複雑・ファジー小説

Re: *鏡花水月に蝶は舞う* ( No.21 )
日時: 2011/08/03 15:47
名前: 琴月 ◆DUxnh/hEOw (ID: 6ux8t0L6)


「俺が守る————」

あの時、確かに誓った。

なのに。

「志岐、どうか————」
「この子を————……」

そう涙を流して息を引き取っていったのは。


————大丈夫……?


俺の命を救ってくれた、大切な……

「何言って……お、おい……死ぬな……目を、開けろっ……!」

必死だった。涙が止まらない。
背中と足の傷がズキズキと痛む。

しかし、そんなのお構いなしに叫んだ。
目を開けてくれ。俺は「あの子」を守れなかった。
頼む、どうか…………

「逝くなっ……!」

あの子はいない。
あの子は……

守らなくては。
約束を————…………

* * *

「っ……」

自分の叫び声で跳ね起きた志岐は、じっとりと汗ばんだ額を手の甲で拭った。

「また、この夢か……」

あの娘……暁に出会ってから、幾度とこの夢を見るようになってしまった。

「くそっ……」

拳で床を殴り、吐き捨てる。
あの娘の顔は……
似ていた。
野山で生き倒れになっていた自分を助けてくれた、あの夫婦に。
だから、どうしても気になってしまったのだ。



その夫婦には娘がいた。
まだ、喋ることもできぬ、幼い赤子。

命を助けてくれた上、こんな薄汚い自分を共に住まわせてくれたお礼に、恩返しがしたかった。
何か、望むことはあるかと。
出来ることなら、なんでも言ってくれと。
そうすると、二人は驚いたように顔を見合わせ、笑った。


「そうねぇ。それじゃあ」


幾度なく襲い来るであろう厄災からこの子を守ってほしい。
そう言って抱いてきたのは、この二人の子供。
さすがに自分は、赤子の世話など出来ない。
うろたえたようにすると、その赤子は懸命に自分の方へと手を伸ばしてきた。
あらあらと、苦笑する母親と、優しく笑う父親。

恩返しなど、口実だ。
赤子の顔を眺めて、心に決めた。

絶対に、この二人のように幸せにすると。





それから、二年が経った。

冬になり、ちょうど薪が無くなってしまったのだ。
志岐は、軽い足取りで山へ向かい、夫妻も笑顔で見送ってくれた。

大量に薪を拾ったので、しばらくはこれでもつだろう。
そう考えて、帰ろうとしたとき。

ふいに何か胸騒ぎがした。
鼓動が速度をあげ、手が冷たくなる。

急いで帰り、見慣れた家の扉を開けると……


———信じられない光景がそこにはあった———


中はめちゃくちゃにされていて、柱や天井には刀傷。
そして血にまみれ、横たわる二人の姿。

刹那、後ろから赤子の泣き声が響いた。
振り返ろうとしたとき————

「ガッ……!」

肉を絶つ音が鮮明に聞こえ、鮮血が舞い、強烈な痛みが脳天を突き抜けた。

しかし、必死に忍ばせた小刀で相手を横薙ぎにはらう。

かすかな手ごたえがあった。

「くっ……」

何者かの呻き声が発せられる。しかし、志岐も大量の出血で意識が朦朧としてきた。

ばたん、と力尽きその場に崩れ落ちる。

そのとき、黒い布を隠した相手の顔が一瞬か居間見えた。

泣き声が一層大きく上がる。


チリンと鈴の音のようなものが聞こえた気がした。
それは、あの子の……

そして、その泣き声はいつの間にか、聞こえなくなっていた————


* * *


助けられなかった。
あんなにも自分を大切にしてくれた人達は、目の前で逝ってしまった。
あの子を連れさった奴に深手を負わせることせえ出来ずに。

そうだ。結局自分は、何も出来なかった。

そう。自分は、人間じゃなくて。

「化け物」なのに————

深いため息をつく。



あれから、死ぬことが出来なかった志岐は、必死にあの赤子を探した。が、見つかるはずもなく、こうして生きた屍のようにさ迷って、今に至る。

気だるい体を立たせ、空を仰いだ。

満天の星が輝いて、なんだか無性に泣きたくなった。

奥の部屋には、暁がまだ寝ている。
一度様子を見ておいたほうがいいかもしれない。

ふと、暁が赤子の顔と重なり、次にあの夫婦の顔と重なった。

まさか。

そんな思いが胸をよぎる。

そんなはずはない。
でも、もしかしたら。

無意識に、歩く速さが増して彼女の寝ている部屋へそっと入る。

すやすやと眠る暁。初めてこんなにも落ち着いて彼女を視た。

月明かりに照らされた面影は、確かに。

見知ったあの人達に酷似していた。

そして、

彼女の髪の簪には……



————ほら。

昔、遊び用具として志岐が京の町で買った、小さい鈴。



————あら、よかったわねぇ……

————ありがとう、志岐……




驚きのあまり、声も出ない。
ただ、つぅっと頬を伝うものがあった。

あぁ、やっと。

やっと出会うことが出来た。

暁をかき抱きたい衝動を抑える変わりに、志岐は布団を、強く強く握り締めた。