複雑・ファジー小説
- Re: 忘却少女と言無竜 ( No.7 )
- 日時: 2011/06/08 22:41
- 名前: うnDne+ (ID: 0bK5qw/.)
──午後八時二十六分。白いデジタル時計が示す。外はすっかり暗くなって、空は太陽を失った。空を厚い雲が覆い、辛うじて紅い月が顔を覗かせた。紅い紅い血のような、不吉を匂わせる色である。
虫の声一つせず、不気味な夜だった。
亜鶴は、ラジオから流れてくるいつか流行ったラブソングを文庫本片手に聞きながら、異変を感じとっていた。
またか──。
あまりにも酷い頭痛に、亜鶴は平衡感覚を乱し、ベッドに倒れ込んだ。時が経つにつれて、頭痛は悪化し、目眩までもがした。亜鶴の蒼白い顔は死人のように青ざめ、額にはべったりと冷や汗を浮かばせた。呼吸は荒く、肩を上下させている。指先が小さく痙攣し、文庫本を取り落とした。これは重病の初期症状なのではないか、という悪い予感が胸を過る。世界がぐるぐる廻りながら、捩れる。そんな感覚に恐怖を感じ、次の痛みの波に耐えるべく、目を固く瞑り、歯を食い縛った。
──いくら繰り返しただろう。気が付くと、発作は治まり、平衡感覚も戻っていた。
ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、一階から電話のコール音が聞こえた。だが、いくら待とうとも、誰も受話器を取る様子はなく、コール音だけが虚しく鳴り響く。こんな夜遅くに、誰だろう、と亜鶴は首を傾げながら、階段を降りた。どうやら、千歳と夏希は出掛けているらしい、灯りの消えたリビングの電気を付けた。部屋の隅に佇む、灰色の固定電話の受話器を掴むと耳に当てる。
「……もしもし」
一瞬間を置いて、電話に出た。
「あ、もしもし。亜鶴?」
返答してきたのは、少女の声。子供のようなあどけなさの残る、透き通った声。下の名前を呼び捨てで呼んできた。無遠慮にしても程があると思う。亜鶴は少しムッとしながらも、そうですけど……、と歯切れの悪い返事する。
「この前は本当にごめんね。あ、明日って暇?もし良かったら、一緒に遊ばない?最近出来たショッピングモール、行ってみたいから、どうかなぁ──なんて……亜鶴、聞こえてる?」
遊ぶ──?
人違い──?
言っていることが分からなかった。そもそも、亜鶴には心を許せる親友はおろか、友達すらいない。そんなこと、自分が一番自覚している。ならば、これは間違い電話に違いない。亜鶴は、勝手にそう決めつけ
「あの……。間違い電話ではありませんか?」
と訊ねていた。電話の向こうの少女は、困惑したように沈黙する。
数十秒後
「冗談キツいよ」
とただそれだけ返ってきて、ぷつっと切られた。ツーツーと冷たく無機質な音が、リビングに響く。
「意味分かんない」
亜鶴は溜め息混じりに、ぽつりと漏らした。同時に、受話器を電話の上に戻した。