複雑・ファジー小説

Re: 忘却少女と言無竜 ( No.5 )
日時: 2011/06/07 22:53
名前: うnDne+ (ID: 0bK5qw/.)
参照: 実話ですww

目覚まし時計のけたたましいデジタル音が鳴り響いた。亜鶴は、布団の中から手をにょきっ、と伸ばして、手探りで小さな突起を押す。ついこの間、買って貰ったばかりの白いデジタル時計は、ピタリと音を止めた。なんだか大切なことを忘れてしまったような不安に駆られながら、亜鶴は覚醒する。

「?……布団?」

──そして、なんとなく違和感を感じた。
亜鶴の脳内に、扉の前で寝た記憶が蘇る。ガバッと半身を起こすと、やはりベッドの上。ついでに言うと、どうやったのか知らないが総重量百キロを超える本棚が退かされていた。非力そうな千歳が出来るとは思えないが、案外アドレナリンさえあれば、火事場の馬鹿力が出る可能性が無くもないので、そこはあえてスルーした。しかし、千歳の気遣いに、亜鶴は心なしか暖かな気持ちになった。
亜鶴はまだ、眠気の残る目元をごしごし擦りながら、布団を剥ぎ、フローリングの床に足を降ろす。とたんに、ヒヤリとした冷たい感覚で一気に目が覚めた。鳥肌がたつ二の腕を擦りながら、亜鶴は爪先歩きで部屋を出ると、右に曲がって洗面所へと向かった。だが、既に先客がいた。まさに、予期せぬ遭遇である。

「なんだ、起きていたのか。おはよう、亜鶴」

ガッシリとした体つきをした、現役数学教師の父──篭月夏希は、豪快に歯を磨きながら挨拶をしてきた。熊のような見た目に似合わない名前である。夏希の祖母は、昔は女の子っぽかったのよ、と言うが、その面影、断片すら残していないと思う。それにしても、なんとも器用な挨拶の仕方である。普通の人がやったら、聞き取れないか、歯磨き粉を噴出するかのどちらかであろう。

「おはよう。いつ帰ってきたの?」

洗顔クリームを手に出しながら、亜鶴はごく自然に恒例の尋問を始めた。白い腕を伸ばして蛇口を捻り、クリームを少し濡らして泡立たせる。

「さ、さあな。十二時くらいじゃないかな」

「ふうん。今日の三時……か」

吃りながら返答する夏希に、かまをかけてみた。案の定、図星だったようでそれきり押し黙ってしまった。亜鶴は、さっさと洗顔と歯磨きを済ませ、洗面所を去ろうとする。が、その前に鏡に映る自分の顔が目に留まった。厚めのパッツン前髪に、肩の位置で切り揃えられた黒曜石の髪。不自然に大きい藍の瞳。小振りな鼻。血の赫に染まる唇。そして、病的な蒼白い肌。何も変わっていないのに、何かを失ってしまった気がした。……いや、疲れているだけだ、と思い直し

「お先に」

と、フリーズする夏希を残して洗面所を後にした。