複雑・ファジー小説
- Re: よろずあそび。 ( No.28 )
- 日時: 2011/09/22 21:13
- 名前: カケガミ ◆KgP8oz7Dk2 (ID: WTkEzMis)
- 参照: 喉に効く薬ってなんでしたっけ?
「……ぷっ、く、ふふ……」
「……え?」
笑った……? そういう予想とは違う三神の反応に、僕は思わず聞き返す。
「くっ……ふふふ……、ごめ、笑うはずじゃ、くくくく……、ちょ、ちょっと待って……、……ふう」
何やら知らないが、彼は腹と口を押さえつつ声を殺して笑っていた。そしてどうにか息苦しそうな荒い呼吸を整えるように深呼吸を数回行ってから、漸く呼吸のペースを正常に戻した。見ると、彼の目尻にはうっすらと涙がたまってるように見える。
……僕って馬鹿なのかな? 三神が笑い出した理由が判らないなんて。や、割かしマジで皆目見当つかないよ? ちょっと、さ、待ってよ。ねえ? 僕の言動のどこに笑える要素があったのさ。僕だったらお笑い芸人が渾身のギャグをしてもここまでは笑わないよ?
そういった奇異な視線を三神に送っていると、彼はまだ笑いを抑えたまま言葉を発した。
「キミさ、何て言うか、基本的思考回路が馬鹿だよネェ!」
「……は?」
「や、だからサ。キミって一々物事を考えすぎてるっていうか、別段深く考える必要のないことまで余すことなく慮ってるよネ。初対面だけど、キミは内面が露呈しやすい性格だったから判ったヨ」
——何が何だかはっきりと物事が把握できていなかったが、怒りという感情が心の根底から湧き上がってくる気配を感じ取る。
「そんな言い方……!」
僕は自分の眉間に微かな皺が寄ってるのを認識する。明らかな不機嫌な表情が僕の顔に張り付いていることだろう。罵倒されることも覚悟していたはずだったが、その感情の動きに抗うことが出来なかったのだ。そしてそれを見た三神はたじろぐ——ことなどあるはずもなく、それどころか僕を茶化すようにけらけらと声を上げて破顔しだした。
「ネェ、キミは一々理由がないと差し出された手を払い落とすのかナ?」
「……どういう意味さ」
「言葉通りの意味サ。……例えるなら、それ」
そう言って三神が指差した先を目で追うと、そこには先ほど春日から貰った林檎の入った段ボールがあった。
「見る限り春日から林檎を貰ってるようだネ。で、そのときキミは春日に問い詰めたかい? ……『何で自分におすそ分けなんてするんだ』って」
「言う訳ないじゃないか! 失礼な——」
——反論。駄目だ。そんなの見つかりっこない。あれは、三神の言っていることは、完全無欠な正論なのだから。そう思うと同時に、僕は自分が発した先刻の言葉がどれだけ彼の良心を傷つけたか判った。
「……ゴメン」
理解してから即座に後悔、自責などの様々な感情を取っ払って謝罪する。しおらしくなってしまった僕の態度を見て、やれやれと言った面持ちで三神が嘆息する。
「いいヨ、判ってくれただけでも嬉しいからネ。それに——」
ぴりりりり、ぴりりりりと鳴り響く、単調な電子音。もしかしなくともそれが携帯電話だと理解した。その着信音の長さからして、恐らくはメールなどではなく通話のほうだろう。
その音に颯爽と反応を仄めかしたのは僕だったが、如何せんこの電子音は僕の携帯電話には登録されていないものだった。
「……ボクか」
僕の様子を見てから、三神はその電子音が自分の携帯電話から発せられているものだと把握し、ポケットから二つ折りの携帯電話を取りだす。会話を遮られたことによるものか、彼は不機嫌の色を見せていた。
三神は器用に片手で携帯電話を開いて通話ボタンを押し、通話口を耳に当てる。
「もしもし」
そうトーンの下がった声で電話に出てから、コンマ一秒後——
「あ、リンちゃん? オハヨー……え? いやいやまさか! 朝からキミの声が聞こえて嬉しい限りだヨ! ……声? あはははは、ちょっとキミからの着信にビックリしちゃってネ。……今から? うん、いいヨ。……はは、しょうがないなあ。……うん、最近はニュースでも物騒だしネ」
機嫌の悪そうな面影は、コインの表裏をひっくり返したような態度と声色に豹変した。
え、えええええー……? この変わりっぷり……まさか二重人格の類の人ですか? さっきまでのシリアスな空気はどこに行ったのさ。というか、今の激変で三神に対する尊敬のイメージが瓦解したんだけど……。
「……うん、うん。……だネ、それじゃあ、また後で」
数分間に亘る女(であろう)の人との通話を終え、携帯電話をポケットに仕舞い直して愉快そうな喜色満面をこちらに向けた。
「と、いう訳だ。悪いけど行かなければならないことになってネ、ここらでお暇させてもらうヨ」
「え、あー、うん。ありがとね。色々……さ」
「本心からそう思ってくれてるみたいだネ。それならボクも手伝った甲斐があったヨ! ……あ、そうそう」
「ん?」
「どうしてもギブアンドテイクをしたかったら、明日の学食の日替わり定食。それを奢ってくれればそれでいいサ。……じゃあネ!」
軽く手を振ってそう言い、彼は疾風の如き素早さで僕の家を後にした。玄関の扉を閉めてから十数秒もしない内に、三神のものであろう自動車のエンジンの音が部屋の空気まで鳴動させた。なんという行動力だろうか。
「……ふふっ」
その様相に僕は思わず、自分だけしかいない部屋の中で笑いを零した。
* * *
自分の賃貸アパートを出てから、アルバイトの塾や大学へ続く道とは逆の方向に歩いて信号を二つ三つ渡れば駅が見える。その駅を通る電車に乗って隣町へ降り立った僕は、携帯電話を開いて現在時刻を確認した。——まだ約束の時間まで三十分以上もの時間を持て余していることを認識する。
早く着きすぎたかな。と思惟してから、取り合えず待ち時間の間に何か飲み物を買っておこうと思い立って、駅の出口にある自動販売機へ足を運ぶ。
歩きながら財布を取り出して自動販売機の傍まで近づくが、先客がいた。
先客は二十代になるかならないかの小柄な少女で、背中を自動販売機に預けながら彼女は、目深に被ったキャスケット帽子の影より覗く灰色の瞳を空に向けていた。僕はその容貌から、明らかに日本人ではないということを知る。
一見して何故言い切れるのかと言うと、答えは明快。目の前の少女は僕の知る人間だったかである。
「……キャサリン? 奇遇だね」
「……おや、彰。街中で顔を合わせるとは稀有なこともあるものだ」
目の前の少女は背中を自動販売機に預けたまま、視線だけをこちらに向けてそう言った。
彼女の名前は九城キャサリン。僕と同じ大学に通う同期生でドイツからの留学生で、法務局に帰化を申請するくらいにこの日本という国を気に入っているらしい(本人談)。
ちなみに彼女の本名はカタリーナ・ノインシュロスというのだが、何故このような変な名前で呼ばれているかというと、彼女のファミリーネームの『ノイン』は日本語で『九』を意味し、『シュロス』は日本語で『城』を意味する。そしてファーストネームの『カタリーナ』は英語で読むと『キャサリン』となるからだ。
本人曰く「日本人のようで良い」とのことだから、彼女の友人は基本的にこちらで呼んでいる。
キャサリンは手に持っていた飲みかけのお茶が入ったペットボトル(二百八十ミリリットル)の口を閉め、肩に掛けている鞄に仕舞いこんだ。
「ふむ、服装からかなりの気合を感じるよ。まさか女の子とデートかい?」
「……まあ、ね」
僕は彼女の視線から逃げるように顔を背けて答える。問いかけに肯定して言うのも気恥ずかしいのだが、八百子さんが言った言葉だったので否定は出来なかった。
「君にも異性に対して興味を持つとは、流石の私も一驚せざるを得ないね。……些か同性愛者かと懸念していたこともあったが、どうやら杞憂のようで安心したよ」
「誰が同性愛者だよ」
失敬極まりないキャサリンの発言に一抹の苛立ちを覚えた僕は、彼女の脳天目掛けて戒めるように軽く手刀を下ろした。それによって彼女の被っているキャスケット帽子がずり下がる。元々目深に被っていたものだがサイズが少し大きいものであったため、両眼そのものまで隠れてしまった。
「きゃっ!」
それを受けた彼女は咄嗟に起きた出来事に駭然とした様子で声をあげる。普段落ち着き払った態度を崩さない彼女には珍しく、まさに少女といった声だった。
キャサリンはずり下がってしまったキャスケット帽子の鍔を掴み、慮外者を見るような目つきを露にしながらそれを元の位置に戻す。その際、彼女の綺麗な銀髪がふわりと揺れるのを見た。