複雑・ファジー小説
- Re: *鏡花水月に蝶は舞う* 新章スタート! ( No.53 )
- 日時: 2011/09/04 11:43
- 名前: 琴月 ◆DUxnh/hEOw (ID: 6ux8t0L6)
気づけば空は、綺麗な茜空となっていた。
朝から出かけたので昼には帰ろうと決めていた玲だったが、彩芽の好奇心が次から次へと移っていったため、こんな時間になってしまったのだ。
「……楽しかったか?」
「はいっ!!また行きたいです!」
あれだけはしゃいでまだ行きたりないのか。
玲はさすがに疲労困憊で、屋敷についたときにはぺたりと床に座り込んでしまっていた。
と、そのとき彩芽の腹が小さく鳴った。
「あ、夕飯どうしよ……」
そういえば、いくらか食べ歩きはしたものの、きちんとした主食は口にしていなかった。
さて、どうするか。
「あのっ!!」
「ん?」
彩芽が身を乗り出して大声を上げる。
「私に作らせてくれませんか?」
「…………は?」
自分の手を胸にあて、まかせてくださいと言わんばかりの表情で玲を見下ろす彩芽。
「お願いします!」
「…………」
「だめ、ですか?」
「だめ!絶対!!」
「ふぇっ!?なんでですか……?」
駄目に決まっている。
火を使ったことがない。
包丁を握ったことがない。
まず、夕食のいうものを食べたことがあるのか。
「危ないから!!」
「だ、大丈夫です!」
「だめったらだめ!」
味はともかく、勝手場には色々と危険なものがたくさんある。
何も経験したことがないのだ。怪我をしてしまうのは目に見えている。
それでも、じっと目で訴える彩芽。
「お願いします……!」
「…………」
「大丈夫ですから!」
「…………」
「やらせてくださいっ!」
「…………」
はい、降参。
「……………………ちょっとだけだぞ」
「やったぁ!!」
本当にこの娘は。
自分が作って、それを見学させるくらいならいいだろう。
「んじゃ、準備するぞ」
「はい!」
勝手場に足を踏み入れると、彩芽は緊張したようにきょろきょろと辺りを見渡した。
作る、といっても昨日の残り物があるので、凝ったものは作らない。
ほうれん草を取り出して包丁を握る。
それを彩芽は、瞬きひとつせずに見ていた。
「あの……」
「ん〜?」
「私にもやらせてください!」
「……じゃあ、握ってみろ」
そっと包丁を彩芽に握らせる。
彩芽の顔が一瞬、強張った。
その白い手の上から、玲の大きな手が握られる。
「いいか?こうやって…………」
ゆっくりと。
少しずつ扱っていく。
「大丈夫か?」
「はい。一人でやってみます」
恐る恐る刃を葉に当てる。
何度もそれを繰り返し、なんとか切り終わった。
「うまいうまい。なかなか素質あるぞ」
初めてにしては上出来だ、と微笑む玲。
彩芽も頬を綻ばせた。
* * *
「いただきます」
彩芽はできあがった夕食を、美味しそうに頬張った。
その姿を見ているだけで、玲は心が温かくなるのを感じた。
母が亡くなってからずっと一人だった。
一人の夕食。
寂しくない、と言ったら嘘になる。
本当は、誰かにいてほしかった。
「うまいか?」
「とっても美味しいです!」
温かい。
こんなに平和な時間は、もう何年も体感していない。
と、屋敷の戸が叩かれる。
こんな時間に誰だろう。
「ちょっと待ってろ」
「はい」
下駄を履いて戸を開ける。
がらがらという音がやけに大きく響いた。
「久しぶりだな、玲」
「!?」
玲は目を見開いた。
なぜ、ここにいる。
なぜ。
そこにいたのは——————
「兄、さん…………」
————お前は此処にいろ。
————嫌だ、一人にしないで……
————だめだ、俺は遠くに行く。金は送るから心配ない。
————やだよ。怖い……
————兄さんはもう行くから。
『じゃあ、な』