複雑・ファジー小説

Re: Love Call ( No.14 )
日時: 2011/08/02 11:50
名前: 葬儀屋 (ID: 2cEGTv00)

 沈黙する部屋。

 静かにその人影は、組み立て式のベッドへと近づいた。

 そこには、少年がいた。

 少年は、ぼろぼろになった布切れのようなものを強く抱きしめ、顔をうずめ、泣きながら眠っていた。

 人影はそっと、少年の肩を揺らし、少年の名前を呼ぶ。

——あ……ギり……ん 朝霧……さん——


 そこで僕は、眼を開けた。


「……先生?」

 空っぽの部屋に呼びかける。そこには誰もいない。それでも、誰かがいた、痕跡があった。

 布を握りしめ、僕……朝霧はベッドから足を下ろした。久しぶりに自立し、眼がくらむ。

「先生……帰って来たの……?」

 静かに、ゆっくり、恐々と、朝霧は進んでいく。リビング、キッチン、書斎、資料室……。その部屋のどこにも誰もいないが、確かに、さっきまで、誰かがいた気配があった。

 最後に、玄関の靴を見る。

「……」

 一足だけ、運動靴が、無くなっていた。

 そして、とても強い、懐かしい、


 残り香があった。


 朝霧は電話に飛びつき、ボタンを押す。

「先生が帰って来たよ! 朝霧さんって……呼んでくれた! もう、部屋にはいないけど、外に行っちゃったみたい。ねぇ、早く来てよ! 先生、またどこかに行っちゃうよ!」


〈笑えないな〉

〈もう、六年だぞ? いい加減にしろ。いくら事故の後遺症だって、そこまで強いとは医者も言ってなかった。後は、お前の心理状態だって。

 お前も見ただろう? アイツは死んだんだ。


 六年前、交通事故で死んだんだ。


 分かったか〉


 そこで、通話は切れた。

 受話器を置き、朝霧は布に顔をうずめる。

 先生の白衣。先生の匂い。先生の温かい体温。

 絶対に信じない。先生は生きている。どこかで必ずいて。


 あの時の約束を守ってくれる。

 
「先生は……必ず、帰るって……言ってくれたもん」


 玄関を見る。

 確かになくなった先生の靴。

 先生は絶対に外の世界にいる。

 朝霧は、昼間の世界へ、走り出していた。