複雑・ファジー小説
- Re: よろずあそび。 ( No.19 )
- 日時: 2011/09/22 21:02
- 名前: カケガミ ◆KgP8oz7Dk2 (ID: WTkEzMis)
- 参照: 課題多すぎでしょ…。
* * *
人通りの数も皆無になり、遠くの大通りから微かに聞こえる車の音やスクーターの音を鼓膜で感じながら、僕と順平は対峙していた。それはまさに、親の敵を見るような目つきだった。
少し離れたところで、困ったように僕と順平の顔を交互に見ている八百子さんすら、今の僕たちの眼中には入らなかった。
八百子さんは慣れていないからこのような反応をするが、こういうことは僕たちの間で度々発生している。それはもう、初めてであった高校生の頃から、だ。
「二人とも……やめなよ……!」
とうとう耐え切れなくなったのか、八百子さんは搾り出したような声で止めに入る。しかし、僕と順平はそれに対して一切耳を傾けようとはなかった。順平にいたっては、彼女に対して睨みつけることさえした。
「黙ってなァ、ベジ子ォ……。こいつは俺と彰のプライドを賭けた勝負なんだよ……!」
「そんな、だからって……!」
「……八百子さん。悪いけど少し静かにしてて。温厚な僕でも、こればっかりは譲れないんだ」
そう、誰にだって譲れないものはあるんだ。それがどういった物かは各々違うが、短いようで長い人生の中でそれは必ず見つけられる。そして、やっとのことで見つけたものは、どんなことがあろうと手放したいとは絶対思わない。……自分で思っといてなんだけど、結構これは恥ずかしい……!
お互いの右手に握られている、唯一の武器。これこそが、己のプライドを貫き通す武器だ。
「行くよ、順平……!」
「来やがれ、彰……!」
目の前の敵を圧倒するべく、僕たちは武器を構えた。
「やめて……お願いだから……!」
それでも尚、八百子さんは止めようと訴えかけている。もうどうやっても、無駄なのに。
「こんな夜中に、いい年した大人がバドミントンするのは……!」
「ていっ!」
懸命な忠告も聞き流し、僕は全力でシャトルを順平の陣地に打ち込む。螺旋回転をして、直線軌道を描きながら僕の打ち込んだそれは、銃弾のように順平の右脇に飛んで行った。会心のサービスショットだと、僕は心の中でガッツポーズをとる。
——だが、そのショットを目の当たりにした順平の表情には、焦燥や不安など見られない。
「甘いんだよ……」
落ち着き払った声とともに、順平は右手にあるラケットの持ち方を、ウェスタングリップからイースタングリップに持ち直す。顔に似合わず、丁寧な対応をするものだ。……しかし、そうでなくちゃ面白くない。
奴はそのまま、自分の右下に落ちてくるシャトルにフェイス(シャトルを打つ部分)を合わせ、掬い上げる要領で打ち返してきた。
打つときのフォームから見れば、僕にとっての絶好球が来るであろうと予測できるが、如何せん相手は順平だ。曲がりなりにも運動能力が優れている奴が、そんな球を打つだろうか。——否、そんなはずは絶対ない。これ反語な。
案の定、奴の打った球は山なりの絶好球ではなく、僕の右後ろ——アウトライン限界の部分を狙った絶妙なショットだった。低い弾道から、何とも奴の性格の悪さがにじみ出ているのを感じ取る。
「面倒な所に打つな!」
しかし、ここで引いたら負けてしまう。僕は順平に悪態をつきながら落下点まで駆け出した。間に合うかどうかは、自身でも良くわからないけれど。
可能な限り落下点に近づき、足りない距離は腕をそこに伸ばして補った。結果、ラケットのフェイスの端を届かせることに成功した。
だが本番はここから。仮にこれで安心してしまい、打ち返せるという達成感に浸った状態でラケットを振ったら、シャトルはどういう風に飛んでいくか。……無論、それは相手から得点を奪えるものでは決してない。むしろ、相手にスマッシュを打たれる危険が発生してしまう。
こうなったら、こっちがスマッシュを——や、無理! この体勢からじゃあ、どう工夫しても強い打球なんか打てっこない……! じゃあ、せめてあっちのライン際ギリギリのところに打ち込む? 駄目だ。ほぼ十割ネットに引っ掛かるって! そのまま打ち返したら絶対の絶対に順平のスマッシュをもらっちゃうし、……ああもう、何でもっとこっちに来ないんだよ! ええい、こうなったら一か八か……!
そんなごちゃごちゃした思考をすべて捨て去って、僕は持てる力をすべて振り絞り、シャトルを上方向に打ち上げた。シャトルが落ちる寸前でラケットを振ったようなものなので、その際のシャトルに勢いはなかった。ただ機械的に、空に向かいつつも順平の陣地へ飛んでいく。
だが、それでいい。これが最善の一手なのだ。
「畜生……。えげつねえなあ、オイ」
これを見てその真意を察したのか、順平は苦虫を噛み潰したような顔で上空を見上げた。
奴は僕がもし打ち返せたとしても、自分にとって絶好球がくると思っていたのだろう。その証拠に、奴の立っている位置は自身の陣地の限りなく前にある。
僕の打った打球が順平の陣地に降って来る。ほぼ落下といっていいその軌道は、経験者ならいざ知らず、素人が打ち返すのは容易ではないのだ。打とうとしていたのが強い打球なら、尚更である。
結構高く上がったシャトルは、相当な位置エネルギーを得たはずだ。そして、力学的エネルギー保存の法則によると位置エネルギーは落下に伴い減少し、その分だけ運動エネルギーに変換される。
つまり、苦し紛れに打ったあの悪球であっても、重力を受けることによって勢いは想像をはるかに超えるものとなるのだ。
更に、今は真夜中なので上空は日の当たらない真っ黒に染められており、夜目が利く人間でないと視認することすら難しい。……打った後で言うのも何だけど、行けるんじゃないかこれ。
「あー、どこだシャトル——お、あれか。結構高く飛んでンなぁ。……落下地点は——ここだな。よし、準備オーケー」
少し期待した直後にこれかよ。
どうやら順平は既にシャトルの落下地点に入っており、ラケットを構えてシャトルを迎え入れる体勢に入っていた。
で、でも、九十度近い角度で落ちてくるシャトルで強い打球を打つのは——って、ちょっと待ってウェイウェイウェイ! 何その「今から百八式まであるような、とんでもない打球を打ちますよ」とでも言いたげな振りかぶり方は。嘘だよね? 地面にめり込んじゃうようなスマッシュを打つつもりなんて毛頭ないよね? まずいまずいまずいどうしよう……!
その焦燥が顔にでも出ていたのか、順平は口の端を吊り上げて不敵な笑みを見せる。
「おいおいおいどうしたァ? ピッチャーびびってる、ヘイヘイヘイ! ピッチャーびびってる、ヘイヘイヘェイ……!」
ついにはラケットを遊ぶようにくるくると回し始めた。余裕綽々といった態度が僕をイラつかせたが、如何せん今はそれに注意を向けている余裕などない。
あいつの行動には嘘や騙しがない——そう、一度決めたことは決して曲げないのだ。
故に、順平がスマッシュの動作を見せたなら。奴は百パーセントの確率でそれを実行する。
「万事休す、か……」
——と、覚悟した矢先のことだった。
目の前——順平より奥の方から、何やら白く光る丸のようなものを確認する。初見では何でもないと思い、僕は再び視線を順平に戻した。
電球だろうか。……まあ、気にすることでもないかな。そう心で呟いた刹那、「何でもない」という考えが根本から覆された。
ふと、それから発せられているであろう音が僕の鼓膜を揺らす。
音そのものだけを聞いてみれば、それはバリカンの振動音のような、夏場に大量発生するアブラゼミのような音である。——だが、その音はそれらとは似て異なり、本能から生じる危機感を感じ取ってしまう代物だった。
「……蜂?」
独り言のような声で、八百子さんが呟く。
そう、蜂だ。それもとびっきり危険な、スズメバチの羽音。
スズメバチの羽音を奏でながら、それは僕の目の前いる男——四ツ谷順平の背後へ突っ込んできて、
「こんな時間になんやってんだクソガキ共ぉぉぉぉぉ…………!」
そして、そのまま順平を撥ね飛ばした。
「がっ……」
撥ね飛ばされた順平はというと、スマッシュを打つことに全神経を集中させていたせいで背後への警戒を怠っていたのか、唖然とした表情を浮かべながら一メートル程吹っ飛ばされていた。それから前のめりにアスファルトへ身体を叩きつけられ、うつぶせに倒れ伏した。……ちょっと、こいつ動いてないんだけど。
今度は撥ね飛ばした方に目をやる。
明るい黄色のボディと、砂利道を走るには向いていなさそうな車輪を持ち、マフラーから発される蜂の羽音のようなエンジン音が特徴的なスクーター、ヴェスパである。そして、そのサドルに跨ってブレーキを握っている一人の人間がいた。
「オラオラァ! 近所迷惑も考えねえクソガキに天誅だァッ!」
薄茶色に染め上げられた、清潔感をあまり感じられない髪。獲物を狙う鷹のような鋭い目つき。健康そうな四肢に、それを包むオレンジ色のツナギ。
彼女こそ、僕の住むアパートの管理人——十坂由紀その人だった。