複雑・ファジー小説
- Re: Love Call ( No.136 )
- 日時: 2012/01/05 20:15
- 名前: 葬儀屋 (ID: cX9VSRxU)
「雪いっぱいぃ! 姉原ぁ、雪だるま作ってぇ!」
「……呼び捨てにするな。それと雪だるまなんか作れるほど、雪積もってないじゃねぇか馬鹿が」
「ケチぃ!」
微かに、遠くでそんな声が聞こえていた。半ば夢心地のまま、その声に向かって歩いていった。
外は灰色で、雪が降っていた。
「あ、お前、外には来るな。寒いんだから、また風邪ひくぞ」
「せんせー! 雪いっぱいー! つめたぁい!」
成程。さっきの夢はこの少年の……朝霧の声が原因だったのか。
「大丈夫ですよ……それほどまでに身体が弱いわけでもありませんから」
「……そうか」
姉原は何故か不服そうだが、私がもたれていた窓を開け、自分のジャンパーを無理やり押し付ける。
それを羽織って外に出ると、冷気が頬にささった。息が白く吐き出され、雪と一緒に散っていく。
「……仕事は、大丈夫なんですか」
「あぁ、大丈夫だ。あそこにクリスマスも元旦も関係ないからよ」
姉原がアルバイトで働いているところは喫茶店だった。クリスマス・イブともなれば客が増えるのかと思ったのだが。
私に体調に気を遣い、休みを取ったらしい。
「常連客であの店も持っているんだし。そんな急に客が増えるってわけでもないらしいから」
「……すみません」
「いいんだよ。いつも無理して朝霧と遊んでいるんだろ? この二日ぐらいは……休んでも良いんじゃないのか」
「……そう、なのでしょうかね」
空を見上げる。灰色の重い雲は白く、軽い雪を量産し続けている。
この分だと、明日までには数十センチ、降り積もりそうだ。
「……明日には、雪だるまも作れるほど、積もっているでしょうね」
「えぇ! 明日なら作れるの!? ねぇ姉原ぁ作ろうよ〜」
「明日な。明日」
駄々をこねる朝霧。それを無視しながらも仕方なさそうに雪を丸め始めた姉原を見て、私は少し、笑っていた。
明日はホワイト・クリスマスになるようだ。比較的に温かいこの地域の子供たちにとって、あこがれのイベント。
私にとっては、罪を戒めるための日、になっているが。
「…………」
「どうした」
蹲った私に気づき、姉原が声をかける。なんとか受け答えようとしたものの、吐き気がこみ上げ、口をふさいだ。
生臭い匂いがした気がした。目の前の雪が赤く見えて、寒さも生温かい風に思えて。口の中に酸のきいた味が、広がっていく。
「朝霧、ちょっとこいつを見とけ。こんな服装じゃ身体が冷える」
一瞬、姉原の体温がなくなり、こもっていた音が一層鮮明に聞こえた。嗚咽の音。何かを、吐き出すような音。
無意識のうちに手は離れていた。涙があふれ、目の前がかすれていき、思い出の中に引き込まれていく。肉の腐った臭いに吐き気がました。
「せんせ、大丈夫だよ。謝んなくていいよぉ……僕、せんせのこと、大好きだよ?」
小さな手が、私の耳をふさぐ。
背中が温かく包まれていく。
息が、落ち着いた。吐き気も引いて、見上げると、
朝霧が笑って、私の手を取った。
「僕、せんせ、大好きだよ? せんせの全部、全部好きだから」
嘘であると、私は否定する。そんなはずはない。きっと、朝霧は理解していないのだ。
でも、それでも良かった。
頬に触れると、水滴がついていた。指がぬれて、私は驚く。
「……ごめんなさい」
また、あなたみたいに小さな子供に、心配をかけて。
「……此処にいて、生きていて、泣く私を……殺して下さい」
声が震えた。死を怖がっている自分に、怒りを覚えた。死ねばよかったのにと叫ぶものの、そんな現象、起きるはずがなかった。
私は、姉を殺した。
その罪から、今まで逃れ続けている。
私は知能が生まれたときから低かった。言葉もうまく話せずに、六歳の誕生日を迎え。その日、クリスマス・イブに姉を、刺殺したのだ。
精神異常、そう見なされた私は病院へと入院し、孤児院に引き取られた。親は事故で死に、親戚も不気味がって私を受け入れてくれる者はいなかった。
小学校へ入学し、孤児院の人たちから勉強を学ぶにつれ、言葉を話せるようになった。それからは覚えも良くなり、成績優秀で義務教育を卒業し、仕事に着いた。
ごく普通の生活。罪人の私が、こんな生活をしていてよいのだろうか。
「せんせ! ケーキ、買いに行こ!」
そんな思考を、朝霧の言葉が遮った。
「「…………え?」」
「ケーキ! だって、せんせ、誕生日でしょ!? 買いに行こ!?」
「……朝霧。俺の苦労を無駄にするのか」
「そう、ですよ……ケーキなら姉原さんがとっくに……」
クリスマス・イブには姉原がケーキを作るのが定番のようになっていた。そのため、ケーキは間に合っているはずなのだが。
「違うっ! それは、クリスマスケーキだよ。せんせの誕生日ケーキ! 買いに行こうよぉ」
私は、返答に困っていた。
先ほど、吐いたときからは数分経っているものの、耳鳴りが激しく、正直眼鏡をかけても至近距離にいる朝霧の顔がはっきり見えていない。この状況で外に出てしまえば危ないし、何より朝霧を守る保護者として自分に自信が。
「姉原さんは」
「駄目! せんせが行かないといけないの! 僕はせんせと二人で行きたいのぉ!」
「いいんじゃねぇの? 気晴らし程度に」
「姉原さん……」
こういう時にだけ、二人で私を責めるのは卑怯ではないのだろうか。朝霧は勝ち誇ったように笑みを湛え、私の袖を引っ張っていく。
仕方なくベッドからはい出た私に、姉原は微かに微笑んで、上着を渡した。
「楽しんでこいよ……甘いもん、好きなんだろ?」
「……それ、は……そうなのですが」
それが最後の一撃だった。私は朝霧に手をひかれるまま、外へと連れ出された。
冷気が身体中にまとわりつき、歩くたびに通り過ぎていく。白い息が後ろへと流れていき、振り向くと、銀世界が広がっていた。
「ゆーきやこんこん、あられやこんこん、降っても降ってもまだ降りやまぬぅ♪」
朝霧は上機嫌で歌を歌いながら歩んでいく。目指すは七百メートルほど離れたケーキ屋。それまでに渡る横断歩道は一回。そこだけでも緊張しておこう。
雑音と朝霧の声と耳鳴りが頭を襲う。締め付けられるような緊張が、身体を襲い、ほぼ無意識に歩いている状態だった。
眼鏡をかけなおす。視界はまだ、かすれている。
「……せんせ、大丈夫?」
ふと、朝霧が立ち止まる。心配そうな表情に、私は作り笑いを浮かべ、頷いた。
「大丈夫……ですよ……」
「……そう? ほんと? 嘘ついちゃ駄目だよ? 痛くなったら僕に言わなきゃ駄目だよ? ね、せんせ」
まるで幼子を諭すかのような口ぶりでそう言うと、朝霧はまた、私の袖をつかみ、歩いていく。
辛くて……仕方がない。いっそ、朝霧に言ってしまおうか。体中が痛い。もう、いっそのこと、此処で死にたい……。
「違うもん! せんせは死んじゃいけないもん! ずっと、ずっと僕と姉原と一緒にいなきゃいけないんだもん!」
耳鳴り。以前、死にたいと呟いた私に、朝霧が、そう怒鳴ったことがあった。
泣きながら。私に、縋りついて。
「せんせが……僕の、親なんでしょ……?」
親? 違う。君の母親や父親はちゃんといる。今もどこかで生きている。本当は、両親のもとで、本当の優しさに包まれて、成長していかなければならない君を、私が無理に、連れ出しただけなのだから。
「違う……せんせが親なんだもん……せんせは……僕のこと、ぶったり……殴ったりしないもん……」
あの人たちは、愛情表現を知らなかっただけなのだから。唯、君が可愛くて可愛くて仕方がなかったけど、その愛情を伝える方法が悪かっただけで。
「嫌だ! もうもどりたくない! せんせと一緒にいたい! ずっと姉原とせんせと一緒にいたい!」
はたと、顔を上げると、横断歩道の信号待ちをしているところだった。
現実の頭痛が激しいせいで過去の記憶がよみがえって来る。一番いやなのはどんなに忘れようと思っていても、記憶が忘れられないことか。
此処は、確か母や父、兄が死んだところだ。ケーキ屋で買い物をした直前というから間違いないだろう。
今、あの部屋はどうなっているのか。いわくつきの物件として安くなっているのだろうか。姉の霊が憑いている気がする。
姉や両親、兄と会話したいと願った日々があった。私のことをどれだけ恨み、罵っていることだろう。不安で仕方がなかった。いや、もしかすれば私が恐れていたのは一人になると言うことだったのかもしれない。それならば、何故姉をころしてしまったのだろう。本当に、馬鹿なことを
「せんせ……? 大丈夫」
裾を引っ張られて、信号を確認する。まだ赤だ。
「……っ大丈夫、ですよ……?」
「嘘。きついの? 寒い……?」
冷たく、冷え切った朝霧の小さな手は、私の手を包み込み、強く握った。
「僕が……僕がね、先生のこと、守るから。もう、死にたいって……思わないようにするから……」
温かい。指先がじんとしびれてきた。雪に触れ、薄紅色に染まった朝霧の指先を、私の指に絡め、強く手をつないで、私を見上げた。
茶色の眼が、私を見て、微笑んだ。
「大丈夫だよ、先生。僕が見てるから。安心していいよ」
顔を上げると、もう遅かった。
コントロールを失ったトラックは雪でスリップし、歩道に乗り上げ、丁度、朝霧の真後ろの標識を押し倒すところだった。
下は雪で、少しは衝撃をおさえてくれそうだった。私は朝霧を突き放し。
そのまま、トラックにひかれた。