複雑・ファジー小説
- Re: *鏡花水月に蝶は舞う* ( No.12 )
- 日時: 2011/08/03 15:45
- 名前: 琴月 ◆DUxnh/hEOw (ID: 6ux8t0L6)
あの話が出て、江戸から歩き、すでに三日がたった。
暁は、月も星も見えない夜の道をただただ歩く。
たまに休んではいるが、さすがにこの距離を歩き続けていると、次第に疲れが増してくる。宿をとるべきだった、と後悔しても、この時間となっては難しいであろう。
一つため息をつくと、ちょうどそこにあった大きめな石へと腰掛ける。
それにしても、なぜ親方は……私の主は、いきなり仕事を休止などと言い渡したのだろうか。
今までそんなこと、一度もなかったことだ。
いい知れぬ不安が胸をよぎる。
関係ないなどと思ってはいたものの、やはり、その真意は気にはなってしまう。
そういえば、前にあの屋敷で彼が鍛冶屋を営んでいる、と聞いたことがあった。
私は、周りの人が彼を「親方」と呼ぶから、私も引き取られてからそう呼んではいた。
というか、本名すらも知らないので、それ以外呼びようがない。
彼にとって私は、ただ仕事をするためだけの……人殺しの道具なのかもしれない。
しかしそれ以外、私の生きる道などないのだと思う。
よく両親へと思いを馳せることはあったが、顔も声も出てこない。
幼いころは、それが無性に悲しかった。
暗い空を仰ぐ。
すると、冷たい風が周りの木々を揺らした。
夏とはいえ、夜は冷えるのだろう。
しかし、何かが違う。
背筋を氷の塊が滑り落ちたような錯覚に陥る。
暁は、警戒しながらそっと立ち上がると、手を懐へとしのばせた。
そのとき—————
「……っ!!」
勢いよく何かが迫る。
頬をかすめ、そこから熱が滴るのが分かった。
すると、音もなく五つの影が暁の前へと躍り出た。
黒い忍び装束を纏った五人の男……だろうか。
彼等はそれぞれ刀を手にし、じりじりと近づいてくる。
この暗闇で男五人……懐刀で勝負し、勝てるかどうか。
答えは、否だ。
しかし、どう考えても彼等は殺気立って、見逃してくれるようには見えない。
「何者……?」
「……」
恐怖はない。しかし、死ぬことだけは嫌だ。
この手で、仇を打つ。そう決めたから。
そっと懐刀を抜く。
じりっと後ずさりし、間合いをはかる。
次の瞬間、男が刀を上段に構え、斬りかかってきた。
斬られる————!
目をぎゅっと瞑ったそのときだった。
「がはっ……!!」
「ぐっ……!!」
肉の断つ音と共に、短い悲鳴が上がる。
暁は、そろそろと目を開けると、驚愕の色を浮かべたまま絶句した。
目の前には、先程の男等の無惨な亡骸。
そして————………
淡く青白いかげろうが立ちのぼり、神々しい気配が辺りに張り詰める。
こちらに背を向け、ただ、事切れた男達も見下ろす………青年。
暁はその場に縫い止められたかのように動
けない。
すると、その青年が振り返る。
青白い炎のようなもので顔は見えない。
人間ではない何か。
と、その唇が言葉を紡いだように見えた。
何と言ったのかは分からない。
そして、その男は闇に紛れて姿を消した————
暁は、ぺたりと冷たい土の上に膝をついた。
全身が冷たい。
体が軋む。
冷や汗がどっと吹き出し、
気づけば、彼女の意識は、闇よりも暗い世界に落ちていた————。