複雑・ファジー小説

Re: 妖異伝(獣妖記伝録より、ゲストさま出演中) ( No.70 )
日時: 2011/07/18 17:20
名前: 玲 ◆PJzDs8Ne6s (ID: ICvI0sBK)

  #08 ( 黒く染まる )


おかあさん、おかあさん。と目の前にいる女性を呼べば、優しく笑って頭をゆっくりと撫でてくれた。
気持ち良さそうにしている〝その子〟は抱きつく。
……余り感情を顔に表さない子だが、母親の目の前では甘える愛らしい子だった。
子供は、だっこ、だっこしてと舌足らずな口調で両手を振り上げる。
そんな子供に母親はすっ…と両腕を差し伸べた。


「おかあさん」


ぼんやりと薄れてゆく母の顔———……待って、と伸びる手の指先に母を、捕らえれることはなかった。
捕らえるどころか、空振りしたのだった。
それを………冷え込んだ雨水が、暖かな夢から一気に現実へ突き落す。
ゆっくり、と眼を開けた。まだ外は仄暗い。
大雨の所為で今は夜なのか区別できないのだ。
中の様子を伺う他ない。寝ぼけた思考を振り払い、目の前の現実を見る。
隣にいる二人は熟睡していた。

人間に見つかれば大騒ぎになるから、相当の早朝に出ていかなければ、絶対にただでは済まないのに。
寝ていた自分も言えたことじゃないが、寝ている場合ではない。
ジュンはまず最初に妖天を揺さぶった。
妖天はむぅ。という声を出してようやく眠りから覚めた。


「ふわぁ〜……良く寝たなぁ………んん?君も寝てたぞ、ジュン」


—— 人を(というか妖だが)を小馬鹿にしたような言い草にジュンはむっとした。……彼がそんな風に思ったのは久しぶりだな、とも冷静に考える。


「お前に言われたくないな。それよりも、もうすぐ行くよ」
「えぇ……?」
「お前だって分かってるだろう。もうすぐ……人間が起きる気配がするんだ」



妖天は寝ぼけた眼をこすりながら、隣に寝転がっている琶狐を起こす。
琶狐はすぐさま飛び起きて直ちに—— 麻紗子の家を離れていった。
もう一度、振り返れば雷雨と闇夜に支配された麻紗子の家は、やはり、何処か暖かさと冷たさが混じった、……どす黒く禍々しい瘴気のようなものを吐き出してもいる印象を与えた。




            ○




妖天たちと当てもなく明け方の間近に迫る、雷雨の世界をさ迷ってた。行く当てなど、何処にもない。
三人は放浪する自由気侭で奔放ほんぽうする旅人なのだからだ——………家など存在するはずがなかった。
ふと、ぴたりと足が止まる。
妖天はもう遠のいて見えなくなった家をじっと見つめてから言った。


「むぅ………あの家にぃ……禍々しい気があるなあ…………」
「人間の嫌な瘴気が混ざり合ってた……嗚呼、いやだ厭だなぁ」


二人が同時して言う。二人も伊達にあの家で何にも考えずに過ごしたわけではないのだ。
二人もしっかりと感じ取っただろう。
人間という存在を幾度も見たならば—— あの家に強い強い、黒く黒く染まった厭な、禍々しいと表現するさえも相応しくない。
強いて言うなれば、〝業〟があの家に漂っていた。
もうすぐ………何かが起こるだろう。

そう、何かが。




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