複雑・ファジー小説

Re: Love Call ( No.15 )
日時: 2011/08/03 13:40
名前: 葬儀屋 (ID: 2cEGTv00)

 身体が燃えるように熱い。滴る汗が邪魔で仕方がない。

 朝霧は足を止め、公園の木の根元で蹲った。

 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い……。どこにもいない。先生が、どこにもいない。

 なんで、なんでなんでなんでなんで?
 
 此処までずっと、家からずっと、あのベッドからずっと、先生の匂いを追って来たのに。


 ここから先に、僕の足は進まない。


「あ……」

 朝霧は身体を折り、口元を手で覆う。

 胃液が食道まで上がってくる。それを懸命に、飲み込んで。

 吐いた。

「あぁ……あああぁぁぁぁあああああああ!!!!!」

 黄色い液体が顎と腕に伝う。喉を握りしめる腕は震えて、意識が遠のく。目線が、上がっていく……。

 そして朝霧は、ゆっくりと地面に倒れた。


 眼を開けると、病院だった。

「この馬鹿」

 そして、軽い平手打ち。

「……痛い」

「分かってる。だけど、これで何回目だ」

 確か、十回以上だ……そう答えようとして、見上げた青年の眼に、涙が浮かんでいることに気づく。

「ごめんなさい……姉原さん」

「喜べ、唯の熱中症だ。水分取ったら、帰れるらしいから。それまでおとなしく寝ておけ」

 涙を拭き、姉原は軽く朝霧の額をはじき、病室を後にした。


 これで何回目だ。朝霧が勝手に外に飛び出し、いもしない残像を追いかけ、熱中症で倒れ、病院に送られるのは。

 先生。何故、朝霧は残像を追いかけるのだろうか。泣きながら叫び、先生……と呼び続けるのだろうか。

「花狩……お前はどうんなんだよ」

 六年前、制御をなくしたトラックが歩道に突っ込んだ。死者、一名。重症、一名の事故。朝霧は、花狩に守られ、かろうじて助かったものの、花狩の方は頭を強く強打。搬送中に脳内出血で死んだ。

 その時、花狩はこういったらしい。

「必ず、帰ります」

と。

「お前が変な約束したせいで、朝霧はバグってんだよ」

 朝霧も少なからず、頭を強打していて、脳に障害が出ていた。頭脳、精神が成長するのを妨げる障害。そのため、朝霧は12になった今でも、小学二年の勉強にいそしんでいる。

 まぁ、全く学校には現れないらしいが。

 それにこのような幻覚まで見えるありさまだ。そろそろ、本格的な入院も考えようと思っている。

「残り香……ねぇ」

 姉原は、朝霧が常に持ち歩く、布切れを見つめた。

 一応、元医師だった花狩の白衣だ。しかし、朝霧がそれを手放さないため、姉原がその一部を切り取り、持たせたものだった。

 それに、顔をうずめて見る。

 ほとんど、朝霧の汗と、唾液の匂いしかしない。

 それでも、微かに、花狩の匂いが残っていた。

 花狩が好きだった香水の匂い。強い、安っぽい薔薇の匂い。

 必ず、戻る。

「下手な嘘をつくんだな……その後、すぐに死んだくせに」

 静かに愚痴をこぼし、姉原は、壁に身体を預け、


 花狩の残り香に顔をうずめ、眼を閉じた。


「ほんと、まだ生きてるみたいだな……こうしてると」

 嘘だ。そんなもの。自分はこの二つの眼で見た。花狩の顔に白い布がかけられ、その身体が焼却炉に入れられ、骨になって、それを呆然としながら見詰める朝霧を。

 そうだ、全てが幻想だ。

 幽霊なんか、この世に存在するはずがないから……。