複雑・ファジー小説

Re: *鏡花水月に蝶は舞う* ( No.2 )
日時: 2011/08/03 15:22
名前: 琴月 ◆DUxnh/hEOw (ID: 6ux8t0L6)

第一話 千載一遇

蒼い月が辺りを照らす。

季節はもう夏だというのにひどく寒い。

虫の声ひとつしない夜の道を、息をきらせて必死に走る男がいた。
彼の顔には引きつって恐怖の色が浮かんでいる。

その男の後ろを、鈴の音と共に風の如く追う影がひとつ。

紅い、絢爛な着物に袖を通し、長い黒髪を後ろで一つに結っている。
頭に鈴のついた簪(かんざし)を挿して、すらりとした白い足はほとんどはだけて寒々しい。

それはまるで—————


刹那、その影が大きく跳びすさり、男の前へと立ちはだかる。
男はごくりと喉をならし、手を腰の刀へとのばした。

獄門へと続く一瞬の静寂。


「貴様、何者だ……!?」


肩を上下させ、刀を抜く。
つぅっと冷や汗が背筋をつたう。


「私は……」


紅の注した唇がそっと言葉を紡いだ。

そして、言うが早いか紅い着物の袖が翻る。


「がっ……!」


顔をあげたときにはもう遅かった。
腹の辺りが熱い。男は意識の片隅で影の————彼女の声を確かに聞いた。


「私は……紅蝶々」


そう女が呟いたとき、もう一度青白く照らされた、冷たいものが男の腹部を貫いた。

声すらも上げられず絶命した男を見下ろす彼女の姿は、返り血で真っ赤になり、ひどく冷酷で。

涼しい風が髪を揺らす。


そろそろ夜が明けてしまう。



辺りが徐々に紅色へと変わる。

暁降ちを感じながら、彼女はゆっくりと姿を消した。