複雑・ファジー小説

Re: よろずあそび。  ( No.24 )
日時: 2011/09/22 21:09
名前: カケガミ ◆KgP8oz7Dk2 (ID: WTkEzMis)
参照: やっとです…すいません

第二章  非日常の入り口


 カーテンの隙間から、やや冷気を帯びた朝の空気が部屋に流れ込む。
 その空気もとい風を受けたことで、ベッドで安眠していた僕は不機嫌に眉をひそめながら目を覚ます。安息日である日曜日は二度寝へと洒落込みたいところであるが、今日が何の日であるかを思い出した刹那、そんな欲求はい一抹にも残らず消滅した。
 僕は目を大きく見開き、外敵を発見した猫のような俊敏さでベッドから上体を起こした。元々朝に強いとは言えない僕だが、今日は普通とは違う。
 そう、昨日の八百子さんの一言だ。
 嘘か、真か。どちらにせよ、あの言葉が意識せざるを得ないものだったというのは変わらない。
 それを、頭を抱えながら心の中で反芻してみる。……何だったんだ、あれは。酒を飲んだ覚えもないのに、朝から頭が重く感じる。
 とりあえず現在の時刻を確認しようと携帯電話を取り出す。——七時半過ぎ。

「暇な休日にこんなに早く起きたことないのに……」

 そうため息を吐きつつ、朝の身支度こと、洗顔や歯磨きをするべく洗面台へ向かおうと立ち上がる。僕は朝には弱いが、それを引きずろうとは思わない。
 洗顔、歯磨き、整髪、その他。
 継続は力なりとはよく言ったものだ。今まで毎朝欠かしたことのないこの習慣は、意識ははっきりせずとも身体は覚えているようで、スムーズに行うことが出来る。
 時間を掛けてそれをして、意識も鮮明になってはっきりしたところで、タンスから今日一日を過ごす衣装を探す作業に入った。
 うう……ん、こういう経験ってないから、どういう服を着て行ったら良いのか判らないな……。Vネックにカーディガン——は寒すぎるよね。明らかに薄手だし。インナーは一枚で厚いパーカでも着るかな。でも少しラフすぎるような……。ええと、ドレスシャツを中に、ベストにループタイ? ……気障っぽいから止めとこう。ホストか。
 ファッション誌など買ったこともない僕には、まさに未知の領域であった。助言してくれる人間が居ればいいのだが、如何せんそういった友人も僕の心当たりにはない。

「あー! 誰かヘルプミー!」

 そう叫んだ瞬間、僕の部屋の呼び鈴が鳴る。あまりにもタイムリー、どんぴしゃりな出来事だったのでびくりと身体が反応してしまった。別段驚くことでもないのだが。
 こんな朝早くに誰だろうか。宅配便? 大学の友人? 新聞屋やその他? 兎にも角にも行ってみなければその正体は判らない。
 待たせるわけにはいかないと玄関まで駆け足で向かい、腕を伸ばしてドアを開けた。

「はいはい、どなたですか——って」

 僕は扉の外の彼を珍しげに見る。そこには目の下のクマが目立つ、目つきが鋭い青年が立っていたのだ。

「春日! 珍しいね、どうかした?」
「……ん、これやる」

 目つきの鋭い青年の名前は六道春日、このアパートのもう一人の住人だ。彼は同い年の僕が通っている大学を受験したが合格せず、浪人生活を送っている。表面上は無愛想だが、気配りの出来る優しい性格を知っている僕にとってはいい友人である。
 春日が抱えていたそれを、僕は確認して受け取る。それは段ボール箱で、中には赤々と熟れていて美味しそうな林檎が十数個入っていた。

「……実家から届いた。一人じゃ食べきれねえし、半分だけ」

 いわゆるお裾分けと言う奴か。その量に少々驚きつつも、感謝の気持ちを忘れずに笑顔で応える。

「これで、半分なのか……。ありがとう、頑張って食べるよ」

 食材無くなった直後だから嬉しいんだけど、悪くなる前に消費できるかな……。ジャムにでもして、暫くは似非アップルパイでも作って食べよう。
 似非アップルパイとは、餃子の皮に林檎ジャムを入れて油で揚げて作る、自分で考案した創作料理だ。餃子の皮のさくさくした触感と林檎ジャムの甘さが、アップルパイを連想させるほどの美味しさだったのが名前の由来である。ちなみに順平が命名した。

「……それにしても、何かあったのか? 普段静かなお前が朝早くに騒ぐなんて、今まで前例がないからな」

 僕に林檎を渡した後、春日は嘆息して聞いてきた。表情を見る限り迷惑だとか五月蝿いだとか、そういった文句を言いに来ているわけではなさそうだ。

「ああ、ちょっとね。……こんなこと聞くのもアレだけど、春日ってファッションのこととか、詳しい?」

 駄目で元々、運が良ければ儲け物。そう軽い気持ちで尋ねた僕だったが、対する春日は自分のことのような真剣さで考え始めていた。最近常々思うのだが、春日が大学を落ちた原因はこの底のない慈愛にあるのではないかと思えてくる。

「……俺はあまりこういうのは得意じゃない」

 やっぱり駄目かな。……まあ、真摯に悩んでくれただけでも嬉しいけどね。

「……だけど、」
「だけど?」
「……知り合いに得意な奴がいる。呼んでみるか?」

 これである。どこまでも他人に優しさを絶やさないのが彼——六道春日という人間なのだ。……その内、振り込め詐欺にでも引っ掛かりそうだよね。

「ええと、そうだね。折角だしお願いするよ」

 ここまでしてくれたと言うのに、それを台無しにするわけにはいかない。丁度困り果てていたときであったことという事もあり、その好意に甘えてみることにした。
 僕の了承を聞いて春日はすぐに携帯電話を開いて、恐らく知り合いとやらに掛け始めた。

「…………」

 相手に繋がるまで彼は無言だったが、別に気まずいなどという雰囲気ではなかった。やがて繋がったようで、彼は口を開く。

「……あ、今良いか? 朝早くに悪いな。……うん、おはよう。……ああ、少し用事。今から俺の家まで来てくれないか。……いや、俺じゃなくて。……そう、隣人。……え? 何の用事かって? ……お前確かファッションのこととか詳しかっただろ。つまりはそういうことだ。…………うん、よろしく頼む。……ああ、また後で」

 そこまで言って春日は電話を切る。彼はその手際の速さに呆けている僕の顔に気づくと、少し吹き出すようにして笑った。

「……くくっ……。何だよ、その顔」

 不意に指摘され、僕はそのことを恥じた。頬に血液が上ってくるのも判る。……あー、うう。何々何だよ何なんですか。笑わなくてもいいじゃないの。間抜けな顔をしていた僕だって悪いけどさぁ……。
 そういった不満を顔に出したせいか、春日は肩をすくめ、やれやれといった表情で嘆息した。

「……悪い。もう数分で来ると思うから、勘弁してくれ」

 そこまで怒っている訳でもないのだけれど。……やはり、彼の慈愛は底なしだ。
 ファッションに詳しいという春日の知り合いがここへ来たのは、それから十数分後のことだった。

 * * *

 アパートの目の前に、見慣れない青色の自動車がエンジンを嘶かせて走ってきて、駐車場のないアパートに寄せるように停車した。あれが春日の知り合いなのだろうか。
 運転席から一人の男性が降りるのを確認する。純白のドレスシャツを着ていた彼は近くで見なくとも、異性に好かれそうな人間のであるということを理解した。オーラや雰囲気のようなものだろうか。これを理論的に説明するのは容易ではないが、そう思ったのは確かである。
 その男性は錆び付いた階段を上って僕たちの存在を見るや否や、片手を軽く挙げてホストないしはアイドルよろしく、女性を虜にしそうな爽やかな笑顔を向けてきた。何故だか僕は、その笑顔が眩しく見えたかのように錯覚する。

「やあ春日、遅れてしまってゴメンネ。何せ寝起きだったからサ」

 気障っぽい口調で男性が口を開く。彼の顔は、僕のイメージ通り優男風の顔立ち——いわゆるイケメンであった。
 そう分析していると、彼は藪から棒に身を乗り出して僕に顔を近づける。

「それで、君がファッションを教えてほしいんだネ? ……ふむ、中々体型も綺麗だし、顔立ちも整っている。これでファッションも習得すれば、並以上にモテそうだヨ」
「え、ええ?」
「んー、顔つきはどちらかと言えば中性的。となると、無理に男らしさを強調するのはマイナスになる。綺麗にまとめるだけで魅力は引き立つのは火を見るより明らか。シンプル・イズ・ベストだネ」

 彼はこちらの反応もお構いなしに彼は事を進めていく。飽くまで自分のペースで話を続けようとするその姿勢に、僕は絶句している他なかった。
 その魂の抜けたような僕の顔を見ると、彼は唐突に顔を離して元の位置へ戻り、爽やかな微笑を浮かべた。

「おっと、自己紹介がまだだったヨ。ボクの名前は三神翔太郎。そこの春日が目指している大学の一回生なのサ」

 三神翔太郎、それが彼の名前だった。