複雑・ファジー小説

Re: よろずあそび。 ( No.7 )
日時: 2011/09/22 20:33
名前: カケガミ ◆KgP8oz7Dk2 (ID: WTkEzMis)
参照: 乱数計算って、思ったよりつらいですね。

* * *

 今年の四月から、もう何度見たことだろうか。僕の目の前にあるのは、見飽きた賃貸アパート——自宅だ。
 お世辞にも綺麗だとか、快適そうだとか言えないが、家賃の割りに中々上等な暮らしが出来ることに気がつき、当時は即決で決めたものだった。
 部屋の数は管理人の部屋も含んで全部で六つ。一階に三部屋、二階に三部屋。僕の部屋は二階だ。ちなみに、今現在この賃貸アパートに住んでいるのは、僕と管理人も含めて二人しかいない。
 この言い方だと僕と管理人だけに聞こえるが、実際には違う。
 一人は僕で違いない。しかし、もう一人は管理人ではなく、僕の二つ隣に住み着いている、二回目の大学受験を控えた浪人生がいるだけだった。関係ないが、彼の志望校は僕の大学らしい。……偏差値は、そこまで高くなかったはずなんだけど……。
 ならば、管理人は何処に住んでいるのか。
 どうやら彼女は自由人らしく、愛用のヴェスパ(イタリアの某オートバイ・メーカーが製造販売するスクーターの製品名。イタリア語でスズメバチを意味する)にまたがり、日本を縦横無尽に駆け巡っている……らしい。
 駆け巡っているという件の真実は定かではないが、月に一度ふらりと帰ってきて家賃を徴収した後、またヴェスパに乗って何処かに行ってしまうのだ。
 そんな一風変わった賃貸アパートが我が家になって、もう半年の時が経つ。
 軋む音が不気味な階段を上り、二階の奥の扉が僕の部屋の扉だ。鍵を差し込み、開錠してドアノブを捻ると、甲高い金属音が鳴り響いた。

「ただいま」

 部屋の中には誰もいないが、ついその言葉を漏らしてしまう。子供に物事を教えるという職業柄、挨拶をするのが癖になってしまい、毎日帰る度に欠かさず言っている。
 挨拶というものは重要で、それはひとつで人生が変わるほどの魔法の言葉だ。ぽぽぽぽーん。
 目の前には狭い玄関口。靴を脱いで上がる段差のフローリングで少し広くなっており、左には台所、右には風呂の扉だ。まっすぐ言った突き当たりには六畳の部屋がある。
 手探りで玄関の電灯のスイッチを見つけ出し、部屋にその一室に光を入れながら、玄関にある段差で某有名スポーツメーカーのスニーカーを脚だけで器用に揃えて脱ぐ。

「ただいマンボウ」
「……こんばんワニ?」
「何それ」

 次いで入ってくる順平と八百子さんに、間髪入れずにそう聞き返した。ダメだよ八百子さん、乗っちゃダメだ。
 順平はその言葉を無視して、僕より先に部屋の中に上がりこんだ。その際、台所の食器棚と冷蔵庫から、グラスと烏龍茶の二リットルのペットボトルを勝手に取り出し、奥の六畳の部屋にある僕のベッドにどっかり座り込んだ。

「あー、腹減った。彰も晩飯食ってねぇンだろ? な
んか作れ」

 挙句、他人に夜食まで要求してきやがる。
 大体、順平は「親しき仲にも礼儀あり」という言葉を知らないのだろうか。高校時代で出会ってからこのような態度だった。
 正直もう慣れたけどね? まあ、高校のときは本当にキレそうになったこともしばしばあったけど。僕たちだってもう大人だし、それなりに心のゆとりを持つべきだとは思うけど、流石にアルバイト帰りの人間に料理を求めるのは少々酷じゃない?
 はあ、とため息が漏れた。

「はいはい。じゃあおとなしく座ってろ」

 ついでにまだ玄関で靴も脱いでいない八百子さんを一瞥し、

「どうぞ。あっちで座ってていいですよ。……あ、八百子さんも食べます?」

 そう入室を促し、そして料理を勧めた。彼女は「丁度、私も食べていなかったし」と頷いて答える。
 文句を垂れながらも、僕は引き受けてしまう。頼まれたら断れない。そういった性分なのだから仕方が無い。
 何はともあれ、やると決めたからには迅速に。手始めに、冷蔵庫の中を確認する。
 まずは昨夜の夕食で多く作りすぎてしまったピラフ。野菜はジャガイモが一個と、キャベツの葉が四枚。そして人参とセロリと玉ねぎが半分ほど。後、何故か奥のほうにクレソンが一束這い出てきた。どうやら、腐ってはいないようである。
 僕は基本、買いだめとかをしないタイプの人間だ。理由は多く余らせて腐らせてしまうのが何よりも勿体ないと思ってしまうためである。
 故に、毎日冷蔵庫の中身を確認し、足りなければ最低限補充する。その繰り返しだ。
 今日は三人分ということで、少々心もとないような気もするが、今はスーパーマーケットに走る暇も気力も無い。それに、今の時間では何処の店屋も閉店している。
 何とか工夫するしかない、か。
 どういったものを作るか、数秒間考える。行き当たりばったりで料理をしたって何も意味が無いし、何より失敗してしまう可能性もある。この工程は最も大切なことだ。

「彰ぁ、牛丼作れよ牛丼」

 これは雑音。
 暫しの間考え、僕はやがて顔を上げる。——決めた。
 最初に残りのピラフを電子レンジで温める。その間に野菜の下ごしらえだ。
 包丁を取り出し、開始する。
 まずジャガイモの皮をむいて一口大に切る。このときにジャガイモの芽を残していてはならない。もし切り損ねることがあれば、それは洒落では済まされることではないのだ。
 切ったらそれらを水に少しさらし、そうしてからざるに上げて水気を切る。
 次に玉ねぎは薄切りにし、キャベツと人参は五〜六センチの長さの繊切りにする。セロリもスジを取ってから、キャベツや人参と同じ長さのやや太目の繊切りに。クレソンは葉を摘み、堅い茎は取り除く。
 それらの作業が終わる頃に、電子レンジが音を鳴らして活動を止めた。包丁を置いてすぐさま振り向き、取り出して台所の邪魔にならないところに置いておく。その際、もう今日は使わない電子レンジのプラグをコンセントから抜く。こういうこまめな積み重ねで電気代が結構浮くのだ。
 棚から鍋を出してカップ三杯分の水を入れ、下ごしらえの際に見つけた中華スープの素が一袋見つけたので、それを水に溶かす。
 それがよく溶けたら、ざるに入れたジャガイモをその中に入れて火をかける。ジャガイモがほぐれるまでの数分間で食器棚からスプーンを三本、小皿と少し大きめの汁椀を出す。
 ジャガイモに竹串を刺し、中まで柔らかくなってきたら、玉ねぎ、キャベツ、人参、セロリを加えて三〜四分ほど煮込む。
 その間に洗い物を少し終わらせておく。包丁とまな板とざるを流し台に押しやり、水道の蛇口を捻って出てきた水でそれらを洗う。油を使用していないので、水洗いで大丈夫だ。
 それらを終え、急いで手を拭いて鍋の中を見る。
 野菜が柔らかく透き通ってきたら、塩、胡椒で味を調え、火を止めてからクレソンを加える。
 ここまでの工程で約十五分、野菜スープの出来上がりだ。……我ながら、中々上手に作れたと思う。香ばしいコンソメが、僕の食欲を沸きたてるかのように鼻孔をくすぐる。
 スープが冷めないうちに運ばねば。そう思い出したように、先ほど出した汁椀に均等に盛り付ける。その後、ピラフも同じように小皿に分けた。
 ピラフは残り物ということもあり、丁度いい分量で三等分出来た。だが、野菜スープのほうはそれぞれ一人前ずつ盛ったのにも拘らず、鍋の中にもう一人前くらい盛れそうな量のスープが残ってしまっている。
 三人前なんて、一度に作ったのは今日が初めてだからなぁ。……まあ、冷蔵庫の残り物を全部片付けられたのはよかったかも。
 食器棚から出してきた食器を全て大きめのお盆の上に載せて持ち運ぶ。行き着く先は二人のいる部屋だ。

「ん、出来たよ」

 僕の口調はぶっきらぼうだったが、持って行った際に二人の表情が仄かに明るくなったのを見たとき、内心とても嬉しい気持ちになっていた。毎朝毎晩、夫や子供に食事を作り続けている、主婦の気持ちとはこのようなものなのか。そう心の中で呟く。

「おお、やっとか」
「わぁ……、いい匂いだね」

 お盆の上から、作った料理を六畳の部屋にあるローテーブルの上へ。ピラフはともかく、野菜スープは熱いので火傷に注意が必要だ。
 それぞれにスプーンと料理を行渡らせ、自分の座るところの横にお盆を置く。そうしてから僕は自分の場所に腰を下ろした。
 僕を含め、三人がほぼ同時に手を合わせる。合掌だ。

「じゃあ、」

 僕自身が食事を促すように口を開き、

「いただきま」
「いただきマウスっ!」
「いただきマウスっ!」

いただきますと一言、言わんとするときに二人の声によってそれはかき消された。
 何でそのネタをまだ引っ張ってんのさ。常識的に考えて、有り得ないよ? ……ねえ? よく見たら八百子さんまでノリノリで叫んでるし。え、何? 何がどうしたらそこまでモチベーションが上がるの? そんな風に自力稼動できるなんて、一周回ってうらやましい限りだよ。
 それをあえて口には出さなかったが、僕は二人の食事風景を目の前に、ただ唖然とするばかりだった。