複雑・ファジー小説

Re: *鏡花水月に蝶は舞う* ( No.34 )
日時: 2011/08/04 13:13
名前: 琴月 ◆DUxnh/hEOw (ID: 6ux8t0L6)

「————親方」
「うむ」

黒い衣装に身を包んだ男が音もなく、老人の前へと現れる。
彼は、ニヤリと不気味に笑った。

「そろそろ終わらせるとするか……」

呟いたあと、眉を寄せて右腕をさする。
着物の袖から覗く傷跡。

「小僧ごときが……」

この腕に傷を残した青年。
あのとき、確かにこの手で葬り去ったと思ったが、生きていた。

あの時は顔を見られてしまった。
あの小娘の耳に入らねばいいがと少々案じてはいたが、今となっては問題ない。

どうせ、終わらせるのだから。

あの憎き女の娘を地獄の果てに堕とす。

それが目的なのだから。


* * *


あの小娘の母親である女は、良心に満ちていた。
困った子供や老人を見ればすぐに救いの手を伸ばす、心の綺麗な女。

周りからすれば、申し分ない女で。
彼女を自らの養女として迎え入れた。

しかし自分は、憎いとしか思わなかった。

なぜならその女は、自分のしようとする悪行をすべて世に晒し、貶めようとしたからだ。

「人間は全て穢れている。今更それを重ねたとて変わりあるまい」

そう弁解したが、女はそれをばっさりと一刀両断した。

「人間は穢れてなどおりません!あなたがそう思う心こそが穢れている。何故それを清めようとはしないのですか!!」

それは最早、女性とは思えない鬼気迫る迫力であった。
悪行を是とする人間はこの世に数多といる。なのに、何故と。

その後、自分は周りから軽蔑の目で見られ、処罰も受けた。

それなのに、あの女はさらに人々から愛され上洛し、娘まで授かった。

憎い。

何故自分をこんな目に合わせながら平気で笑っている?

何故愛されて、幸せそうに微笑んでいる?

憎い、憎い。
どうすればいい?
そうだ。今度は自分があの女を貶めればいい。
その綺麗な面差しを絶望で染め上げてしまえばいい。

ただ、殺してやるだけでは気が治まらない。

ならば。

あの女の宝を人の血で真っ赤に染め上げて、利用して。

地獄に堕としてやる—————


何年か過ぎ、己の名を改めて密かに暮らしていた自分は自ら京へ足を運び、女と、その男の命を奪った。


しかし、些細な問題が生じた。
その問題こそ、あの狐の青年。

明らかに人間の持つ力ではない何かを宿していた。

自分には分かる。

なぜなら、あの青年と自分は「同胞」だからだ。
しかし、青年は知ることもなく意識を失っていた。


* * *


「親方!」

なにやら切羽詰ったもう一人の部下が駆け込んできた。
声をかけられ老人ははっとする。

「なんじゃ」
「あの青年が……」
「やはり来たか」

男は、深刻な表情で頷いた。

が、老人は不敵に笑うと低くうなるようにして、命じた。

「あれを使え」
「!……はっ」

すぐさま返事を返し、踵を返す男。

「楽しませてもらおうではないか。————小僧」

あの娘に思いを寄せてしまった青年の末路。

双方とも地の底へと葬り去ってやる。


この、楢葉が。