複雑・ファジー小説
- Re: *鏡花水月に蝶は舞う* ( No.41 )
- 日時: 2011/08/09 15:29
- 名前: 琴月 ◆DUxnh/hEOw (ID: 6ux8t0L6)
第九話 晴雲秋月
「暁……」
「うん」
ぽたぽた、と赤い雫が腹部を押さえた手の間から滴る。
楢葉との勝負で、志岐は致命傷を負いながらも志を貫き通し、結果楢葉は命を落とした。
終わったのだ。
これで。
念のため、此処から離れよう。
顔色を蒼白にしながら、志岐は言った。
立ち上がることさえ困難な彼は、暁の肩を借りながら、雑木林へと入った。ここなら、追っ手が来ても見つからない。
空を仰げば、満月が辺りを照らし、ゆっくりと雲が流れていった。
志岐は暁の肩から離れ、草の上に横たわった。
「大丈夫……?」
「へい、き」
気遣う暁に、痛みをこらえながら微笑んでみせる。
大丈夫だというように。
————嘘つき
こんな怪我を負って、大丈夫なはずない。
心の中で、そっと呟く。
「ねえ、志岐……?」
「ん?」
「父様と母様に会ったよ」
「っ!」
優しく、抱きしめてくれた。
そっと背中を押してくれた。
驚愕して暁を見つめる志岐は、そっかと目を閉じた。
なんだか、眠いなぁ。
ふいにそんなことを考える。
「志岐……!?」
目を瞑る志岐に、慌てて声を掛ける。
そして、悟った。
————ああ、時間がない
時が。
また自分は失ってしまうのだろうか。
大切な人を。また。
「暁……、あのな」
「っ……」
涙が溢れてくる。
こうして話ができるのも、最後だ。
返事をしたいのに。
答えたいのに。
出てくるのは涙ばかり。
「俺、は……お前に会えてよかった、よ」
こくこく、と頷く暁。
手で顔を覆って、必死に嗚咽を我慢している。
志岐は、そっと手をのばしてその手に重ねた。
暖かい。
初めて会ったとき、あんなに冷たかったのに。
「ごめんな」
「志岐……し、き……!」
まだこうして触れていたい。
そばにいてほしい。
「やだ、やだよ……ねえ、ここにいて。離れたくないよ。お願いだから逝かないで!」
まだ、もう少し。
けれど
少しずつ、確実に志岐の手は冷たくなっていく。
「泣く、な。頼むから……」
どうか。
泣くと、どうしたらいいか分からない。
頼むから。
「お前は、幸せに……きっと……俺の、ぶんまで」
—————生きろ
ここで、自らの命を絶てば、あの世で志岐に会えるかもしれない。
父や母に会えるかもしれない。
怖いことも、傷つくことも、ない。
その願いは、あまりにも辛くて。
あまりにも残酷で。
伝えないと。
彼が眠ってしまう前に。
「志岐……」
「うん?」
今まで、守ってくれて。そばにいてくれて。
「ありがとう」
そっと微笑む。
彼がいつもそうしてくれたように。
志岐は目を見開いた。
ああ、初めて。
この娘は初めて笑ってくれた。
その笑顔はまるで、天女のように穏やかで、美しくて。
辺りが暗い。音も耳に入ってこない。
なのに。
この声だけはしっかりと聞こえた。
「あか、つき……」
それならば、自分も。
最後に、伝えなければ。
————俺は志岐だ。お前、名前は?
————……無い
あんなに暗かった瞳が、今は。
暁、という名がもたらしてくれた奇跡。
「 」