複雑・ファジー小説
- Re: 妖異伝 ( No.14 )
- 日時: 2011/07/18 11:16
- 名前: 玲 ◆EzIo9fEVOE (ID: ICvI0sBK)
#08 ( 後悔先に立たず )
もう二度と来ないのだろう優子の両親が去った後。
ジュンは後ろに振り返る。
すると視界が捉えたのは、ピクピクと痙攣して頭を手に当てる優子の姿だった。
ドクンと胸が鳴る。ジュンは優子の傍へ近寄った。
そして抱きかかえたら、優子の微かな微笑みがそこに浮かんでいた。
優子を抱く両腕が、酷く震えた。——— とても嫌な予感が脳裏に浮かぶ。
「………………あたしね」
ゆっくり、自分の顔を見上げながら、優子が喋り出した。
「喋らないで」
「生まれてこなきゃ、……良かったんだね」
「そんなことない」
唇を噛み締め、力強く言った。
かぼそく消えかかる炎。
それは人間の目には普段は絶対に見えることがないロウソクと燃える炎が優子の傍に現していた。
人なざる存在のジュンが見えるロウソクとその炎。
その炎は弱々しく消えかけていた。
もうすぐ死ぬ意味だった。
何故だと頭の思考を繰り返し考えれば原因は全て優子の父親にあった。
思い出せば、優子を蹴飛ばした時に頭を強く打っていた。
ということは脳内出血が起きたのだろうか。
優子は『頭が痛いわ』と先ほどから言う。
みるみる、涙を目に溜め、零れ落ちる。
ジュンの右腕に涙の滴が伝い落ちて途中で儚く消えた。嗚呼もうすぐ死ぬことになるのか。
いつの間にかジュンも涙を零していた。
今まで生まれた時以外、泣いたことは、母親がまだ生きていたころ、何度もあったが、死んで以来。
何も泣いてなかった。
ただ生きることに必死だったからだ。
身寄りも親もいない。
天涯孤独の身に誰が信用するのだろうか。
何度も殺されかかった事が度々あった。
人間の闇の部分を何度も見てきた。その醜さを。
それを今考えれば今まで人間を信用することも、家に泊まる事も無かった。
それなのに。
優子の場合は違った、何にも自分を疑うこともなく、いつも明るく自分に接してくれた。
炊事や洗濯。色々と身の回りの世話をすると。
いつも笑ってた。朗らかに。
——— 嗚呼。
「あた……し、いつか、いつか。………ジュンくんと、また巡り逢えると、良いね?」
優子は微笑みを浮かべた後、静かにゆっくりとその澄みきった瞳を閉じた。
同時にそのかぼそい優子のロウソクの炎はスッと煙と共に消えた。
享年は分からなかった。
見た目からして十代前半だと推測は出来た。
がジュンは名前と、ある程度の素性しか知らなかったのだ。
ジュンは腕の中で息絶えた優子の亡骸を静かに粗末な布団に寝かせた。
優子の魂はまだ自分の傍、しいて言えば小屋のなかに居る。
自分のほうを見て悲しげに微笑んでいるのだった。
もうすぐ死神がくるだろう。
黄泉へ案内されるからね、とだけ伝えた。
やがてしばらくすれば死神が来た。
和服の似合う綺麗な女性の死神。
優子を黄泉へ連れて行こうとする死神の手をつかんだ。
「何をする気?」
「逝かせない」
冷め切った目の内に読み取れる、決意。
「閻魔大王様に、運命に逆らう気なの? —— たかが妖怪の身分で」
「…………だから、なんだ」
優子の父親の時とは違う低く底冷えする声だった。
死神は顔を歪ませ。キッとジュンを睨んだ。
優子はそんな二人をハラハラと見ているしかなかった。
争わないで、と伝えたいその言葉は虚しく空中に溶け込み消えた。
優子のそんな思いを無視するかの如く二人の争いは切って幕が下りた。
優子の魂を守るべく死神は優子を自身の背後に押し出し下がらした。
「好い加減にしなさいよ! あんたも長いこと生きてるから、分かってるんでしょ! どうせ人間なんか今蘇えらせてもあっという間に死ぬわ、生きようが無駄よ。あっという間に死ぬ存在。ただ醜くて無様で救いようがない生き物なのよ! 早く——— その娘は、諦めなさいよ!」
死神の女はジュンの頭を鷲掴みする。髪は絹のようでとても触り心地が良く。女は密かに綺麗な髪だと褒め称えた。
「嫌だ」
「子供じゃないでしょ! 見た目はガキだけど」
「煩い」
「何度も言ってやるわ! ガキ、あんたはまだまだガキよ!」
ジュンの腹を細い足で蹴り飛ばした死神の言葉とともに優子と死神は霧となる、
そして……消えていく。
消えかかる優子を助けようと手を差し伸ばしても。
優子がその手を取ることは二度となかった。
ジュンの顔が初めて歪んだ。そして目から大粒の滴が流れ落ちる。
泣く顔がとても、美しく思った、死神の女と優子。
地面に崩れ落ちるように座り込んだままピクリとも動かなかった。
自身の傍に、優子の抜け殻。
もう優子の魂の気は、ひとつも感じなかった。
ようやくやっと言葉に表せる感情があったのに。
あったのに、狂ったように何度も呟いた。
今まで何の感情なのか。
人間の心情や感情が良く分からないジュンが、初めて人間の感情に共感を抱いた〝感情〟だった。
初めて学んだ感情。あの子に、言いたかった言葉。
それは———
「……………好きだったのに」
出会ったころから惹かれてたのかも知れなかった。
悲しい境遇なのに、ひねくれることも悲観することも無く、ただ明るく生きている優子が、凄いと感じた。
自分には無い感情が、とても羨ましかった。
だからこそ惹かれたのかも知れない。
嗚呼。死神に逆らってまで手に入れたかった存在はもう既にこの世から消え去った。
少年はもう一度呟く。
好きだった、と———
そしてゆらりと立ち上がった。
そのまましっかりフラフラ、と歩き。
優子の抜け殻を残し、静かに茅葺小屋から出て行く。
戻ってくることは二度となかった。
もうすぐ夜明けになるころのことだった。
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