げられていて、その中の一台が、部屋の真ん中にポツン、と置かれている。 台の上には箱ティッシュ一箱と、丸めたティッシュのゴミがゴロゴロと散乱している。


「この部屋が……なんの部屋か、って?」
 松浦くんはあたしの両脇に手を入れて、まるで小さな荷物を運ぶ様に軽々と持ち上げ、部屋の真ん中に置かれているビリヤードの台の上に座らせて話し出した。
「ヤリまくり部屋……って、俺たちは言っている……。 そういえば、おまえはまだ、この塾に入ったばかりだから知らねぇか。」
(やりまくり、べや……?)
 ビリヤードをやりまくるのだろうか。 ————絶対そんなワケがない。
 ニヤニヤしながら話す松浦くんの顔を見て、あたしは察した。  
 集中どころか頭がおかしくなりそうな部屋の色。 それに……こんなにゴミが散らかった傷だらけの台でビリヤードなんてできるのだろうか————  
「この塾のカップル達が、“楽しーコト”スルための部屋…… だってさ」
 彼はあたしの表情をおもしろそうにうかがいながら、着ているパーカーのえり首から手を忍びこませ、鎖骨を指でゆっくりと撫でてきた。
「なァ……これ以上言わせる気かよ……。 ホントはもう分かってるんじゃねーのか。 ————いじわるだなぁ、なみこ……」
「……やめてッ!!」
 全身に鳥肌が立ったあたしは、彼の手をつかんで止めた。


「俺がいつも、どんな気持ちでいるのかも知らねぇでヘラヘラしやがって……。
                どうせ、恋愛小説なんかの世界にでも夢見て浮かれちまってんじゃねぇのか?
                                      ————おまえ……高樹にメチャクチャにされるぞ……」


 ワインレッドの照明が、あたしのいかりの炎を増強させる……。
「へっ、変な事言わないでよッ! 松浦くんのバカ! 大っキライ!!」
 あたしはビリヤードの台の上から、目の前の松浦くんを思いっきり蹴飛ばして叫んだ。
 松浦くんはあたしに蹴られて倒れている。
 勢いだとはいえ、マズい事をしてしまった……
(に…… 逃げよう!!)
 あたしは慌てて台から降りて、視線をドアに向けた。
「——っ! 痛ぇなコラ!!」
 彼は起き上がり、あたしを睨みつけて飛びかかってきた。


「 !! 」
 突然、あたしは松浦くんに強く抱きしめられた。