複雑・ファジー小説

Re: Love Call ( No.34 )
日時: 2011/08/29 21:09
名前: 葬儀屋 (ID: 2cEGTv00)

 翡翠は出来るだけ深く溜め息を吐いた。

「ちょっと……嘘じゃないの?」

 目の前は白い世界。何もない、想像できない世界。

 追体験の間にある空白の時間。その時にだけ、花狩の意思は翡翠と干渉する。

「どういうこと? は? あんたが人殺し?」

 呆れたように首を振るが、意思は必死に説得する。

「言っとくけど、人をかばって死ぬような人間が、人間殺せるわけないでしょ? は? 私もそうだって? 殺すぞテメェ」

 死んだ人間をどのように殺すか、翡翠は本気で思案し始める。意思はあたふたと慌てだすが、自分が死なないことを今更ながらに思い出し、その動きを止めた。

「……分かった、半分は信じるから。だってさ! あんたのこと誰も話してくれないんだよ!? 姉原はおろか朝霧までさ、あんたのこと押し黙ったままで、そんな情報……絞り出せるないじゃん」

 それに、この前はこれ以上かかわらないでほしいと、脅された。

「蛍……って奴だろ。あんたを全く知らない奴……別良いんだよ、脅されても。ただね……」

 あいつは翡翠が犯した罪を知っている。もしかすると。

「私……捕まるかもしれない」


 雨音喫茶には、結構の数の客が来る。

 ほとんどが常連客だ。定年を過ぎ、暇を持て余した客が来る。

 時には……花狩の患者が来る時もあった。

 一応臨床心理士であったため、近所のご老人の話を聞いていたらしい。評判は上々だった。

「お若いのにねぇ……あの後はお見かけしないけど、お元気ですか?」

 そう聞かれるたび、姉原は微笑み、

「死んじゃったんですよ」

 真実を述べる。

 巻き込まれないように。翡翠や朝霧の巻き込まれないように。必死に希望に縋っていても、いつかは振り落とされる。

 翡翠のあの状況を見て、そう思った。

「……杉舟 翡翠。調べてみたが、すでに捕まっている」

 プリントされた紙をカウンターに叩きつける。

「ふぁー! やっぱ共犯者いたんだね。しかも代わりに捕まっちゃうなんて。流石、保安隊が乱れてるだけ、こういうのも気づかれにくいんだ」

「もういいだろ……翡翠のことは。朝霧も安定している」

 睨みつける姉原に、蛍は疑問の表情を浮かべる。

「えー! 姉原君、協力してくれないの?」

 顔を近づけてくる。蛍の眼は、姉原を強く捕え、目線を離すことを許さない。

「協力はした。俺はこれ以上望まない」

「面白くないね。どうしたの? あれに情でも湧いたの?」

 無言の姉原を、蛍は冷ややかな微笑で殴った。

「っ……!?」

「ねぇ。おかしいよ、君。朝霧君の保護者でしょ? もう泣かないでほしいでしょ?

 君たちの先生の望みなんでしょ?」

 膝が腹にめり込む。蹲った姉原を蛍は幼子のように撫でまわした。

「君は中立的な立場にいなきゃならないのに。ね、どうして? どうして?

 なんでラブコールのこと、朝霧君に教えてあげないの?」

「……テメェには関係ない……だろ!」

 胃を抑えつけられ、言葉に詰まる。

 拳が顔面に当たった。熱い湯が身体に振りかけられ、悲鳴を上げる。

「嫌い……嫌いだよ、君の性格。たけど、顔は好きだよ、まだ少年の顔してる。嗚呼、嫌だな……そんな目で見ないでよ……ねぇ、ねぇ?」

 刃物が光ったことを捕え、意識は失せていった。


 朝霧は画用紙を広げた。

 翡翠は寝ている。姉原は仕事。家で覚醒しているのは自分だけ。

 画用紙にはこの街の地図が精密に書かれていた。そして赤色で×。数十か所にその印が付いている。

——先生……——

——僕はこんなに大きくなったよ……頭も良くなったよ……でも、先生が帰ってくるまで、みんなには内緒——

 積み上がった六年生用の教科書は何度も読み返し、ぼろぼろになっていた。書き込みのせいでページは黒く見える。

 たくさん本も読んだ。難しい本も、ほとんど分かるようになった。分かるようになっても、それでも。

 死が、分からない。

 分かりたくない。

「先生は特別だよ……だって、帰ってきてくれるんだもん。翡翠も、そう言ってるもん……」

 自分に言い聞かせる。でも、心の奥底の疑惑は膨れ上がる。日ごとに。ずっと。


 先生は、いない。

 全く、何処にも。


 電話が鳴った。反射的に怯えるが、なんとか受話器をつかむ。


 そして