複雑・ファジー小説

Re: *鏡花水月に蝶は舞う* ( No.42 )
日時: 2011/08/09 16:45
名前: 琴月 ◆DUxnh/hEOw (ID: 6ux8t0L6)

ぱたり、と志岐の手が落ちる。

ハッと大きく目を見開く。

彼は笑っていた。

幸せそうに微笑んで。


「志岐……!?いやっ!目を開けて……や、やだ、志岐!!」


何度呼びかけても、返事は返らない。

ただ、すやすやと眠るように。


どうして。


私を置いて逝ってしまうのだ。



————ちりん……



志岐の懐から、小さな鈴が転げ落ちた。

持っていてくれたのか。



ぎゅっと彼の手を握る。

あんなに暖かかった手が。


「なん、で……志岐……志岐……!!」


—————どうした?


あの優しかった声は。

もう、聞けない。

あの優しい手には。

もう、届かない。



「っ—————!!!」



泣いた。

声にならないこえで。

呼んだ。

彼の名前を。



さようならを、言えずに。


お願いだから。
あと一度でいい。




私の名を———————




















* * *


「……ちゃん……お姉ちゃん!」
「っ!!……どうしたの?」


まだ幼い女の子が私のところに寄ってくる。


「ねえねえ!遊んで!」


きゃっきゃとはしゃぐ子供達は、皆輝くような笑みであちこち走り回っている。
いつもなら、いいよと共に遊んであげるのだが、今日はできない。

行かなければならない場所があるから。


「ごめんね。お姉ちゃん、これから用事があるの」
「え——!!」
「どこいくの?」
「連れてって!」


思わず苦笑してしまう。
まったく。
子供はいつも無邪気で、こちらの苦労も知ってほしい。


「う〜ん……ごめんね、それはできないわ。また、今度遊んであげる」
「もう……じゃ、また今度ね!」
「約束だよ!」
「はいはい、またね」


ひらひらと手を振って子供達とお別れする。

さて、と。



あの人は、今どうしているのだろう。

私のことを、彼は忘れないでいてくれているだろうか。



半刻ほど、歩き続ける。
途中で、ちいさい花をいくつか手折って。
たくさんの桜が咲き誇って、甘い香りに包まれる。


「ただいま……」


目の前にある土饅頭にそっと花を手向ける。

ここに眠る、愛しい人。


「父様、母様、————志岐」


帰ってきた。彼のもとへ。

志岐のもとへ。

目を閉じて、手を合わせる。


あれから、三年がたった春。
すっかり桜も咲き誇って、軽やかな風が吹きぬける。



私は、幸せだよ。
あなたに出会って。

ちゃんと笑えているでしょう?

あなたのように。

やっぱり、あなたが隣にいないと寂しいです。

でも、私は生きています。あなたの分も。

だからもう少し待っていて。

そうしたら必ずあなたのそばにいさせてくださいね。


はらり、と桜の花びらと共に涙が頬を伝う。
もう泣かないって決めたのに。
どうしても、こうやって彼のことを思い出すと、止められないのだ。

もう、この涙をぬぐってくれる人はいないのだと。



—————暁……


ふいに、彼の声が風に乗って響いた。
驚いて振り返ると、そこにいたのは。


「志岐……!!」


誰よりも、愛おしい人。

彼はゆっくりと、暁に踏みよった。



「会いたかった……!」
「うん。俺も————」



二人は、深く抱き合う。

その影は、桜吹雪の中で幸せそうに手と手を合わせた—————