複雑・ファジー小説
- Re: よろずあそび。 ( No.20 )
- 日時: 2011/09/22 21:06
- 名前: カケガミ ◆KgP8oz7Dk2 (ID: WTkEzMis)
- 参照: 休んだ気がしない希ガス。仙台の代ゼミ行ってました。
十坂さんはブレーキを利かせてヴェスパを停止させると、それに跨ったまま僕と順平を睨み付ける。元々鋭い目つきが更にきつくなっている彼女の睥睨は、反論すら許さない迫力に満ちていた。
言えない……。ヴェスパのエンジン音だって近所迷惑だなんて絶対言えない……!
「あの、そのスクーターも結構五月蝿いと思うんですが……」
僕の本音を漏らしたような意見。しかし、僕はそんなことを言った覚えは全くない。というか、言えるはずないでしょ? さっきの事故(故意だけど)を見れば判ると思うけど、あの人の容赦のなさは常識を遥かに凌駕しているんだ。そんな彼女に盾突こうものなら、そこの順平のようにアスファルトとキスする羽目になるに決まってる。
言ったのは僕ではなく八百子さんだった。彼女は十坂さんの威圧感に圧されたり怯えたりすることなく、まるで問題の答えが判らない小学生が、それを先生に聞くような態度で首を傾げていた。
「ああ?」
それに眉間を寄せて睨み返した十坂さんだったが、何か確かめるように八百子さんの全身を眺め、やがて思い出したように表情を明るくさせる。そうしてから、彼女はヴェスパのエンジンを切った。
「……おお、ヤーコじゃねえか! しばらくぶりだなあ、オイ!」
「ふふ、由紀先輩も相変わらずですね。お元気そうで何よりですよ」
「どの位ご無沙汰してたっけ。最近は月イチで帰ってきても顔は合わせてなかったしな」
「本当です。全くもう、毎回帰ってくるタイミングが深夜だからじゃないですか?」
「あっははははははは、ゴメンなー!」
……ええと、あれ? 何? 何なのこのほのぼのした空気は。僕はてっきり血の雨でも降りそうな状況だと思ってたのに。英語で言うとブラッド・レインね。
それなのに、……え? ゴメン、ちょっと話が見えないんですけど。というか、さっきから僕の存在が忘れられてない? 話題から置いてきぼりにされてるんだけど、さ。誰でもいいから僕に説明してくれないかな?
そう思ってはいても、十坂さんはおろか八百子さんまで会話に夢中になっており、僕の存在を気にも留めていない様子だった。無論だが、順平は論外だ。
「あの、二人ともお知り合いなんですか?」
仕方がないと肩を落とし、二人を見てそう話しかける。
「そりゃあそうですよ。一応隣家だからね」
優しく答えてくれたのは言うまでもなく八百子さんである。彼女は十坂さんが管理する賃貸アパートと八百屋——八百万を交互に指差しながら、僕に穏やかな表情を向けた。
「それで、由紀先輩は私の高校時代の一つ上の先輩なの」
「と言っても、あたしは中退したんだけどな!」
後ろめたさを微塵にも感じさせない笑顔で、被りっぱなしのヘルメットを手で押さえながら十坂さんは八百子さんの隣に立つ。
「学校なんて退屈だからよ。だからほら、お前も知ってる通り今はこうして自由人やってんじゃん? 当時はヤーコも誘おうと思ったんだけど、何かこいつ、なりたいものがあるとか言って聞かなかったんだよな。ええと、」
そして、彼女は考えるように空を見上げ、答えに至ったような表情で僕を見てきた。
「そうそう、確かしん——」
「由紀先輩……!」
不意に轟く、怒号。
それは十坂さんの言葉を意図的に打ち消そうとしたもののようだ。真夜中だというのに、周囲の大気すら鳴動してしまうほどの声を八百子さんは出していた。
当の本人——声を張り上げた八百子さんはというと、一瞬だけ自分でも良く判らないと言わんばかりに目を丸くさせ、やがて我に帰ったのかはっとして顔を上げる。それから取り繕うような乾いた笑い声とともに、両手のひらを顔の前でぶんぶんと振った。
「——あ、いやいやいや何でもないです! 何だかごめんなさい、びっくりさせちゃって!」
それに対して、僕と十坂さんは戸惑いながらも頷くしかなかった。
このときの八百子さんが、今にも泣きそうな顔をしていたと思うのは杞憂だろうか。
「……なるほどな。だから八百屋なんてやってんのか」
暫くして、十坂さんは何か納得したようにため息を吐く。何が判ったのだろうかとふと思ったが、ここでそれを尋ねるのは場違いだろう。
「いいさ、駄弁のもここまでにしとこう。本題も忘れる前ところだったしなぁ」
そして彼女は言うが早いか、僕の顔を自分の顔の横まで引き寄せる。
完璧なる容姿端麗の代名詞——八百子さんと同等とは言えないが、健康的な色気を振り撒く美人こと十坂さんに抱き寄せられ、刹那の時間だが心臓がどくんと跳ねる。だが、彼女が切羽詰ったような苦笑いを浮かべながら僕の耳元で囁いた一言で、そういった感情は一掃された。
「……悪い。今月は早くも軍資金が底をついた。後生だからカンパしてくれ……!」
……もう、ため息しか出てこないよ。
「……というか、何で僕にそれをを求めるんですか。十坂さんがその気になれば大勢の諭吉さんがガマ口に入って来るでしょ? それはもう、クワガタとカマキリとバッタを組み合わせたような姿の仮面の戦士のように」
「察してくれよ。あそこには頼りたくないんだよなぁ……」
「だからって、貧乏大学生を金ヅルにするのはどうかと」
「きゃー! アッキー素敵! 中性的イケメン愛してるゥ!」
「…………」
……もう、ため息すら出てこないよ。
* * *
結局、僕は渋々といった態度で十坂さんに万札を二枚ほど貸す羽目になってしまった。漸く貯金が出来るような生活になってきたと思ったのに……!
十坂さんはばつが悪そうに笑い、受け取ったそれらを乱暴にツナギのポケットに押し込んだ。財布すら持っていないとは、彼女は女性というより人間として無頓着すぎる嫌いがあるように思える。
「本当にゴメンなー、アッキー。どうにかお礼しなくちゃな。……んー、何かあったかー?」
そう言い、彼女は着ているツナギのポケットというポケットの中を漁りだした。こういう誠実で律儀なところは尊敬できるが、如何せん十坂さんのことだから期待よりも不安の方が強く感じる。
「……お、ほらアッキーお礼だ。パース!」
「え? ……うわっ!」
彼女の手から放られたそれは、放物線を描いて空を舞う——ことの出来るような重量を持ち合わせていなかった。それは紅葉した木の葉が落ちるかのごとく、取ろうとする僕の手のひらから逃げるように地面に落ちる。
くぅ……、カッコ悪い……! 心の内で赤面しつつ、地に落ちたそれを僕は拾い上げる。どうやら何かの引換券のようだ。
「来る途中で貰ったんだ。よかったら使えよー?」
十坂さんはそう言い、僕がお礼を言おうとする前に今度は八百子さんの顔を見た。
「んじゃ、ヤーコ。あたしはそろそろ行くよ」
「……はい、また会いましょう。道中は気をつけてくださいね?」
「判ってるよ。……それと、さっきはゴメンな? 流石に無神経だった」
「大丈夫、気にしてませんから」
「……さんきゅ」
会話を終え、手でヘルメットの位置を直し、再びヴェスパのエンジンを入れる。そうしてから、彼女は僕に無邪気に笑いかけた。
「じゃあ、アッキー。マスターキーはいつもの所に隠してるから、無くならないように見とけよ?」
「自分で管理して欲しいけどね。……まあ一応、判りましたよ」
僕がそう言うと、彼女は安心したように頷いてヴェスパに跨った。
「おしっ! んじゃ、行きますか!」
彼女がアクセルを捻ると、ヴェスパはスズメバチの羽音を奏でながら車輪を回転させる。そしてそのまま、アスファルトの道路を走っていった。
十坂さんの背中が夜の闇に消えるまで見送ってから、ふと思い出して視線をアスファルトにやる。その先には先ほどの交通事故で動かなくなった被害者——順平がいた。……そう言えば忘れてたな。そう苦笑して足元に落ちてた小石を拾い、うつ伏せで倒れている奴の背中目掛けて投げてやった。
「順平、起きてるでしょ?」
「…………」
のっそりと、不機嫌そうに順平が立ち上がる。挙動を見る限りではいためている箇所はなさそうだが——って、ちょっと待って。時速四十キロは出ていたであろうスクーターの追突を受けて、何で普通に立ち上がることが出来るのさ。こいつ、化け物か……?
奴のタフさに驚き呆れていた僕だが、安否を確認しないで置くのは人として同化と思われる。そのことに気がつき、とりあえず聞いておくことにした。
「大丈夫? ケガとか……さ」
その言葉を奴に投げかけてから、数秒。未だに返答は来ない。……無視かよ。
立ち上がってから順平はがっくりと肩を落とし、哀愁漂う背中を見せつけながら離れていく。あれは怒っていると言うより落ち込んでるように見える。その様子を見て、僕は珍しく心配してしまう。
「……帰って寝る。今日はもうシンドイ」
ため息と共に順平が言葉を吐く。その声のトーンは下がっていて、憶測でしかないものが確信へと変わってしまった。アレは絶対、確実に落ち込んでる……!
ていうかアイツ、今日は僕の家に泊まるんじゃなかったっけ。まあ、帰るって言ってるんだから、それを引き止めるのは野暮だよね。……それにしても、何がアイツをあそこまで落ち込ませてるんだろう。いつもなら「事故る奴は……、不運(ハードラック)と踊(ダンス)っちまったんだよ……」とか言いそうなのに。
「……スマッシュ」
立ち止まりながら、ぼそりと奴が呟いた。
「え?」
「最後のスマッシュ。決めらんなかった……」
子供か。
ツッコミをしたい衝動に駆られたが喉の辺りでぐっと堪え、生まれたての可哀想な子馬を見るような視線を送ってやる。
十坂さんが行った方向とは逆の道を行き、順平も薄暗い夜に消えていった。この間、一帯の空気は心なしか冬並みの冷気を帯びていた気がする。飽くまで、気がするだけだが。
結果その通りに残った人間は僕と八百子さんだけになってしまった。どうにかこの場の収拾を付けようと、僕は八百子さんの顔を見て、何を言おうか必死に考え始める。
「や、八百子さん。どうかしたんですか? ほらさっき、急に怒鳴ってから……」
って、違ぁぁぁぁぁぁぁう! 必死に考えた結論で何口走ってんですかぁぁぁぁぁ! ああもう馬鹿じゃないの? 馬鹿じゃないの? 馬鹿じゃないの? 馬鹿じゃないの? 馬鹿じゃないの? むしろ馬鹿だろ? うううあああどうすればいいのさ。むしろどうすれバインダー……!
「……やっぱり、気になります?」
「ええ、まあ、はい……」
や、気にはなるけどそうじゃないでしょ? 何深く聞こうとしてんのさ。どんだけデリカシーもモラルもないんだよ……!
僕の反応に八百子さんは少し困惑した様子を見せる。やはり、迷惑なのだろうか。彼女の中はどうやら葛藤があるようで、どうしようかという慮る態度が火を見るより明らかにそれを物語る。
軽い唸り声を漏らしながら数秒、数分が経ったかもしれない。やがて彼女は心の中にひとつの答えを出したようで、顎に指を当てたまま僕の両の瞳を見据えた。
「彰くん、……明日暇かな?」
「順平が帰っちゃいましたからね。結構暇なんです」
何のことかと思ったが、波風立てたくはないので素直に答える。
「じゃあ、よかったら明日私とデートでもしない?」
「……へ?」
我ながら、何とも間抜けな声を出してしまったんだろうか。そのまま、思考が真っ白に染め上げられ、脳の機能がそのまま一時停止した。
そういった反応——つまりは無反応を示していたら、言いだしっぺの八百子さんすら恥ずかしそうに頬を、と言うか顔面を染めた。
「い、いやあの、少しは反応してくれても良いじゃないですか! いいい言ってる私だって、台詞を外したら結構恥ずかしいんだよ?」
「外したって何ですか外したって! 渾身の一発芸か何かですか! そりゃあ、いきなりあんなこと言われれば誰だって反応に困りますよ!」
「と、とにかくっ!」
咳払いをひとつして、彼女は会話の勢いを無理矢理止めた。
「明日、朝の十時に隣町の駅前に集合、決定! いいね?」
「ええ……?」
「じゃあお休みっ!」
そう言って、八百子さんは逃げるように八百万の中に戻っていった。静寂が支配する深夜の中に、僕だけが取り残される。何故か、世界から取り残されたような孤独感を感じてしまう。
もう、何が何だか判らない……。
僕はただ、そう絶句するばかりであった。
第一章『非日常と僕』了